昔、舎衛国で突然血のような雨が降り、縦横四十里に及んだ。王と群臣たちは非常に驚き、すぐに道術や占いの専門家を呼び、この出来事の吉凶を占わせた。占い師たちは、血の…
「佛為首迦長者說業報差別經」 (サンスクリット語: Śuka-sūtra) タイトルを直訳すると、仏陀が首迦長者のために説く、種々の異なる業(カルマ)とその報いに関するお…
『大智度論』巻第十四における「忍辱」の実践法や「怒り」の弊害について、現代語訳を試みた。 人に怒りを向けられたり、不利益なことをされたりした時、どうすれば平静で…
「十想」のうちの「世間不可樂想」について、『大般涅槃經』より引用して現代語訳を試みた。 善男子よ、前述した四つのこと(無常・苦・無我・食不浄)を完全に理解すれば…
『大智度論』における「十想」(注5) の一つである「食厭想(「食不浄想」)について、現代語訳を試みた。 「食厭想」とは、食物が不浄な因縁から生じるものであることに…
『楞伽経』巻四の最後、仏陀が弟子に明かした「肉を食べるべきでない理由」の段落を訳してみた。 仏は大慧菩薩に告げられた。 「肉を食べるべきでない理由は無数にあるが…
『優婆塞戒経』における、「五戒」に関する段落を現代語に訳してみた。 人間は、五つのことをすると、寿命が縮められ、財産が減る。好んで殺しをすること、盗みをすること…
『優婆塞戒経』における、施しに関する段落を現代語に訳してみた。 雜品第十九施しの心構え 善男子よ、賢い者は自分と他者の両方を利するために施しを行う。財貨が無常で…
若い男女よ! 死は少しずつ近づいてくるものだと考えるな。 死は稲妻の如く突然やってくるものなのだ。 你啊!年輕的男子與女子! 別想著死亡會是一步一步慢慢靠近, 它可…
費閒歌 講道容易體道難 雜念不除總是閒 世事塵勞常罣礙 深山靜坐也徒然 道を講じるのは容易だが、会得するのは難しい。 雑念を取り除かず、世俗のことを常に心がけ…
世間では、家業をすでに済ませた人が、年の瀬に貧しい人々があくせくと衣食 のために駆け回るのを冷然と眺めることを「看忙」という。また、科挙試験を経てすでに官僚に登…
私たち人間は、天地自然の力によって、穀物や果物、野菜、山海の珍味など、多種多様な食を手に入れることができる。また、人間はその知恵と巧みによって様々な調理方法を考…
犬や羊から見れば、糞尿で泳ぐウジ虫の生態は、非常に苦痛だが、ウジ虫自身はそれを苦とはせず、むしろ楽しんでいる。人間から見れば、犬や羊は非常に不自由だが、犬や羊は…
『般若心経』には、「般若波羅蜜多。是大神呪 。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。」との一文があるが、ここの「呪」(真言)は、般若のことであり、「揭諦揭諦」の四句で…
「人間の働いた最たる悪は何か?」と質問する人がいて、ある人は「強盗すること、逆らうこと、唆すことだ」と答え、私は「それもそうだけど、それ以上の悪がある。殺生に勝…
蓮池大師 雲棲祩宏 (1535年 - 1615年) 蓮池大師の「正好念佛偈」を翻訳してみました。「正好」は「ちょうど良い」という意味を表す中国語です。 正好念佛偈 若人富…
昔、舎衛国で突然血のような雨が降り、縦横四十里に及んだ。王と群臣たちは非常に驚き、すぐに道術や占いの専門家を呼び、この出来事の吉凶を占わせた。占い師たちは、血の雨は人間界に「人ヘビ」が生まれたのが原因だと、古い書物に記されていると答え、災いをもたらす者を国中から探し出すべきだと、王に勧めた。 王がどのようにして「人へび」を特定するのかを問うと、占い師たちは、全ての新生児を集めさせ、空の甕に唾を吐かせるように指示した。「人ヘビ」の子はその吐いた唾が焔に変わるとのことだった。王
「佛為首迦長者說業報差別經」 (サンスクリット語: Śuka-sūtra) タイトルを直訳すると、仏陀が首迦長者のために説く、種々の異なる業(カルマ)とその報いに関するお経、つまり、どのような 「業 」がどのような 「報」につながるのかを詳しく説いたお経である。私たちが現在、健康であるか病気がちであるか、金持ちであるか貧乏であるか、愛されているか嫌われているかなどの「報」は、すべて私たちのこれまでの「業」(身体的行為、言語表現、心意作用)によって決められるのだ、ということが
