Say you love me

勘違いされた方がいたらゴメンなさい。これは、simply redの歌のほうです。

店でよくかけているのがsimply redのアンソロジーなのですが、そのことに気づく人はあまりいません。いや、気づいていてもわざわざ口にしないだけなのでしょうか。

或る夜遅く、一人の男性客がやってきました。いつも行く店にいったら、たまたま休みだったそうです。

そういう場合、あなたならどうしますか? 今日は日が悪いと真っ直ぐ家に帰る。あるいは、こういうときくらい、新しい店を開拓してみるか。

ボクはそもそも行きつけの店というのを持ったことがないので、想像もつきません。20代の前半、今はなき銀座のシャンソニエ「銀巴里」に通っていたことがあるくらい。それにしたって、20-30人の聴衆の一人ですから、誰と言葉を交わすわけでもないし。毎週1、2回は通っていたといっても、いわゆる行きつけの店というのではないですね。

だから不思議な気がしています。毎週のように通ってくださる常連客がいて、何気ない言葉を交わしている自分が。

残念ながら、この店にいらっしゃる方との奇跡のような出会いについて書いているこのシリーズでは、常連客については書かないことに決めています。それこそ山ほど奇跡のような出会いや事件は起きるのですが、よく顔を会わせる方について書くのはちょっと。。。奇跡だけに1回こっきりのほうがいいかと。

で、話はsimply red、いや、或る夜の出来事に戻ります。

「ずっとsimply redが流れてますね。マスターの趣味ですか」

「ええ」

音楽って不思議ですね。趣味が合うだけで、なんとなく親近感を抱いてしまうから。以来、彼は何度か来てくれるようになりました。

といって、いつもsimply redばかりが流れているわけではありません。ジャズだったり、70-90年代のポップスだったり、時にはその頃のJ-popだったり。

J-popの趣味が似ていたらしい別の客は、ここに来るとタイムスリップしちゃうと言っていましたっけ。音楽の趣味が近いと世界観や考え方まで似ていたりして驚くことがあります。

さて、simply red好きの彼がしばらく来なくなりました。どうしたんだろうと思いつつ、銀座のクラブじゃあるまいし、こちらから客を追いかけるような店ではありません。ただ待つだけです。

しばらくしてやってきた彼は、「親父が亡くなりまして」とポツリ。

こういうとき困りますね。どんな言葉を返していいのか習ったことがないから。誰にでもすぐ開ける飲食店講座とか、いいバーテンダーになる100時間教室ってものがあったら、そういう時のやりとりをシミュレーションして練習するのでしょうか。テンダーっていうくらいだから、気の利いた優しい言葉の一つや二つ口にできないといけないですね。

「それは大変でしたね」といきなり敬語になりつつモゴモゴ口にしたあと、ボクにはもう続ける言葉が見つかりませんでした。歳が近いから、似たような経験をいくつもしてきているのに。

ヒトのDNAには、人類の、いや生物が進化上、経験してきた膨大な遺伝情報が書き込まれていると言います。中には、ウイルス由来のものもたくさんあるそうです。胎盤を作って胎児を育てるのも、ウイルス由来だと読んだ記憶があります。

それなのに、親や友人を亡くした人にかける言葉一つ持ち得ていないとは、呆れる限りです。ヒトの歴史まで遡らずとも、この歳になると自分にも同じ経験はいくつもあったのに。

嫌なこと、思い出したくないことは避けて忘れようとするからでしょうか。とにかく、ボクは静かな時間を共有することで、その夜を終えました。

高校時代、ボクと違って超優秀だった同級生がいました。東大を出て当時の超優良企業に就職。

ところが70年代後半から80年代にかけての優良企業の多くは時代に取り残され、余剰人員となった(彼が自分で言ったんですよ)彼はNGOに出向。その頃、初めて口をきくようになりました。

当時のボクは以前にも書いた鈴木さんを亡くした直後で、人生を変え始めた頃だったように思います。おかげでウマがあったんでしょうか。出会うタイミングが良かったというべきか。

何回か二人で会うようになり、彼の新しい夢を聞かされました。

「ちょっと回り道したけど、遅すぎるってことはないよね。お互い、生きてるうちに正しい道に戻れたみたいだね」

おっとりとした口調で彼はそう言いました。まさか、それが彼と交わす最後の言葉になろうとは思いませんでした。その直後、事故で突然遠くに逝ってしまったのです。

誤解しないでください。感傷的な話をしたいのではありません。ボクはあの時、どんな言葉を返したんだっけと、それが思い出せないんです。

でも、彼のにこやかな表情は覚えています。言葉ってなんだろう。普段は言葉の力を信じているつもりですが、いざという時ってほど言葉にならない。うーん。。。

それに、あんなに本を読んできたはずなのに、忘れる一方になっていくのですから困りものですね。最近、ボクが短歌贔屓なのは、短いからかもしれません。31文字すら全部覚えていられなくても、その世界観は残ります。

初めてやってきた女性が、一人で美味しそうにワインを飲んでいます。

「マスターも一杯どうぞ」

「何かいいことありました?」

こういう時は我を張らずいただくことに決めて、乾杯の目配せを。その途端でした。

「ボーイフレンドと別れてきました」

店を始めたばかりだったら、吹き出していたでしょうね。

何も聞こえなかったように振る舞う分別はついています。でも、こういう時にかける言葉は今もってDNAに刻まれてはいません。

なんだか無口なバーですね。いつも言葉を飲み込んでばかりいる。

「だって、私にだってキャリアはあるのに、転勤になったから、結婚して一緒に地方に行こうって、ひどいでしょう?」

ひどいのはボーイフレンドなのか、タイミングだったのか、ボクにはわかりませんが、simply redの「Say you love me」が聴きたくなりました。どうして今夜はsimply redの高くて美しい声で、Just say you love meという声が流れていないんだろう。

そう思いながら、いつだってタイミングってあるんだよなぁって考えてしまいます。ものが起きるタイミング、言葉を口にするタイミング。タイミングが全てではないけど、巡り合わせってありますよね。

ボクはこの店を始めてから、少し無口になったかもしれません。えーっ、それじゃあ、以前はどれだけお喋りだったんだって? 

そうだ、あの時伝えたかったのはこれだ。

形なきものを分け合ひ二人ゐるこの沈黙を育てゆくべし (小島ゆかり)

次回の「短歌好きあつまれ〜」は9/13(土)15:00から。自作の歌を発表するのではなく、好きな歌人の歌を紹介し合う会です。

ボクは青空を詠んだ歌を集めて紹介します。











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