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ほりけんの中のアイドル観を改めて見直す。

 世界的な新型コロナウイルスの被害は留まることを知らず、その影響にはもちろん日本も該当していた。

 Stay Home (外出自粛)がもはや合言葉と化し、様々な業種な多大なダメージを受けている。


 それは、もちろんアイドル業界も例外ではなかった。


 いわゆる「地上」「地下」に関わらず、今のアイドルに多く共通する"逢いに行ける"が根本から崩れ去ることとなったのである。
 坂道であれば握手会がなくなり、ライブアイドルはチェキなどの特典会が消滅し、直接対面で接触する機会は皆無となった。 


 SNSを見ていると色々な方が、アイドルと会えない今の状況を様々な気持ちで過ごしている。もちろんこの機会にアイドルから離れようとしている人だっている。それは僕にだっていつ来るかわからない。

 1日の大半の時間をおうちで過ごすようになり、色々と生活リズムが変わった。僕の場合、動画サイトやサブスクなどで色々なアイドルの曲を聞くことが増えたりした。

そんな時、とあるフォロワーさんからこんなことを言われた。

「ほりけんさんって、どうやってモチベーションを保っているんですか?」

色々と考えてしまった。僕はアイドルをどうやって見ているのだろう。

少し色々と整理してみることにした。


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 そもそも、本格的にアイドルのファンになったのは乃木坂46 永島聖羅さんと渡辺みり愛さんだった。(元々AKB48やモーニング娘。は聞いていたが応援という形ではなかったので今回は割愛。)



 元々音楽を聴くことは大好きでジャンル問わずたくさんの音楽を聞いていた。

 乃木坂46には、「乃木坂って、どこ?」から入った。この頃中学二年生だったが、その前からバナナマンさんが大好きだった。バナナさんがやっている番組をザッピングしていたときに乃木どこがひっかかり少しずつ観るようになった。

 乃木坂46は元々何曲かは聞いたことがあったので興味はあった。ファンになるのは一瞬だった。

 最初にファンになったのは永島聖羅さんだった。しかしファンになってすぐに彼女は卒業してしまい、ずっと気になっていてかつ同い年だった渡辺みり愛さんを推すようになった。

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 そこから自分の中で笑顔が似合い、パフォーマンスが常に全力なアイドルを好きになる傾向ができた。


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 ライブアイドルにハマったのはアンスリュームから。何よりも楽曲の楽しさと、ライブハウス全体の盛り上がりにやられてしまった。

 推しは今までの傾向から外れることはなかった。黒木いろさん。初めて見た時から太陽のような人だと感じた。彼女のパフォーマンス、そして笑顔に一瞬で虜になっていた。




(やばい…、今までのヲタク半生だけで1000字を超えてしまった。長くなってしまい申し訳ありません。もう少しだけお付き合いください。)


 ここからは僕自身が思う「アイドル」というものについて考える。

 ここで一つ先に釈明しておきたいのだが、これから記すものはあくまで"ほりけん"の思うアイドル観であってこれが正解であるとは微塵も思っていない。また読んだ方にこれからこのように考えろと押し付けるつもりも毛頭ない。僕自身それぞれのアイドル観を話したり議論することは大好きであるが、一方的に押し付ける・押しつけられるのは嫌いだからである。

 そもそもアイドルとして一つのコンテンツとして考えた時、最近見た動画で一つ刺さったものがある。

 戦慄かなのさんと頓知気さきなさんの姉妹グループ「femme fatale」の動画の中で頓知気さきなさんが仰った

「アイドルは偶像」
「アイドルは夢や希望、勇気を与える側でヲタクはそれを受け取る側」
「ヲタクが色々と求めてしまったらアイドルとして成り立たなくなる」
「もし自分と求めているのが違ったら他の所に行ってください」

という言葉である。

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 このコロナ状況禍で改めて、自分の中のアイドルはなんだろうかと考えてみた。その時にこれらの言葉が深く刺さった。僕が元々アイドルが好きだったのは、楽曲であったりメンバーのパフォーマンスの姿から元気をもらえたからであったのにいつからこの気持ちを忘れていたのだろうか。握手会に行っていたのもパフォーマンスやブログ、番組などの感想を伝えたいから行っていたのであって、決して義務感などなかったはずだ。別に今も義務感で行っているわけではないのだが。

 もちろんアイドルの顔が好きだから応援するヲタク、チェキなどが楽しくて、特典に行きたいから行くヲタクなど様々いるだろう。もちろん応援の理由、仕方はそれこそ十人十色であり、僕の場合はパフォーマンスや曲だっただけである。



 また、この期間中に感じたことがあった。「推しという言葉に囚われすぎなのではないだろうか?」と。

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僕はそもそも推しというものを複数作るという概念がなかった。別に増やしたりする必要がなかったからである。

 好きなアイドルグループはたくさんある。ライブで観たいアイドルもたくさんいる。しかし推しは黒木さんだけだしこれから増やすことも増えることはないと思う。
 だからといって他のアイドルを応援していないのかというと、もちろんそんなことはない。アイドル大好きだもん。

 僕の中の推しとは「自分の心の支えになって、「アイドル」と「ヲタク」という枠組みの中で共に支えられる、一番幸せになって欲しい人」である。


 その定義の中で考えると、到底僕に、そんな気持ちを分配できるほどの力量はない。推しなんか増えることなかったのである。

(前述していますが、もちろんDDの方を批判しているわけではありません。
あくまで僕個人の定義と見解です。)

 



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 僕は今でも黒木さんのパフォーマンスから勇気をもらっているし、それによって少なからず僕の生活に鮮やかな色が塗られたのは確かなことである。

 だから正直、このコロナ禍で会うことができなくても、もちろん寂しいが絶望することはないだろう。もしたとえ黒木さんが僕のことを忘れてしまっても(元々覚えられているとも思わないようにするが)、明るい未来が来れば、ステージの上で、太陽のような眩しい笑顔で、輝くようなパフォーマンスをする黒木さんがいるからである。それで僕は本望である。僕はそのそんな彼女を応援したいと思ったヲタクなのだから。



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