058 メルケルのいない世界に備えよう

今、ボクは自分のことをとても恥ずかしく思っています。

もし一つだけ夢を叶えられるとしたら、ドイツの首相を退任した後のメルケルにインタビューした~い。

え? 勘違いしないでください。そのことが恥ずかしいんじゃないですよ。

Twitter とfacebook 、Youtubeがトランプのアカウントをそれぞれのサービスから永久追放しました。あの議会襲撃の後だからねぇ、と思う一方で、今や大きなメディアとなった2社には、言論の自由を守るという使命があります。どんな愚かな人間にだって、たとえそれが大きな悪影響を及ぼしかねない政治家にだって、呟く自由を保障する機会を用意するのが、メディアの役割なはずです。メディアだけでなく、我々が生きている世界そのものも、そうした度量を持っていないと、いつかとんでもないシッペ返しを被ることは、これまでの歴史がいくつも証明してきました。

その気持ちはわからないでもない ‐‐ なんて思った自分を、ボクは大いに恥じています。どんな理由があろうと、表現の自由を奪ってしまっては、戦前に戻ってしまいかねません。表現の自由は守られるべきだ。メルケルの鋭い、そして即座の意見表明にハッとしました。

そもそもTwitter やfacebook は高邁な理想など持っていない、ただ利益しか眼中にない、一民間企業なんだから、それだって自由だろう、って考えもあるかもしれません。それなら、そう標榜すべきですね。我々のサービスは利益第一で、自由やより良い世界といった理想は二の次だって。

なんだか、トランプと似たり寄ったりに聞こえてきますが。。。

フランスの閣僚とドイツのメルケル首相は、Twitter とfacebook のこうした振る舞いにいち早く異議を唱えました。さすが、フランスは自由民権を旗印に革命を起こして出来上がった国ですね。

一方、ドイツはあのヒットラーの時代、そして東西冷戦の時代を経て、東側で育ったメルケルだからこその抗議でしょうか。メルケルの振る舞いには、いつも唸らされますね。自由や人権という意味では、筋金が通っています。しかも、一人一人に話しかける言葉が、人権意識に裏打ちされていて、徹底して個人を尊重しようとしています。

本来なら、次期大統領になる民主党のバイデンやカマラ・ハリス副大統領こそ、いち早く声をあげるべきでした。オバマ前大統領は、はなぜ沈黙しているのでしょう。

話がのっけから固いものになってしまったので、ここで「ガラリ」と話題を変えます。この場合の「ガラリ」は、外から屋内が見えないように換気するため設けられた通気口のことではありません。

ガラリ!

ボクがインド映画にハマったのは、『マイネーム・イズ・ハーン』(2010年)という映画に出会ってから。

主演は、ハーンではなく、インド映画のトップスター、シャー・ルク・カーンです。インド映画には3人のカーンがいて、、、という話は、またいつか。

『バルフィ』(2012年)と並んで、『マイネーム・イズ・ハーン』は、ボクが大好きなインド映画です。というか、インド映画という範疇を超えて、すべての映画の中で選んでも、マイベスト10に2本とも入ります。

『マイネーム・イズ・ハーン』のカーンが演じている主人公ハーンは(と、わざと話をややこしくして遊んでいますが)、アスペルガー症候群を持っていて、ある事件をキッカケにアメリカ大陸を横断することになります。ここから先は、ぜひこの映画を見てください。もし面白くなかったら、お代は返却しますから。。。って、なんのお代? そうだ、面白くなかったという人には、一杯サービスします。

実は『バルフィ』の主人公もハンディキャップを持った男性ですが、2人の女性との交流を通じて、出会う人の生き方を変えていきます。この映画も、ぜひ見てほしい。もし面白くなかったら…って、もういいってばぁ。。。

何が言いたいかっていうと、人は平等であるべきだと思うんです。もちろん、誰もが生まれも育ちも違って、不平等にしか思えないことも多いのですが、、、アスペルガーといった個性を持って生まれてくる人もいるのですから。

でも、誰の言葉(=命)も同じ重みでもって平等に扱われるべきです。たとえ、自分が気に入らないトランプの言葉であっても、その表現の自由を保障するゆとりが社会からなくなったとき、我々は取り返しのつかない失敗をしでかしかねません。

そういう意味では、こんな非常時に、感染症にまつわる特別措置法や感染症法の改正など行うべきではありませんね。多くの人がよく考えもせずムードに流されて、厳罰化に行くに決まっていますから。もちろん、社会の平穏を悪意で乱す行為には一定の歯止めをかけるべきですが、混乱のさなかで、泥縄式にやるのはどうでしょうか。

