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Ich lebe...

男だったら、AVを観る代わりに地球の歩き方【ドイツ】でシコっているに違いない。
ただふっと好きになってしまっただけだ、好きになる始まりはいつだってそのようなものだ、わかっている。
それなのに、もはや狂わしく、巌窟王が四半世紀ぶりに日光を浴びて立ち眩むくらいには、ドイツの魅力に支配されてしまったのだ。単語を聞くだけで身体中の神経が条件反射で興奮する。

久しぶりに再開したアプリのパスワードがdeutschland (ドイツ語でドイツの意味)だったときはさすがにぞっとしたが、とはいえ現存のパスワードにだってmunの文字列が入っている。これはMünchen(ミュンヘン)を意識しまくっている。
今日は帽子もシャツも腕時計もリュックも煙草も本も聴いている曲もドイツのものだ。気分爽快。このまま噴水のある公園で寝転びつつビールで乾杯したい。ああドイツ。

ドイツ国内にいるとき、綺麗な噴水塔のあるマンハイムに往復8時間かけて行ったことがある。写真一枚見て惚れてしまったから、この噴水塔のある広場で寝たいという純粋すぎる想いを果たすため、ボンから乗り継いで行った。滞在時間は4時間だったが、理論上の効率の悪さなどは知ったこっちゃない。至上の幸福が噴水塔には確かにあったのだ。あんなときほど生の喜びを体感し得ることはない。

同時にタナトスが最骨頂に達するのもドイツにいるときだが、それだって構わない。生きていても死んでいてもドイツなら何だっていい。私には同じことだ。

海外旅行反対派だった両親まで、私が英語を勉強すべき高校生時代からドイツ語単語を壁やトイレに貼りまくって暗記し、机にはノイシュヴァンシュタイン城やらドイツの魅惑的な写真を貼っていたからか、ドイツへの一途な想いを認めてくれたらしく、他の国へ行く話をすると不快そうなのに、ドイツの話には喜びを感じてくれるようになった。それどころか新聞に載っているドイツに関する記事を切り取っておいてくれる。

ドイツへ行ったら日本に戻りたくはない。その理由も感傷も自分は持っていない。一度放し飼いにした鳥を、堅苦しい縄で縛り付けるようなものだ。好きにさせていただこうと思う。矢で撃ち抜かれても、堕ちていく地がドイツなら私は穏やかでいられる。ドイツが好きだ。其処にいたい。ドイツにいるとただそれだけで、魂に精力が注入されたように喜怒哀楽も感性も孤独も増量し、自然なるものが全身に蘇る心地だ。身一つで飛んでいきたい。現実的な話をすると、ドイツで買ったハーモニカとドイツで買ったドイツ語の哲学書一冊は旅のお供に持っていきたい。あとは全て捨てていく覚悟がある。

何だっていいからドイツに行きたい。ドイツにいたい。ドイツに帰りたい。ドイツが好きだ。

#エッセイ #ドイツ

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