『大智度論』巻第十四における「忍辱」の実践法や「怒り」の弊害について、現代語訳を試みた。 人に怒りを向けられたり、不利益なことをされたりした時、どうすれば平静でいられるのでしょうか? 次のように考えるべきだ。 「衆生(生類、人間)は過去、互いに侵害したことがあるから、再び巡り会った時に侵害しあうものだ。私が今、不利益を受けたのも、過去世の因縁によることであり、現在世では咎められるべきことをしていないけど、それが前世の悪報であり、今、自ら償わなければならない。甘んじて受け
「十想」のうちの「世間不可樂想」について、『大般涅槃經』より引用して現代語訳を試みた。 善男子よ、前述した四つのこと(無常・苦・無我・食不浄)を完全に理解すれば、「世間不可楽想」を修めることができる。 そして、このように考える。 「生・老・病・死のないところは世間にはないが、私は間違いなくこの世間のどこかに生まれ変わる。もし、生・老・病・死から逃れられる場所がないなら、どうして私は世間を楽しむのか?世の中のすべてのものは、手に入れても必ず失う。無常であるならば、この世を
『大智度論』における「十想」(注5) の一つである「食厭想(「食不浄想」)について、現代語訳を試みた。 「食厭想」とは、食物が不浄な因縁から生じるものであることについての観想。たとえば、肉は体液や血液から生まれ、膿や虫(微生物など)の住み処のようなものであり、乳製品も血液だったものの変化によって出来たので、腐った膿そのものだ。料理する人の手垢や汚れなど、様々な不浄なものが混じっている。口に入れると、唾液と混ざり合って味が生じ、その様子はまるで吐き出されたもののようである。食
『楞伽経』巻四の最後、仏陀が弟子に明かした「肉を食べるべきでない理由」の段落を訳してみた。 仏は大慧菩薩に告げられた。 「肉を食べるべきでない理由は無数にあるが、今、簡単に説明しよう。すべての命は始まりのない過去から転生を繰り返し、常に親族同士の関係にあった。過去世の親縁関係を考えると、肉を食べるべきではない。ロバ、ラバ、ラクダ、キツネ、犬、牛、馬などの動物の肉や人間の肉は、屠殺者が混ぜて売るため、肉を食べるべきではない。肉は不浄なものから出来、穢れた環境で成長したため、
『優婆塞戒経』における、「五戒」に関する段落を現代語に訳してみた。 人間は、五つのことをすると、寿命が縮められ、財産が減る。好んで殺しをすること、盗みをすること、邪淫(配偶者でない者との性行為)、妄語(嘘をつくこと)と飲酒(酒を飲むこと)の五つである。 殺生の現在世と後世の報い 殺生の現在世の報いには、外見が醜い、体力がない、人々からの評価が悪い、短命、財物の損耗、家族の離散、徳のある人からの非難、人からの信用の喪失、他人の罪を被せられるなどの災厄がある。死後は地獄に堕
『優婆塞戒経』における、施しに関する段落を現代語に訳してみた。 雜品第十九施しの心構え 善男子よ、賢い者は自分と他者の両方を利するために施しを行う。財貨が無常であることを悟っており、人に喜んでもらうために、また憐憫の情から、物惜しみの心を取り除くために、報いを求めず、菩提道を荘厳するために施すのである。そのため、菩薩たる者は施せるだけ施した後、悔いる心を抱かず、財が尽きることを憂えず、財物と自分自身を軽んじず、施す時節と相手を選ばず、飢えた人が食を有り難く思うように、財貨
若い男女よ! 死は少しずつ近づいてくるものだと考えるな。 死は稲妻の如く突然やってくるものなのだ。 你啊!年輕的男子與女子! 別想著死亡會是一步一步慢慢靠近, 它可是會快如閃電般來臨! 僕らの前世は素晴らしかったよ。 今生の人間の身を稼いでくれたんだ。 だけど、絶対に絶対に君たちの来世を、 断崖に追いやるな。 我們的前世真有出息, 他掙來了我們的人身。 可是今生的你, 千萬千萬不要把未來推到懸崖上! 君を傷つけた人々を許し、 慈悲の心で彼らを祝福しなさい。 過ちは他人
