見出し画像

お坊さんの死生観日記 ~思想と臨床~ #007「Fujiyamaから愛を込めて」

おはようございます。昨日は、お寺で年に一度の大法要があり、さらに、年に一度あるかないかの重要会議が、その後に行われました。当山で1日のうちにこの2つが起こるのは、10年振りでしょうか?! そこで僕は、この数日は「1年で一番忙しいんだよ」と妻に話したところ、「1年で一番忙しい日々が年に何回かあるよねえ」と切り返されました。「・・・確かに。」

「忙しい」というセリフを、・家事をしない・育児をしない・妻のフォローをしない、ことの「免罪符」にしたがる世の男性諸君に伝えます。

期待する効果は、さほど得られないようです。


さて、何はともあれ、この3日間は物理的に時間がなく、Note更新もできなかったし、昨日は気疲れもしたし、終わった後は、実際極度に疲弊していたので、実際、忙しかったのでした。(この際、主観実感でいいや♫)

どんな法要だったのかと申しますと、昨日4月13日は、「御霊宝御風入会」という年中行事でした。代々お寺に伝わるお宝物(鎌倉時代の宗祖・門祖直筆の御漫荼羅や書籍などですね)を、蔵から出して、吊るしたり立てたりし、風に晒して虫干しをするという法要です。展示形式にするので、法要後、参拝者も、それらの御霊宝を拝観することができます。今年は、奉奠する(展示する)御霊宝の中に、鎌倉時代に作られた「太刀」二振りがありました。

大きい方の刀剣には、「備前長船住」、「嘉禎三年二月」(1237年)との銘があり、宗祖日蓮聖人に献上され、直弟子であり当山開基である日興上人に伝来し、御霊宝として700年以上格護されてきたものです。日蓮聖人は、天下五剣(日本の五大名刀)の一本とも言われる「数珠丸」の所持者としても有名ですね。

私も先輩僧侶のお伴で、当該二振りの刀を、刀剣愛好会の鑑定会に持参しました。そこで、人間国宝の刀鍛冶・砥ぎ師である本阿弥光洲氏を紹介頂くご縁を得、昨年初頭に修復・研磨を終えたところでした。元々本阿弥家は刀剣の鑑定や研磨を家業とする京都の由緒ある名家です。江戸時代の末裔、書家・芸術家の本阿弥光悦氏は、宮本武蔵とも交流がありましたね。

鎌倉時代は、荒くれ者のような警護人が武士として台頭してきた世情ですので、切り捨て御免やら、警備・裁判やら、権力も権威も持っていた時代でした。盗賊・山賊も多かったことでしょう。とりわけ、何度も命を狙われる法難を体験した宗祖は、護身用の刀が必要不可欠であると、信者側が判断し、命には代えられないと、こぞって献上したのではと推察されます。数珠丸も含まれるのですから。

しかし、数珠ではなく、立派な太刀を腰に携えた僧侶を想像できるでしょうか。『鬼滅の刃』に登場してくる、南無阿弥陀仏と唱える鬼殺隊・岩柱は、刀は持っておらず、数珠をジャラジャラ鳴らしているキャラでしたね。と、これは冗談ですが、確かに武装僧侶・「僧兵」はいました。「命を守らねば、尊い教えを伝えることはできない」という理屈でしょう。

宗祖に限っては、武装しているような絵図は見たことがありません。つまり描き残されていないのでしょう。どちらかというと、「非暴力・不服従」の求道者でありましたから(当時は「言葉の暴力」という概念は無かったと注記させていただきます)。いずれにしても、私たちが模範とする宗祖に、当時では最高級品とも言われる武器が献上されていた、という事実を、時代背景と共に、正しく認識する必要はあるでしょう。それは、広義に死生観を学ぶ上でも重要な点となると思われました。


「怒りは酸のようなもので、注ぐものにも増して、その器に大きな害を与える」    - ガンジー -

「いつも孤独で背後を気にしている」  - ジェームズ・ボンド -


P.S.   サブタイトルと本文はあまり関係ありませんでした。


おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?