問答

天使が佇む。くるくるカールした髪、中性的な顔、思わず触れたくなるような柔らかく丸い手足。ストロベリーシェイクを塗りたくったみたいに、可愛さに囚われた頬をしている。

そして、私を覗き込む。父母に殴られた試しのない無防備っぷりで。


「君はなぜ顔を背けるの」

「天使よ、キミは眩し過ぎる。私を視線で虐めるのはやめておくれ。私はもう現世で充分肉体を酷使したのだから」

「それに、心も、でしょう」

「何も言うな。どこまでもまとわりつくんだな。死ねば無に帰すのだと思っていた」


「君の魂は何処に行くにも不満を残すに違いないね。君のいう現世にだって、随分やり残したことがあるようだ。全部、言ってみなさい。時には吐き出さなきゃならなかったんだよ」


「言っても無駄だったのだ。天使にはわからないだろう。私は人間に失敗したんだ。生まれるところからやり直すべきだった。
……こんな発言を誰が真に受けるんだい。ますます変人扱いされ、疎ましがられるか、肯定的に受け入れようとする人がいたところで、私はサーカスのピエロ扱いさ。望みもしないのに常に道化を演じ、本当の人生なんてなかったのだ」

「じゃあ本当はどうやって生きていくのが自分の道にかなった、素晴らしい人生だったと言うの」


「言ってやろう。いや、言わずとも、日常に溢れていると思える状態こそ、私が望んでもかすることすら出来なかったことだ。渇望し、もはや私は力尽きて溶けるように倒れゆくしかなかったのだ。

例えば、こんな生活だ。

優しく、時に厳しい家族とあたたかい食卓を囲む。私も時には手伝って、家族が驚くような食事を提供してやるのだ。その日あった出来事をパラパラかいつまんで話し、自然と笑顔が生まれるような環境さ。

生活と結びつく学問に身を入れる。何をやっているのか、就職はどうなのか、聞かれる度に恥ずかしげもなく答える。

付き合って一年を迎えた恋人がいる。思い出のアルバムには、二人の笑顔の写真が詰まっているのだ。手を繋いで街を歩くことも、愛のあるセックスをして共に眠ることもできる。

都会からさほど遠くはない程よい田舎に定住するといい。そこでは周囲の人に悪意なく挨拶できるのだ」

「ほう、それらがそんなに羨ましく、また君には実現不可能だったというのかい」

「まさにその通りだね。私が実現を志し、こうした普通の理想に近づこうとすればするほど、自分のものではない蜘蛛の糸でもがくようで、ますます身動きが取れず、都合よく何者かに餌にされそうになる。

まず、家族だ。いつの間にやら、彼らの存在は単なる足枷にしかならなかった。鉄の、所々棘のある足枷だ。家族の葬式で私は嘘の涙すら流すことが出来ないだろうから、私が一番先に人生と別れるのがせめてもの恩返しといったところだ。

それにそうだ、私は弟妹となんて違ってしまったことだろう。愛嬌もなければ、生活能力もない。強制ではなく、私の関心領域が彼らのように料理や裁縫だったらそれだけで存在価値が見いだせたかもしれない。

ところが、私が惹きつけられたのは文学や哲学だ。何の生産性もないと常に責め立てられる。私は望んだのではない、向き合うしか生きていく術がなかったのだ。選択の自由はなかった。考えること、疑うこと、伝えること。泥臭い人間的営みであった文学や哲学は、いつの間にやら社会の除け者として烙印を押され、生活の手段を断たれた。

考え、知恵を身につければつけるほど、世界は生きにくくなる。ものを知らない能天気な馬鹿者の方が、よっぽど生きやすいのだ。流される鮭になった方が成長できるし、滑らかな歯車の方が要請される機能を果たせる。考えることを放棄した人間はもはや人間ではないだろうに、そんなことはない、そんな非人間の方が呼吸をする分には不都合がないのだ。

では世間に蔓延する恋愛はどうだ。
天使に私の苦悩はわかるまい。元より、誰にも理解され得ないのは重々承知でこれまで生きてきた。

私は私のようなやつを好きにならない人こそを好きになるのかもしれない。あるいは、どれほど近づいても立派に築かれた友情の壁は壊されないのだから。
好きな人から目の前で恋人やセックスの話を笑顔で持ち出されるとき。私は笑顔で聞き役に回る。涙を見せれば関係は一貫の終わりだと、神経の端々まで周知だ。

私が好きな人にとって同性だからかとも考えた。でも単に性別の問題ではないのだろう、自身に魅力が欠けているのだろうととらえ直した。そこで内面的魅力を探ろうと、内奥に潜み、精神的修行を積んだ。

私の愛はどこまでも深いものであるべきだ。そうであるなら、性欲は忌み嫌う対象だと思った。ところがどうだろう、何て真っ直ぐいかないものだろうね。
私は自身の精神を重んじ、肉体を切り離し邪魔ものと認識していたはずなのに、私の性欲なるものは爆弾の破壊力だったらしい。私は度々性的な夢に苛まされてきたが、それが現実になってきたのだ。性欲という最も忌み嫌うべき火種が、長らく切り離し得ようとしつつも実際はそうできなかった自身の肉体に、宿ると知ってしまったわけだ。

私はそれでも好きな人を傷つけたくはなかった。そもそも、友情としての仲がどれほど縮まったとしても、その他の男女で行われうる事に対しては非常にブロックが硬く、まるで別世界なのだ。
そのうち好きな人自身さえも、私に潜む不埒な(といつだって見なされる)欲に気づいてしまったのか、私から気配もなく離れていった。友情さえも簡単に修復不可能になるものだ。絶対や普遍は夢物語なのだよ。

そうして私は見知らぬ人との一夜の逢瀬の渦に巻き込まれていった。私に感情があろうはずもなかった。
好きな人には一生触れられないのに、そうではない人とは適当に接触可能なのだから皮肉といっても足りない。肉体的に快感であればあるほど、私の心は分離していく。一箇所にとどまる安定は捨てていく、私は常に旅人の精神を持つ。


そもそもの話をしよう。私が肉体を嫌悪するのはセクシュアリティが多数派ではないからという理由も大いにあるが、まずそれ以前だ。 事故で一生消えない傷跡があるとか、それだけでも済みやしない。

私は人間でないに違いない。本当は小鳥か何かに生まれるのが正しかった。人間にシンパシーを感じたことなどただの一度もない。
あらゆる点でマイノリティーだから、という理由をつけたところでそれはまだ人間でいられるだろうが、私は自分がそうでないことを悟った。

魂だけになって生きていきたい。本当は死にたいわけではないのだよ。肌ではない部分で、確かに「ある」「いる」ことを感じるのだ。そして生きる喜びに包まれるのだ。


天使よ、君にわかるだけのことを告げたよ。内実はもっと複雑で、到底説明しようがない。私とまるっきり同じ人生を経験してもらわなければなるまい。そんな暴言を吐く気はないけれどね。

誰にでも自分だけの秘め事があるのだろうと思って、私だって自身を特別扱いしたい気なんてまるでなく、適応しようと終始試みていたのだよ。

気づいたら、私の生命の糸が切れていた。ただそれだけのことで、今ここにいる」


天使は黙って私の瞳を射抜く。

#小説 #生死

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