幸せの誇り
以前にもnoteにも書いたのですが
私は過食症でした。
今でもお腹に、過食症時についた脂肪の皮が残ってるので、私はお腹を掴むことが出来ます。
その事がずっとコンプレックスでした。
話は少し変わりますが、何でどの家庭も仏壇に写真を飾るの分かりますか?
この人とこんな事あったな、あんな事あったなって覚えていられるのって、
「顔を覚えているから」
って言うが物凄く大きいです。
どんなに大切な人でも、どんなに大好きな人でも、写真などが全くないと、人間は顔をだんだん忘れていき、輪郭がぼやけていきます。
そして、ある時に、ふっと気付きます。
顔を思い出せなくなってることに。
記憶は鎖のように繋がってるので、顔を思い出せなくなると、この人とこんな事あったな、あんな事あったな、というのが、物凄いスピードで思い出せなくなっていきます。大切で大好きな人が自分の中からどんどん消えていく。
だから、仏壇に写真を飾って、亡くなった大切な人を感じて、大切な人を思い浮かべて、祈ったり、報告したりする為に写真を飾るんです。
そして、私は男性恐怖症の人を好きになりました。
本人の口から、
私は兄からレイプされたトラウマがあります。
なんて勿論直接聞いたわけではありませんが、私も過去に色々あり、笑えなくなった経験があるので、何かを抱えてるなんて、出逢った瞬間に分かりました。それでも好きになりました。
何かを抱えながらも笑顔が素敵な貴女だから好きになりました。
付き合ってる当時は何が突発で発作が起きるか分からなかったので、写真などを撮りあって下手に男女を意識させると不味いかな、とか手探りだったので、写真を撮れなかったので、写真などのデータは一切残っていません。
なので、私は好きな人の顔とか思い出などをほとんど覚えていません。
数年以上前ですが好きな人の顔を思え出せなくなってることに気付いた時は恐怖でした。
自分の中から好きな人が消えていく
このまま忘れていったら、この「好き」っていう気持ちさえも、消えていってしまうんじゃないか。
あまりにも、急速に忘れていくものだから、「寝て起きて忘れてしまっていたらどうしよう」って考えが過ったときは、震えと涙が止まらなくて寝れなかった。
この人と出会えて色んな経験をして色んな想いをしたから、今の自分がある。
「でも、この人を忘れてしまったら?」
自分らしさの根元見たいなものが、足元からガラガラと音を立てて崩れていく。
これほど怖いと思った事はない。
でも、顔を思い出せなくなり、どんなに思い出が消えても、「好き」と「貴女を好きになれてよかった、ありがとう」この気持ちは消えなかった。この気持ちが残った。
話を冒頭のお腹の脂肪の皮のコンプレックスに戻すのですが、お腹の脂肪の皮は私のように体重が100kgオーバーの人がダイエットに成功すると必ずつくそうです。そしてこれは、
「太ってた人が頑張って痩せた証拠、決して恥ずかしいものじゃない、努力の勲章」
だ、そうです。
そして、私の場合は、
「好きな人と隣に並んで歩いた時に恥ずかしくない自分でいたい、笑いながら共に歩きたい」
と、言う理由でダイエットを始めたので、お腹の脂肪の皮は、私が人を好きになった証。
たとえ、顔を思い出せなくなって、思い出が消えても、身体が覚えてる。身体に刻まれてる。
私のコンプレックスはいつの間にか、私の幸せの誇りになっていました。
なので、今、身体に何らかのコンプレックスを抱いてる方。過食、拒食などの悩んでいる方。
今は自分を嫌いでコンプレックスを感じたり、過食したり拒食したりしてしまっても、
それらは絶対に幸せの布石になる。
アナタは絶対に自分を好きになれる。
人を好きになれる。笑いあうことが出来る。
コンプレックスなどを抱えても自分を好きになれるから、自分を大切に抱きしめて上げて下さい。