費閒歌 講道容易體道難 雜念不除總是閒 世事塵勞常罣礙 深山靜坐也徒然 道を講じるのは容易だが、会得するのは難しい。 雑念を取り除かず、世俗のことを常に心がけているのでは、深山で座禅しても無駄である。 出家容易守戒難 信願全無總是閒 淨戒不持空費力 縱然落髮也徒然 出家は容易だが、戒律を守るのは難しい。 戒律を守らず、信願がないのでは、髪ばかり剃っても無駄である。 修行容易遇師難 不遇明師總是閒 自作聰明空費力 盲修瞎煉也徒然 修行は容易だが、師に出会
世間では、家業をすでに済ませた人が、年の瀬に貧しい人々があくせくと衣食 のために駆け回るのを冷然と眺めることを「看忙」という。また、科挙試験を経てすでに官僚に登用された人は、試験当日に学生たちが合格を目指して勇み立つのを冷然と眺めることも「看忙」という。それならば、煩悩を断ち切って智慧を成就し、生死と永遠におさらばした人が、六道の眾生が転々と輪廻をめぐるのを冷然と眺めることも、「看忙」と言っても良さそうだ。 ああ、世の中の誰もが忙しさの最中に身を置き、「看忙」する余裕のある
私たち人間は、天地自然の力によって、穀物や果物、野菜、山海の珍味など、多種多様な食を手に入れることができる。また、人間はその知恵と巧みによって様々な調理方法を考案し、食に関しては何一つ不自由することはないはずだ。何も、人間と同じく、血の流れ、親子のあり、感情を持ち、痛みを感じ、死を恐る動物たちを殺してまで食べる必要はない。「善良な心があれば、必ずしも菜食しなくても良い」という人が多くいるが、他の命を奪い、その肉を喰うのであれば、いわゆる邪悪で残酷で毒のある心しか見られず、善良
犬や羊から見れば、糞尿で泳ぐウジ虫の生態は、非常に苦痛だが、ウジ虫自身はそれを苦とはせず、むしろ楽しんでいる。人間から見れば、犬や羊は非常に不自由だが、犬や羊はそれを苦とはせず、むしろ楽しんでいる。天人から見れば、人間として生きることは、耐え難い苦痛であろうが、人間はそれを苦とはせず、楽しんでいる。天上さえ、極楽浄土の住人から見れば、同様であろう。このことを思い及べば、浄土往生へ願う気持ちは何ものにも止められないだろう。 以苦為樂 廁蟲之在廁也,自犬羊視之不勝其苦,而廁蟲
『般若心経』には、「般若波羅蜜多。是大神呪 。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。」との一文があるが、ここの「呪」(真言)は、般若のことであり、「揭諦揭諦」の四句ではない。今の人は真言と聞くと、すぐ密教に結びつけるが、顕教の般若心経もまた真言なのだ。これは、真言を唱える人の気づいていないことだ。 また、「阿弥陀仏」の四文字は、もともとサンスクリット語の音写であり、昔の人の注釈を読み、意味を十分理解していなければ、大明呪あるいは準提呪とは、何の違いがあるのだろうか?今の人は大明呪
「人間の働いた最たる悪は何か?」と質問する人がいて、ある人は「強盗すること、逆らうこと、唆すことだ」と答え、私は「それもそうだけど、それ以上の悪がある。殺生に勝る悪事はない」と答えた。すると、「動物を殺して食に充てることは日常的なことだろう?何で悪事だというんだ?しかも最たる悪なのか?」と反論された。 では、なぜ殺生が大悪かというと、強盗も悪いけど、他人の財物が目当てで、喜んで与えれば、必ずしも命が奪われるとは限らない。一方、殺生は腹を切り、内臓をえぐり取る行為である。逆ら
蓮池大師 雲棲祩宏 (1535年 - 1615年) 蓮池大師の「正好念佛偈」を翻訳してみました。「正好」は「ちょうど良い」という意味を表す中国語です。 正好念佛偈 若人富貴 受用現成 正好念佛 若人貧窮 家小累少 正好念佛 若人有子 宗祀得託 正好念佛 若人無子 孤身自由 正好念佛 もし富と地位があれば、衣食に不自由することはないから、念仏にはちょうどいい。 もし貧しければ、家が小さい分、心労も少ないから、念仏にはちょうどいい。 もし子供がいれば、先祖の供養を託す