偶然や勘違いこそ奇跡の母胎だ

コロナウイルスの第一波が猛威を振るった後、店にようやく賑やかさが少し戻り始めたころ、「ラスト・オーダーは何時までですか?」という電話が入りました。まだ、19時になったばかり。変なことを訊く人だなぁと思っていました。これからすぐやってくるというのに、ラスト・オーダーを心配しているなんて、どれだけ遠くに住んでいるのか、それとも。。。

そう、それとも、のほうでした。飲むわ、飲むわ。最後には、少し飲まれてもいましたが。

「仕事柄、自粛期間中は飲みに行けないじゃないですか。私から人生の楽しみを奪ってしまうなんて、、、」

彼女は自粛明けを待ちかねたように、生きがいの再開を九条Tokyoで始めてくれたというわけです。その日、初めていらっしゃったんですよ。光栄の至りですね。

「仕事柄って、まさか政治家の秘書とか公務員とか?」

「近い」

といったら、この時期、医療機関しかないでしょう。彼女はお医者さんでした。

「感染症とはまったく関係がないうえ、コロナ以外の患者さんが敬遠して来なくなったものですから、暇で暇で。それなのに、自粛しろって。彼女のように、ナースの中には、まるで野戦病院のように感染症科に召集されていった人もいるんですよ」

今日は、そんな奇特なナースの慰労を兼ねて、一杯、いや満杯飲みに来たそうです。つい最近まで、同じ科にいた二人の話は、まるで掛け合い漫才のよう。戦場と化した病院の様子を、ボクはいま何が起きているのか、ありありと聞かせてもらうことができました。

一通りの実況中継が終わった後、「マスターは、まず大丈夫です」だって。

「えっ、どういうことですか?」

「重症化して送られてくるのは、高齢者、それもほとんどが70代以上で、既往歴があったり、肥満気味の方がほとんどです」

ボクの頭から下をもう一度見直して、「まぁ、大丈夫でしょう」と太鼓判を押してもらいました。両親に感謝ですね。18歳から身長、体重がまるで変わっていないことを。

東京都が最近発表したデータによると、6月末までにコロナ陽性者で亡くなった方の年齢は、平均79.3歳で、大半が糖尿病や高血圧、腎疾患などの基礎疾患を持っていたとわかったのはずっと後になってからですが、世界中がそんな感じのようです。もちろん、何にも例外はありますが。

マシンガントークが炸裂し、あっという間に時間は過ぎて行って、気が付いたらもう閉店時間間近です。

「そろそろ帰らないと、電車で寝過ごしたら家に帰れませんよ」というと、そんなことがしょっちゅうあるのだそうです。気がついたら、隣の県まで乗り過ごしていたとか、ここには書けないような失敗談の数々。その話があまりに面白いので追い立てて帰すこともできず、結局、終電ギリギリになってしまいました。

そうか、何時まで開いているか、と訊いたのはこのせいだったのか。二人が空けたグラスの数は覚えられないほど。それに話が面白くて、時間は飛ぶように過ぎていきました。一番楽しんでいたのは、ボクかもしれません。

以来、彼女は時々来てくれます。コロナ騒動がなかったら、知り合うことはなかったお客さんの一人でしょう。状況が状況だけに近くの店で飲むわけにもいかず、わざわざタクシーに乗って来てくれる、大切なお客さんです。

タクシーに乗ってくる人と、歩いてこれる人は大切さが違うのかって? 頻度にもよるのか? じゃあ、一回に使う金額は?

そういえば、昔の仕事をしていた頃、依頼を受けて作っていたマニュアルには、顧客単価や来店頻度、人気メニューなどのマーケティングデータをシビアに見直せなんて書いてましたっけ。そんな面倒なこと、一回もやったことないなぁ。

だって、一度でもいらっしゃったお客さんは、もう大切な友人ですよね。特に親しく話をした方は、そう。それをデータで上下関係なんてつけられないよ~。なんてバカなコンサル、うわっぺらな仕事をしていのか。今さらですが、反省しきり。穴があったら入りたいって奴です。

その彼女が別の日に連れて来てくれたお客さんに、女性杜氏とリモートで繋いで日本酒を楽しむ会をやっているという話をしたら、「私の実家のお酒も扱ってください」と言うのです。聞けば、大分県日田市にある昔からの造り酒屋だと言います。

その夜、ボクはネットで調べて注文を出す際、コメント欄に「あなたの娘さんから紹介していただきました」と一言添えました。

翌日、店に電話がかかってきました。

「私には娘が一人いますが、東京にはいません。もし、お間違えなら、注文を取り消しましょうか」

ええー、ですよね。ボクの聞き違いか、ああ勘違いって奴です。でも、なんと誠実な。

「確かに、私の実家と言ったように思うのですが…。それに、大分の日田と言ったら、集中豪雨で大変なことになっているから、ぜひ注文しなきゃって」

「それは、ありがとうございます。大分の日田とまで言ったのなら、間違いではないですね。でも、誰だったのでしょう?」

最近、1、2週間おきくらいに来てくれますから、今度いらっしゃったら確認して、関係をメールするってことになりました。

その謎が解けるまでに、もう1週間。ボクはジリジリとその日を待ちました。いつだって客を待つ時間ほど人恋しいものはありませんが、この1週間ほど、そう思ったことはなかったかも。

その間、嬉しい驚きがありました。届いた日本酒の、美味しかったことといったら。。。その感動を表現するのは、ボクの拙い文才では到底不可能なくらいの衝撃でした。ボクは利き酒師でもなんでもないので、はなから、その資格はないのですが。

井上酒造の百合仕込み「純米吟醸無濾過生原酒」。生原酒ですから、いついらっしゃっても飲めるわけではありませんが、北海道余市にあるリタファームの「十六夜 ナイアガラ自然発酵」という白ワインと比べられないくらい美味しい。

えっ、日本酒とワインを比べるなって? でも、ボクにとってお酒の等級比較は、ナイアガラを飲めないとしたら、次に何を飲むか、なんですから。これは、ボクにしては最大級の誉め言葉なんです。

短歌では小島ゆかりや杉崎恒夫と比べるように、詩では吉野弘や立原道造と比べるように、ボクはお酒の美味しさをリタファームのナイアガラで計っているように思います。もちろん、そのメジャーはマックスで、それより上という目盛りはないのですが。

ちょっとした偶然や勘違いから出会う奇跡。おそらく、奇跡って人を選んで降ってくるものではないのかも。あれっ、それじゃあ高円寺駅前で「旅する読書ノート」に書いてくれたホームレスの達筆な格言と、ちょっと違ってきますね。物語が人を選んで降ってくるんだって話、前に書きましたよね。➡️バカ野郎、物語が人を選んで降りてくるんだ、の項参照。

うーん。ボクの奇跡探しの旅は、いささか迷走中のようです。

しかも、今日、東京都は22時までの自粛期間を、9月15日まで続けろって発表したようです。ボクのこの連載は、8月31日で終わる予定でしたが、もう少し続けることになりそうな雲行きです。

奇跡を探す旅。その先に出会うのが、どんな人生を生きている人なのか。コロナのおかげで出会う人もいますが、外国人旅行客もいないし、22時までで閉店しろって脅しにあって、街には人がすっかり減っています。奇跡が起こるには、母数だって必要ですよね。

時を止めるな。そんな権利は誰にもないはずです。時間だけは誰にも平等だなんて、間違っていると思うんだけどなぁ。







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