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夏の終わり

私にとって夏はとても気せわしい季節だ。
宿題に追われているような気分。

以前からそうだったけれど、北陸で暮らし始めてより一層そのきらいが強まった。

北陸の秋から冬にかけては、太陽が出たらその日の世間話に上がるほど天気の悪い日が続く。
だから春の訪れの嬉しさは一入だし、より一層、夏という季節を楽しまなければという強迫観念に似た何かを感じるのかもしれない。

夏には海に一度は浸かりたいし、夜に屋外で音楽を聴きながら缶のお酒を飲みたい。
窓全開でドライブもしたい。
全然アウトドア派ではないけれど、夏に一度もバーバキューをしていないのは少し物足りない感じがする。

夏は旬の野菜も果物も豊富。
まだとうもろこし食べてないや、茹でたての枝豆も。
赤く熟れたトマトやきゅうりをよく冷やして食べたい。
ばあちゃんがよく作ってくれた茄子とピーマンの味噌炒め、今年まだ作って食べてない。

どの季節も魅力的な果物は多いけれど、夏は別格。
プラムは短期間でおいしいのが変わるけれど、大石早生しか食べてない。
スイカも一回しか食べてないな。
日本の旬には関係ないのだけど、マンゴーやパイナップルも食べておかなければいけない気がする。
桃!今年は桃と茗荷の官能的なまでの相性の良さを教えていただけていい夏だったな。

その季節にもある、自分の中での、その季節や季節の変わり目を象徴する音楽。
それも夏にはとても多い。
夏の訪れを感じた時のもの、いつまでも続きそうなジリジリとした太陽に倦んだような気分のときに聴くもの、
夏の夕暮れに聴きたいもの、夏の終わりを感じた時に聴きたいもの。

とにかく忙しいのだ。
少しでも逃してしまうと、あっという間に果物の旬は終わるし、その曲にぴったりの肌触りの空気感は無くなってしまう。
いつも焦った気持ちでいる気がする。

だから、空が高くなって、空気に秋の匂いを感じ、夏の終わりを悟るととても安心する。
ああ、やっと終わる。

それと同時に寂しさも感じる。
制約の多い環境から逃れた時の、清々しいけれどなんとなく心許ない時の気持ちに似ている。
もしくは、言い寄ってくれていた年下の男の子が、ふっと近くからいなくなってしまった時みたいなかんじ。

私は結局のところ、夏が好きなのか嫌いなのかいまだにわからない。

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