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35歳のHADO振り返りと、36歳の目標

HADOに関して自分の好き勝手に書ける空間がほしいと常々思っていた。新しくドメイン取って、ウェブサイトでも作って…なんて思ってみたりしたものの、ウェブサイトって一度作り出すと見た目をあーしたいこーしたいという欲が出てくる。そうなってくると、作ることに満足してしまって記事なんて書きやしない。

そんなわけでnoteに徒然と思ったことを書いてみるなどしてみる。このnoteは99%の駄文でできているゆえ、まとまりなどない。まとめる気もない。ただただ35歳の1年を振り返る、ただそれだけのこと。

ABOUT ME

先に自己紹介でもしておくことにする。

僕の名は空閑U☆MA。普段は記事を書いたり編集したりしている。デジタル的なもの、ビジネス的なものが主。紙もウェブもいける。そのほかに、現在はとあるキャラのいわゆる”中の人”の一翼を担っていたりする。年齢は35歳、子どもは3人、若干くたびれたサラリーマンだ。

しかし、ひとたび会社を出るとPro eSports team思考行結のHADO部門、思考行結-あひる組-に所属してHADOに明け暮れているHADOプレイヤーの一人だ。

HADOを始めて1年と7ヶ月が過ぎた。これまでを振り返る

●始めたて〜約半年

僕がHADOを初めてプレイしたのは今から約1年7ヶ月ほど前の、18年1月25日だ。先述した通り、僕はもともと記事書きだ。なにかのネタにと思って体験したはずが、どっぷりとHADOの魅力にハマってしまったわけである。

笹食ってる場合じゃねぇ!(AA略)

まさにこんな感じ。さっそく社内で平均年齢34歳のチームを作り、18年3月21日に開催されたビギナーズカップ#1に出場することとなった。ちなみに華より酒!の面々は個人的に僕と同期である。初めて参加した同大会では悔しいかな、フルセットの末に華より酒!に敗北し、4位という結果となった。

それからいくつもの大会に積極的に参加するものの、結果を残すことはできなかった。唯一残した爪痕は、18年8月5日に開催されたビギナーズカップ# 7で、僕が現在所属している当時のあひる組と優勝をかけて決勝戦を争ったことくらいだ。結果は準優勝だったが、当時所属していたチームは見事(?)おじさんの星として空高くに舞い上がっていったのだった。

●約半年〜2018年末

ビギナーズカップ#7を終えて燃え尽きてしまった当時の所属チーム。しかし、僕個人はまだ燃え尽きていなかった。そこで考えたの新しいチームを作って人を誘うか、それともどこかのチームに移籍するかの二択だった。

しかし、当時のHADOの状況は今ほどプレイ人口も多くなく、新チーム結成はとても難易度が高いものだった。トップチームに肩を並べる、あわよくば喰らうという志を掲げて練習するという人はそう多くなかったのだ。自ずと選択肢はチーム移籍しかなくなったわけだが、僕にはこだわりもあった。

移籍できるならSUPRING CUPやらSUMMER CUP、WORLD CUPといったいわゆる本戦出場経験のないチームじゃないと…と。上を目指すならそうじゃないとかっこよくないくらいに思っていたからだ。

だけど、よくよく考えてみると当時35に片足つっこんで、試合のたびに体力を心配されていたオッサンを受け入れてくれるチームがどこにあるのかと。しかしいたんだ。1チーム。

ヒュブリスの前P主催で行われたお疲れサマーカップ終了後、あひる組のリーダーRuhiaTと話す機会があった。それまでほとんどしゃべる機会はなかったが、その時は偶然隣りにいて、今後どうするのかと聞かれた気がする。

きっとこの会話が僕にとってHADOを続けていくうえでターニングポイントになったのだろう。僕はあひる組に迎え入れてもらえることになった。パパ誕生の瞬間だ。あひる組の一員になってからは本当にあっという間に月日が過ぎていった。

CLIMAX SEASON 2018ではADVANCE CUP #2の準優勝を皮切りにCS予選 ③で優勝、チームとしても自身としても初めて本戦への出場権を獲得した。(CS予選③までの間に現在のPro eSports team思考行結に加入し、思考行結-あひる組-へとチーム名を変更)そして大舞台に立つ前の最後の試合となったADVANCE CUP #3を優勝して締めくくることができた

●HADO WORLD CUP 2018

あひる組はチーム結成から約7ヶ月、僕が加入してから約3ヶ月で僕らは大舞台も大舞台、WORLD CUPの舞台に立つことが叶った。いきなりWORLDだ、ワールド、世界。もちろん狙うは初出場世界一、のはずだった。

インドネシア代表「Java Glitch」との初戦。初めての大舞台、初めての海外チームとの対戦という未知の世界のダブルパンチに、自称本番に強いタイプの僕もぶっちゃけブルっちまったぜ。結果的に勝利を収めたものの、これが大舞台で試合するってことなのか…などと思ったのは内緒だ。