2月6日に実施予定の【話食マルシェ】で繋がる予定の、埼玉県寄居町の無農薬・無ビニール農家、井伊さんが先日、FBに書いていました。知りませんでしたが、彼は日本語が母国語でない人のために司法通訳人をしているんですね。そのために裁判所に向かった日の投稿です。

・・・この国は明らかに何かがおかしい。人手が足りないから、技能実習生などというまやかしの制度で労働者としての権利を制限し、経済的な弱者を誘い込む。労働力が欲しいだけのに「技術移転」「国際協力」だなどとのたまう。たった数ヵ月(場合によってはゼロに等しい)の「研修」を受けただけの、片言の日本語しか話さない人に、どうやって技術移転などというものをするというのだろう。・・・もはや、知らないでは済まされない。それは単に知ろうとしていないだけだ。この国はどこかが間違ったままだ。まずは関心を持ち、調べ、現実を知ろうとすることから始めよう。・・・

自由や平等を担保するのは、多様性、つまり違いを認めることから始まるのかもしれません。それは、相手をよく知らないと、とても難しいことですが。でも、知ろうとしないで差別や区別するのは厳に戒めるべきことでしょう。虫が苦手なボクには、虫まで含めた多様性はまだピンと来ていませんが、サラダや鍋の具材の多様性までは、その大切さがわかってきています。(あれっ、ちょっと話が違うか…)

他人を傷つけるような言論であっても許されるのか。。。確かに、それは間違っています。トランプのように嘘を並べ立てるのも問題だと思います。でも、だからといって、発言の機会すべてを、誰かが永久に奪ってしまうのは、どうでしょう。存在そのものを抹殺するような試みには、NOと即座に言える自分でありたいと、メルケルの言葉にハッと気づかされた気がします。

今度は、ガラリではなく、ハッと。まぁ、なんと擬態語や擬音語の多いこと。オノマトペー。

ドイツといえば、ボクの考えを現在地点に導いてくれた一人、鈴木さんのことを思い出しました(006 鈴木さん、いまボクは野菜を売っています)。彼女だったら、今回のことを何と言っただろう。彼女とランチをしていた時代には、世界の分断はこれほど目立ってはいなかったし、それを埋める多様性って言葉は、まだなかったかも。

歌人の永田和宏が亡くなった歌人の妻、河野裕子について、次のように語っています(朝日新聞、2021年1月13日)。

・・・伴侶とは時間を共有する人だろう。妻と「今」は共有できない。でも、妻が残した言葉をかみしめながら、記憶のかなたの時間をいっしょに生きることはできる。

そうだ、鈴木さんが生きていたら、メルケルへのインタビューの通訳を頼めたのに。。。

2021年。もうすぐ、我々はメルケルが退任した世界で生きていかなくてはなりません。考えてみれば、メルケルは奇跡のような存在でした。イギリスのEU離脱やトランプの狂騒時代にあって、長い間、たった一人で世界を支え続けてきたようにも思えます。

ボクはメルケルにはなれませんが、一人一人が自覚することで、みんなが集まって総体としてのメルケル集合体のようなものになり、この世界の自由や人権を守っていかないと。

新年早々、そんなことを思いました。この国に民主主義を教えてくれたはずのアメリカが、今あんなことになっているのですから。

再び緊急事態宣言が出たからと言って、宅飲みなんかしている場合ではなーい。別に19時までに九条Tokyoへ来て飲めと誘っているわけではありません。STAY HOMEでもいいけど、一人一人が明日のことを考えはじめないと。新型コロナウイルスの影響で亡くなった方のことを思うと同時に、この1年で生まれてこなかった命の重みについても考えるべきだと思うのです。

2021年。新生児数が初めて80万人を割るかもしれないという予測が出ています。2020年5~7月の妊娠届出数の少なさをもとにした試算ですが。女性たちが、今のこの世界では、安心して赤ん坊を生めないと思ったのでしょうか。それは、新型コロナウイルスの蔓延によるものなのか、それによって明らかになった我々の愚かさや、分断されて狭隘になった世界の行方を不安に思ってなのか。

もう1年近くも休んでしまったのだから、家に篭っていてもいいから、前を向いて、明日のことを考え始めないと。誰か他の人が明日の世界を切り拓いてくれることはありません。メルケルは、もうすぐいなくなるのですから。

って、やっぱ、ちょっと固いまま、今年最初のnoteを終わります。トホホ。

強がることしかできずに今日も前を見る 僕らが前だと決めたその場所を (田中章義)



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