036 橋を翔ける人
「かける」の漢字が間違っているだろうが、って?
その通りです。でも、今回は敢えて「翔ける」を使いたいから訂正しません。
漢字って面白いですね。一字一字に本来の意味、使い分けがありながら、結構その境界は曖昧で、使う字によっては、伝えたい意思がより鮮明になる気がします。夏目漱石の当て字は、明治になって、新しい日本語を作る苦労と工夫が伝わってきて面白い。ええー、この漢字を使う?と思う時が結構あります。
それって、簡体字では出来ないジャーン。って、人権より党の優位性を基本とするどこかの国に対して当て付けを言ってるんじゃないですよ。だから香港の独立を応援してるって単純な話でもありません。人類が到達した最も高尚な、自由と人権と意思の問題だと思うんです。そのことに内政干渉だなんて批判はありえません。国より、まず個人でしょう。誰も住んでいない、人口がゼロの国なんてありえませんから。
脱線がすぎました。橋を翔ける人の話を。
九条Tokyoは1階にある別の店の入り口脇に2階へ上がる玄関と誰も出迎えない曲がり階段があって、上がりにくい&入りにくいと言われ続けています。そのマイナスポイントを解決できないまま2年の歳月が流れ、その上、コロナ騒動まで起きて。。。
泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目、一難去ってまた一難、というやつ。。。あー、スッキリした。
気分的には、ここだけは独立国、それが駄目なら、せめてスウェーデンだと言いたいのですが、ジャバラ(邪払)で有名な北山村みたいな県を跨いだ飛び地はあっても、国境を飛び越えた飛び地って成立しないでしょうねぇ。。。日本国 東京都台東区ではなく、スウェーデン王国 谷中1-2-10 天空2階、とか。。。
ジャバラの話はいつか書きたいと思っていますが、今回は置いといて、、、ホントは日本が日本国なのに対して、スウェーデンが王国だって話も書きたいんですが、、、
人が自立しているためには、井上ひさしの『吉里吉里人』みたいな強い独立心を持たないといけませんね。完全なる男女平等や次世代の持続を第一義とする憲法を携えて。新しい憲法づくり(国づくり)っていうイベントも、いつかやりたーい。
話を、橋を翔ける人に戻します。何度目じゃーって。。。しぃましぇん。
彼は大学院で橋の強度に関する研究を続けていたのですが、卒業後は全く違う分野の仕事に就いたそうです。そりゃそうですね。研究テーマや趣味と職業が一致している人の方が圧倒的に少ないでしょう。
でも、彼は橋への思いが捨てきれず、転職試験を受けて合格。ついに、橋を架ける仕事に就くことになりました。それを機に、憧れだった谷根千に引っ越してきたのに、コロナ騒動が起きて、谷根千エリアにある店を探索することもできなくなり、時間だけが過ぎていきました。
ようやく夏から転職する会社の配属先が決まりました。最初は本社のある東京の中心地で研修期間が1-2年あるのだろうと思っていたそうです。だから谷根千に越してきたのに。。。
ところが、大学院で橋の研究をしていたこともあり、初任地は東北に決まったそうです。いきなり現場で即戦力として期待されているということでしょうか。
「憧れの谷根千で粋な店に入り浸る夢は叶わないまま、引越しすることになりそうです」
それで最近になって、ランチくらいはこれと思う店で食べようと出歩くようになったとか。上がりにくい2階にある店を見つけて、わざわざ訪ねてきていただいたのは嬉しい限りですが、出会ったばかりというのに、これが最後になりそうです。このパターン、最近多いですね。切ない、一期一会ってやつ。
「橋って、定年までにいくつくらい設計できるの?」
興味本位で訊いたボクに、彼はボソッと答えました。聞き取れないくらい小さな声で。「一つ」
「ええーっ」
「設計を担当できるのは、生涯に一つくらいでしょうか。運が良ければ、2つ架けられる人もいます」
あとの人生は橋のメンテナンスをして暮らすそうです。日本全国を転勤で巡りながら。
ボクは感動していました。生涯に一つか二つの橋を架けるために、働いている人がいる。しかも、転職までして。
これこそ、橋を翔ける、でしょ。それ以外に表現しようがないじゃん。川の上にも、そこに住む人の暮らしにも、自分の人生にも、何かを翔けるってことです。
自分が架けた橋を初めて渡る時の感動って、どんなでしょうね。できれば、深い渓谷で、下には激流が流れているといいな。それとも、のどかな田園地帯にかかった、絵になるような美しい木の橋?
彼はその時、何歳になっていて、どの川に橋を架けるのでしょうか? ボクならゆっくりと歩いて渡れないかも。嬉しくて駆けだしてしまいそう。天にも昇る思いで。
やっぱ、翔ける、しかないでしょ!
人生でたった一度のその時のために生きる。うーん、でもボクにはできそうにありません。切なすぎる。。。
ボクは彼にメルアド交換をお願いしました。こんなこと、まずしないんですが。だって、まるでアイドルにねだるみたいな。。。
九条Tokyoで、新たにつくりたいと思っている書籍があります。
昨年末に中国政府がWHOに新型コロナウイルスの発生を告げてから、世界は大きく変わりました。政治や経済だけでなく、人々の生活まで。
その半年余りを、みなさんがどう感じ、何を考え、どんな行動を取っていたのか、そして、今あれはなんだったのかと思ってるのか ‐‐ それをできるだけ多くの方が、書き継いでいく編月体(年でなく、12月から6月くらいまでの毎月)で。
別に、8月、9月まででもいいんです。コロナ騒動について、自分なりのケリをつけたと思える日まで。
これって、コロナ禍って言うより、コロナ渦と思っているので、書名は「コロナ渦と生きた180日」とかどうだろうと思っています。
できるだけ多くの人に加わってほしい。世代や職業、住所が異なる人の日々が記されているほうが記録になるし、次のウイルス騒動の際の参考になるのではないかと思うからです。
彼にも参加してくれるように頼みました。その結果、メルアド交換となったわけです。
そうか、こんな生活があるんだ、とか、こんなことが起きていたんだ、とか、こんなことを考えていたんだ、とか。多様な生き方、考えに学ぶことは本人だけでなく、その世界にも、きっと、しなやかさを生み出すと思うんです。簡単には壊れないような。
日記やエッセイ風のテキストでもいいし、詩や短歌でもいいです。写真や絵でもいいですが、コピーライトには気を付けて。他者の権利を侵害するのは、ウイルスに侵害されるよりいけないことです。そう、ウイルスに感染するってことは決して悪いことではありません。
誰だって風はひくし、病気にもなる。なったとわかっていて、無防備にうつして回るのは問題ですが、かかった人は病人、被害者です。だから、この問題でことさら中国を叩くのはどうでしょう。それなら、ウイグルや香港への対応のほうを問題にしましょうよ。
またまた話が横道に逸れてしまいましたが、この書籍企画に参加したーい、って人は、この指とまれ~!
但し、書いた人たちでできるだけ買い取るって条件で。この場合こそ、必要な「自助」だと思って許してください。一国の政府が自助を強調するのは問題ですが、私的なチャレンジですから、そこんところ、よろしくお願いしま~す。
コロナ騒動後の世界に橋を翔ける、そんな本ができたらいいな。
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