その後、香港代表のCROSSFIREにも無事勝利し、決勝トーナメント進出をかけたヒュブリスとの直接対決に敗れてしまったものの、敗者復活戦を経て決勝トーナメント進出を果たしたあひる組だったが、準決勝ではわちゃごな☆ピーポーに実力の差を見せつけられ、3位決定戦で苦しめながらも力及ばずヒュブリスの前に倒れた。

つまりは4位、ベスト4と言われれば聞こえはいいが、入賞にはたどり着けなかった。35歳にして悔し涙を流すとは、HADOを初めて体験した11ヶ月前の当時の僕も思ってはいなかっただろうなぁ。

●2019 SPRING SEASON

2019年新春、事件は起こった。年が明けて3日目、自宅でイスを引こうとした瞬間、腰に激痛が走り、立つことができなくなった。

”選手生命・・・終わりだ”

SLAMDUNK 30巻で桜木花道が言い放ったセリフが脳裏をよぎる。ギックリ腰だった。思い出した、妻は厄年だ。僕はいきなり洗礼を受けた。およそ10日間もの間、満足に動くことすらできず、年始のスタートダッシュは見事にエンストした形だ。

同シーズンからランキング制がスタートし、HRP(HADO RANKING POINT)の獲得を争うスタイルへと変化した。MASTERS CUP #1 ~#4では思うような結果を出すことができず、予選リーグ敗退を繰り返し、苦しい状況が続いた。

そんな状況が一転したのがMASTERS CUP #5だった 。それまでいまひとつチグハグだったチームの歯車がうまく噛み合うようになって、いきなりの準優勝。この勢いはSPRING CUP予選①でなんとしても出場を決めたかった僕らにとって良いカンフル剤になったようで、同予選①では無事優勝してSPRING CUP本選出場を決めることができた。

SPRING CUP本戦、初戦の相手は2018シーズングランドスラムを達成した絶対王者わちゃわちゃ☆ピーポー。練習試合を除くと1度も勝ったことのない相手。結果は初戦敗退、敗者となった我々はHADO SPRING CUP 2019が閉会するのをただただ眺めるだけだった。

●2019 SUMMER SEASON

春シーズンには5回もあったMASTERS CUPが、夏シーズンではたったの3回。HADO JAPAN LEAGE 2019 SPRING(本戦出場チームのみが出場可能な長期リーグ戦)で獲得したポイントのおかげでランキング4位に浮上した僕らにとって、死守すべき位置だった。もちろんランキングの順位を上げる意識でいたので4位死守は最低限の目標だったと思っている。

#6 :準優勝
#7 :3位
#8 :3位

と、結果は満足いくものではなかったが全大会で入賞を果たし、最低限の目標であったランキングでの本戦シード権を獲得できたことは正直ホッとした。

特に# 7前の2週間は、自分でも驚くほどに結果を出せない日々が続いていたが、それでも負けたら予選敗退確定かつ相手は絶対王者わちゃわちゃ☆ピーポーという、重要な局面を任せてくれたチームの皆には感謝申し上げる。ちなみに公式戦対わちゃわちゃ☆ピーポー初勝利でもあった。

夏こそ春の雪辱を。

そう意気込んで臨んだSUMMER CUP 2019だったが、準決勝で行く手を阻んだのはやはりわちゃわちゃ☆ピーポーだった。春より健闘したと思う。しかし、それでもまだ僕らは彼らに及ばなかった。3位決定戦にまわった僕らにまたもや立ちはだかったのはヒュブリスだった。勝負っていうのは決するまでわからんもんだなぁ。WORLD CUP以降、夏シーズンは1度も公式戦で負けなかったヒュブリスに、1番大事な局面で負けてしまった。35歳、2度目の悔し涙だった。

めっちゃお父さん感あるなぁ…としみじみ。そんなこんなで僕らの夏は終わった。

36歳の目標

36歳の目標はもちろん日本一、そして世界一になることだ。それ以外にない。つい先日の練習で僕は体力のなさを痛感した。まずは2時間ぶっ通しで動いても大丈夫なくらいの体力をつけるところから始めようと思う。とりあえずはそこからだ!

もうひとつ挙げるとするなら、目標に到達、達成するためにどうすればいいか、考えながら1つ1つプレイする。うまくはいえないけど、今まさに実践していて、なかなかうまくはいかないけれど、ちょっとした手応えは感じつつあるところとだけ。

とまぁ、36歳を目前にしてただただ35歳の1年間を振り返っただけだけど、36歳になる1年は、35歳だった1年よりパワフルに頑張ろう。これからは僕のHADOをプレイするにつれてルーツになっているバックグラウンドや、そのときそのときに思ったことなんかを書いていこうと思ってるよー。

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ここからは厚かましいお願い。

HADOの元祖パパプレイヤーと言われる僕を応援、支援してもらえると嬉しいです。

ふぅ、なにはともあれ36歳になる前に、キーボードをタイプすることができてよかったよかった。

いただいたサポートはHADO活動費としてありがたく充当させていただくほか、僕がどんどん若々しくなっていきます。