039 吾輩は猫にはなれぬぞなもし

九条Tokyoのある谷中は、猫の街と言われています。最近では地域猫というらしい、いわゆる野良猫が、かつてはもっとたくさんいたそうです。

お客さんの中でも、猫を飼っているという人が結構います。ボクは動物が苦手ですが、猫を飼っているヒトならまだ大丈夫。まだって、どういうこと?って怒っちゃった人は、ここから先は読まないほうが…というのは嘘です。ニャー。

引っ越しを考えていて、物件を探して春日から谷根千まで歩いてきたというカップルが来店しました。谷中=猫の街、というわけでしょうか。男性のほうが、猫を2匹も飼っているそうです。

「ええっー、2匹も?」

仕事に出かける際、ビルの横に子猫が捨てられていたそうです。鳴き声に心惑わせられながら、仕事に行かないといけないので、帰りにもまだいたら飼おうかどうしようかと後ろ髪引かれながら、その場を後にしたそうです。

夜、慌ててそこに行ってみると、いました、2匹も。そのまま放っておけず、ちょっと戯れていると、ビルの警備員がやってきました。自分が子猫を捨てようとしていると誤解されては困ると思い、事情を話すと。。。

「時々、捨てていく人がいるんだよねぇ。可哀そうだから、うちの会社の若いのが引き取ったりしているんだけど、もうこれ以上引き取れるのはいないかなぁ。困ったなぁ、保健所行きだよねぇ」と言うそうです。

彼は、即座に「ぼくが貰っていきます」と2匹とも引き取ったというわけです。

「芝居がかっているというか、上手なんです。講談の人情話でも聴いているみたいな気にさせられて」

彼女は初めて彼の部屋を訪れた時、驚いたそうです。床が猫の毛だらけ。掃除しても掃除しても同じことの繰り返し。よく、交際を辞めなかったと感心してしまいます。ボクだったら、即、飼える、いや、帰るところです。

「どこが、そんなに可愛いんですか?」これはボクの猫についてのクエスチョン。彼女の気持ちをおもんばかって、というわけではありませんよ。もう何年も一緒に暮らしているのだから、彼女は当に諦めはついているかと。

「普段はツンデレなんですが、たまに寄ってきて、デレーっと。もう、メロメロになっちゃいますよ」

「もしかして、彼女のほうも、ツンデレタイプとか?」

「まっさかぁー。違います」と、これは彼女。

彼のほうが読書好きだと言うので、引っ越して来たら是非と、「誤配だらけの読書会」に彼女が誘ってくれました。仕事の電話がかかってきて彼が席を外していた際、店のことを話していたので、彼女が気をまわしてくれたのです。いいカップルじゃん。

そうだ、最近、谷中に越してきた、猫を飼っているカップルがいたぞ、と思いだし、仲介した不動産屋を携帯で訊きだし、すぐ伝えました。便利な世の中ですねぇ。それに、なんといっても、読書会のメンバー、大募集中ですから。できれば、短歌の会のほうも。

同じ趣味・嗜好の人ばかりと付き合わないようにするため「誤配だらけの読書会」と銘打って、自分の好きな本を持ち寄って紹介し合う読書会だと説明すると、それはいいですねと大賛成してくれました。

彼女のほうは、猫も読書も趣味ではないそうです。普段、読書量の多い彼から知のプレッシャー攻撃を受けているので、この読書会に参加して、ぎゃふんと言わせてほしいと。うーん、そういう会ではないのですが。。。

でも、その気持ち、わかります。本人にその気はなくても、自分が読んだ本や感動した何かを誰かに伝えたくなる時ってありますよね。その興奮を抑えきれずに、つい、熱く過剰に言葉を発してしまう。

でも、それを受け止めてくれる相手がいるって、素晴らしい。そう、感動って、誰かと分かち合わないとつまらないですから。

「犬派と猫派に分かれると思うんです。ぼくは猫派。ご主人さまーって擦り寄ってくるのは嫌いで」

「ははー、ということは、やっぱり彼女はツンデレなんだぁ」

「違いますってば」と彼女。

「しいて言えば、彼女は、タスマニアンデヴィルかなぁ」

それって、猫でも犬でもない。それに、ちょっと狂暴すぎない?

すかさず、「ええー、そんなわけないでしょ」と彼女。

でも、フワーっとしているように見えて、ハッキリしているところはハッキリしているタイプだそうです。読書会のテーマの前に、ここでも、もう誤配は生まれていて、うまくいってるみたい。

訊く気はなかったのですが、二人は20歳近く歳が離れているとか。別に、そのことに羨ましいなんて、これっぽっちも思っていないですよ。ただ、タスマニアンデヴィルって気になる〜。

是非、引っ越してきてほしいなぁ。これ以上、猫派が周りに増えるのはどうかと思いますが。

そういえば、猫派の友人の希望で、『歌集のある本棚 写真展』のあと、『猫の写真集のある本棚 写真展』をやろうということになったっけ。結局、街中にいる猫の写真展に落ち着きましたが。猫好きでもないボクが何故?というか、どちらかというと、猫嫌いなのに。

ボクは、あすなひろしという漫画家が大好きです。彼の作品の中に、『青い空を、白い雲がかけてった』というシリーズがあって、いつか九条Tokyoのイベントの一つ「歴史トーク」が再開されたら取り上げたいと思っていたのですが、こんなことなら、次の「誤配だらけの読書会」で取り上げようっと。

その中に、「日だまりの中で」という話があります。次の読書会でコピーを回しますので、ここではストーリーは割愛しますが、飼い猫をめぐる家族の話です。この話は大好きなんだけど、猫や動物、いや生き物って苦手なんだよねぇ。なのに、この話が好きって、どういうこと?

いや、人間は好きですよ。でも、虫とかは、ちょっと。いや、だいぶ。。。生き物の中で好きなものといえば…人間以外に思いつかなかったりして。

ボクは、日本に文学と言うものを誕生させたのは夏目漱石だと思っています。明治になって、新しい日本語も作りながら、同時に本格的な文学を完成させたその軌跡は、奇跡としかいえないと思っています。

その記念碑的出発点が『吾輩は猫である』でした。ただ、あの作品が決定的に間違っているのは、人間がツンデレの猫を観察しているのではなく、猫が人間を観察しているところ。きっと、そんなことはありえないと思うんだけど。

猫は猫で、人様のことなんかちっとも気にしていない。と思うんだけどねぇ。そして、そういうタイプの人は苦手です。

最近、そんな猫みたいな人が増えてきているように思います。あっ、猫の悪口を言っているんじゃないですよ。猫みたいな「人」のことを言っているだけです。

前回、SNSって結構やるじゃん、って話を書きましたが、SNSのせいかどうかわかりませんが、そういう風潮がますます強くなってきているように思います。

猫好きになってもいいけど、猫にはならないように。。。あっ、なれるわけないか。

この猫が人になるとき愛しすぎたわたしは猫になるかもしれず (小島ゆかり)





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