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私のスーパーマン

子どもの頃、父方の祖母と伯母に育てられた。
よくある話だけれど、当時は片親というだけで特別視されたし、周りの妙な気遣いを子ども心に感じることすらあった。まあ何より、家族が一番それを気にしていたようにも思う。
「実の子より厳しく育てた」と大人になってから祖母が話してくれたけれど、当の本人は特にそんな厳しい家庭に育った感もなく(ごめん、おばあちゃん)、何不自由もなくのほほんと楽しい毎日を過ごしていた。

参観日は祖母が来てくれたし、しかも祖母は美しくて上品だったので、そんじょそこらのお母さま方より断然目立っていて実は自慢だった。
流行りものに関しては伯母が網羅してくれていた。人気の映画はすべて連れて行ってくれたし、おもちゃやゲームも、それがたとえ店頭で売り切れていようとも、なぜか手に入れてくれた。(未だにそれがどんなルートなんだか恐ろしくて聞けない)

そして父も、運動会だけは欠かさずに観に来てくれた。(私が大活躍できた唯一の行事だったから)のち、私が陸上部に入ってのすべての大会にも。
今でも鮮明に覚えているのが幼稚園の時。
競技はおんぶ競争。保護者が子をおんぶして走る、あれ。当時、周りはみんなお母さんといっしょ。父親と参加しているのは私だけだった。

お母さんばっかりの中で父は恥ずかしくないんだろうかと心配になった。
もしかしたら私自身が恥ずかしかったのかもしれない。出なくていいよと父に言ったような気もするし心の中で呟いただけだったかもしれない。

よういどん、の合図で父は「乗れ」と言った。飛びついた私に手を回して、父はそれはそれはすごいスピードで走り出した。
「かんな組のお父さん速い!とても速いです!」とアナウンスが流れ、私はもう泣き出しそうなくらいに嬉しくなって父の背中にしがみついていた。
父がスーパーマンに思えた。この時の写真を後々になって見つけたんだけど、父も嬉しそうに照れたように笑っていた。ちなみにサングラスをかけて、襟がぴんとなったシャツのボタンを二つ三つ外して、先の尖った革靴を履いていた父。心からかっこいいと思った。

あ、こんなこと話してるけど父は健在です。
この世でいちばんかっこいいのは父だと思っています。重度のファザコンは間違いなくこの頃刷り込まれたんだな。

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幼稚園のクラスは、ぜんぶ花の名前だったことは覚えている。
れんげ組、クローバー組、あやめ組。
私はかんな組。この幼稚園、センスありすぎじゃない?

言葉と写真の小冊子にエッセイを連載させていただいていた時のものです。
これは、2015年「プチパピエ/ラムネ号」掲載
ちょこちょこっと修正あり。


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