見出し画像

夢の中で#3 (小説)

思考回路は頑固であったが大学受験を機に少し柔軟になったと思う。こうして病気だなんてネガティブな結論を落とすことができるようになったのもその恩恵であろう。プライドに囚われず冷静に問題処理を行うことができるようになったのは人格の成長である。病院に行こうと思っていろいろネットで調べてみたが、わざわざ医者に掛かる必要はなさそうであると自己判断しとにかく結局自力で症状改善を図ることにした。
 まず、第一にやはり疲れから来るものが多いらしい。休養が足りていないのだろうか。一日7時間睡眠を目標にして極力アルコールも摂らなければ良いであろう。また、部屋が暗いと気分も悪くなる傾向があるので窓を全て開け明るくする努力をした。精神病患者に薦められるのは日記を書くことらしい。一日の経過観察を記すなんて邪魔くさいが状況整理すればすこしは安心できるかもしれない。本棚に余分に買って白紙のままで置いてある大学ノートが何冊かあったので試しに書いて見ることにした。
 11時になったので布団に入った。不安な気持ちが昂っていたので寝つきが少し悪かったが30分もすれば寝ていたはずだ。しかし、寝たと思いきやいつの間にか起きていた。いや、寝てなどいなかった。俺はいま、母校である中学の校舎の中にいた。

これこそ、夢だと疑ったが夢であることをじっくりと疑える事こそが現実であるように思えた。
 母校は大阪だ。気がつけばいたなんてことはないはずである。しかし、今いるのは間違いなく我が母校であるしこの風景も懐かしいままだ。音楽室に何か思い入れがあるわけでもないのに何故か音楽室の前にいる。窓見える景色は夜であることを教えてくれた。不思議が高じてもはやこの世界が意識下なのか無意識なのかすら混乱して来た。とにかく外にでなくては。外に出れば助かるという約束もないのにここにいてはならないという判断でそとを目指すことにした。
 不安の鼓動を感じながら校舎を駆けていた。悪戯なことに音楽室から校門までの道のりは一番遠い。その時、なんの誘因なく眼鏡をかけていないのに視覚がはっきりしていることを知った。視力がある。小学校の頃から眼鏡をつけていたが今何故かとてもよく見えている。身体を動かせば空気に冷やされ緊張が合間って心拍を感じる。あまりにも五感がリアルに機能するので早くも不可解な現実であることを知りそうで怖くなった。階段を降りながら膨大な恐怖の情報が処理しきれず泣き出しそうになり思わずこわい、助けてと10数年ぶりに単純な思いをこう心の中で叫ぶので必死である。
 階段を二つ降りるといつの間にかそこはまた4階であった。音楽室の前に立っている。どういうことだ。もう一段降りても音楽室がある。一段上がれば希望があるとふと思い登り返してみたがやはり4階である。理解が出来ない。もうダメだ。1人でに泣きそうになった。既に服は汗でびっしょりである。しかも気がつけば服は何故か中学の頃の学ランだ。何もかも分からない。
 熱気で視界が曇って見える。眼鏡がないというのに視界は曇るのか。目を擦っていると俄かに思いついたよい閃きが針で刺すように鋭く混沌とした脳内を刺しすように感じられた。  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?