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書きちらし寿司

努力の仕方がわからぬ。努力しないでも昔は有り余るセンスでどうにかなっていたので。ですから勉強習慣も、ほか何らの習慣もありません。

プライドは高いです。しかし、その中身はもうありません。

地頭はいいのだから、と言われます。知っています。しかし地頭の事を問題にしているのではなく、努力や根気強さについての話をしているのです。

仮に、これらが器質的なものであるならば、ではどうにもならないと絶望し、ただの怠惰であるのならば、では努力しなければならないと絶望します。


自分は何がしたいのでしょうか。何をしたいのでしょうか。

ここの所僕がしていることといえばインターネットのみです。ほか何もしていません。であれば僕にとってはネットをするということが根源的な欲求で、その他の欲求は下位のものなのでしょうか。

学びたいという欲求も本を読みたいという欲求も、自分の世間体とコンプレックスが生み出した虚仮に過ぎないのではないでしょうか。

生きる上での当面の目標がありません。

自分は何がしたいのでしょうか。何をしたいのでしょうか。


自分はよく思い込みや勘違いをします。たとえば思考の前提であったり、人間関係であったり。その最中の脳はもう使い物にならない。であればきっと人と関わったりしないほうがいい。頭を使わないほうがいい。


他の人にとっては当たり前の事があって、しかも自分はそれを知識として知っていたとしても、自分にとってその必要性の実感がなければ実行できないのです。


或る人に、そのダメな自分を認めるところから始まるのだといわれたけれど、生きているうちにできそうにない。


これを投稿したらブルアカをやります。

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