「失恋してた方がいい文章書けるね」

君は出来事を小説のストーリーみたいに捉えて、キャラ付けしてるしバッドエンドを導いている。人生で事あるごとに一大イベントがあるよね、少なくとも一年に三回とか?






暫く何も文章を書かない方がいいのかもしれない、というよりそんなこと明白だ。

太宰治が書いていたはずだ。小説家なんて奴は故郷に捨てられる、と。

私の場合は友人だったり好きな人だったり、もっと身近なところで人と距離を置かなければ、あるいは自身が少し壊れてしまわなければ、文章に成り得ないからという理由で周辺が崩れ去っていく恐怖に襲われる。

というのに、世間と自分の溝を埋めて生きて生活していくためには、文章を必要としている気がしてならない。
生きていくには文章に縛られないでいた方がいいのだとわかっているはずなのに、もはや血肉となった文章から逃れられず、振り切ろうとすれば血が吹き出る。
何か書かなきゃ息をしていない気になる。
読まなきゃ救われない気になる。

死にたいほど心が抉られる出来事があったら、それを何とかして書き残してやろうと、絶望真っ只中から少しでも回復したならば渇望している自分がいる。

化け物だ。現実を見ろ。何でも自分の思い通りに物語ることができるはずはないのに。
それでも書くそれでも書く。AIにだって書けるようなただ上手い文章なんか目指していなかった。どれだけ自分を深掘りできるか、世界を見つめられるか、真実を探り当てることができるか、そればかり。

そうして自分は擦り切れて周辺の人々は去っていく。何もいい事なんかありゃしない。
それなのにそうしなきゃ生きていけない。狂ったみたいだ、なんてことをただ書き付けることで落ち着ける。矛盾。

#エッセイ #文章

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