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#53 日光御成道岩槻宿【まちの風景】
(2022年9月3日土曜日 訪問)
岩槻には、車では過去2回、ひな祭りの時期と岩槻城址を見に、2人で来たことがあります。ソロ活するようになってからは、人形博物館とその近隣散策、それとひな飾りを見にやはり2回来ています。そこそこ観光スポットはあるものの、いつも静かで人混みのストレスもないのでお気に入りの場所。
今回の目的は、日光御成道の歩いてない町並みを見ることと、もう一度岩槻城址に行くこと。
まずは、駅構内にある観光案内所で、観光マップをもらいます。
いつもならマップしか見ないのですが、今回ブログの記事をまとめるのに、説明文がとても役に立ちました!
【城下町岩槻】
鎌倉時代から町場が形成されていたと推測される。戦国時代になり、岩槻城が築城されるとともに城を中心とする都市形成も本格化された。戦国時代末には城と武家屋敷や土塁と堀が築かれ、岩槻城と一体化した城下町岩槻が確立した。
江戸時代になると、城下町が再編され、日光御成道など街道沿いには町屋が配置され、岩槻は宿場町としての性格も併せ持つようになった。
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マーキングをした箇所が今回立ち寄ったところ
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その後ろの衣料品店が目を引きました
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今思うと、路地裏まで入ってみればよかった〜😥
最初の目的地は、東玉(とうぎょく)大正館。
「東玉大正館」(旧中井銀行岩槻支店)。
大正10年、中井銀行岩槻支店としてレンガ造り2階建ての店舗が建設され、100年が経過する。昭和32年、富士銀行より東玉社長・戸塚氏が譲り受け、現在は人形の東玉の姉妹店「えいとく」の店舗として活用されている。
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もしかしてこれって中に入れたのかな?
この扉を開ける勇気はなかったけど…
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2回位は来ました(ひな祭の時期がオススメ)
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茶房と貸しギャラリーのようでした
ここも、扉を開ける勇気がなく外観の写真のみ
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右隣はカラオケ喫茶「団塊」
オーナーが団塊の世代の方なのでしょうか笑?
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1番左の居酒屋以外はもう営業してないのかな?
そして、次なる目的地「時の鐘」を目指します。
【時の鐘】
寛文11年(1671)に岩槻藩主が城下町に時を知らせるために設置した鐘楼。その後享保5年(1720)に改鋳された鐘は県内最古の「時の鐘」として、現在でも1日3回、時を知らせている。
先日、川越の時の鐘を見たばかりですが、岩槻の方が古いということなんですねー!しかも、まだ現役で活躍しているとはびっくり!
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川越よりはコンパクトですが、それなりに立派!
次は、駅からはまあまあ距離のある岩槻城址公園へと向かいます。
歩いて行くのは初めてなので…足は大丈夫かな?😥
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うっかりすると見逃しちゃう位目立たないです
【岩槻城】
15世紀後半に築かれた城で、別名「白鶴城」とも言われている。
天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐の際、岩槻城も落城し、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすと徳川家康が江戸に入り、岩槻城も徳川の家臣・高力清長の居城となった。
江戸時代になると岩槻城は、幕府要職の諸代大名の居城となり、幕末までに9家24代の藩主が治めた。
明治維新後、岩槻城も廃城となり、城の建物は各地に移され、土地は払い下げられて、およそ400年の長きにわたって続いた岩槻城は終焉の時を迎えた。
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公園の遊具で家族連れが何組か遊んでました
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桜の季節に初めて元彼とここを訪れました
それなりに混んでましたが素敵な花見スポットです🌸
そして、わずかに残された岩槻城跡をもう一度めぐってみます。
前回は2人で来たのですが、その時のことを思い出すとちょっと胸がキュンとしますねー😔
ずいぶん2人であちこちのお城巡りをしたので…
でも人はいろいろと乗り越えて強くなるんだ❗️なんて思いながら😅
ファイトー‼️自分☺️
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この辺に来ると雑草が凄いので蚊がぶんぶん飛んでます💦
何とか刺されずに逃げきった〜
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静岡県の山中城を検索すればイメージがわくと思います
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城郭の面影がうっすら残されている
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【岩槻城城門】
門扉の両側に小部屋を付属させた長屋門形式の門で、幅約13メートル、奥行き約3.7メートル、屋根は寄棟造でかわらぶき。
廃藩置県に伴う岩槻城廃止により城内から撤去され、浦和の埼玉県庁や県知事公舎の正門、岩槻市役所の通用門等として、移転・利用され、昭和45年この地に移築された。
この時点で、およそ2時間歩きっぱなし。そろそろ、冷房の効いた涼しいところで椅子に腰掛けて休憩したいと思い、そういう場所を探したけれど公園近くでは見つからず。
仕方ないので、人形博物館正面にある交流館の屋外カフェで休憩しようと思い、重い足を引きずって歩きました。
(この辺はコミュニティバスも1時間に1本なのでちょっと不便)
途中、諏訪神社、浄源寺、武州鉄道岩槻駅跡(看板のみ)を通過して、「江戸小路」へ入ります。するとそこで、何か気になる看板のお店を発見‼️もしかしてここで休憩できるのかな?と思いウロウロしていると
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とにかく汗だくだし疲れたし、休ませてくれ〜‼️って気持ちだったので
すると、外からおじさまが声をかけてきて、どうやらここのオーナーさんだということがわかりました。
陶芸品の体験もできるそうですが、中だけ見せてもらうことに。
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江戸木目込人形専門の工房を創設した「初代・石川潤平」さんのご子息。
今は伝統工芸士として人形作りを受け継いでいるそうです。
【岩槻と人形】
埼玉県は日本最大の人形の生産地。中でも岩槻は関東大震災以降、人形の一大生産拠点として成長した。
岩槻に人形産業が発展した背景には、周辺の鉄分を含んだ水が顔の発色に良いこと、また岩槻周辺は以前から桐の産地で桐箪笥作りなどにより頭の材料の桐子が入手しやすかったことなどが挙げられる。
岩槻の人形は、主に岩槻人形と呼ばれる“衣装着人形“と“江戸木目込人形“の2種類があり、両方とも経済産業大臣指定「伝統的工芸品」の産地指定を受けており、今日でも数多くの職人により、昔ながらの手仕事で作られている。
人形博物館とか見に行ってる割には、人形の事は全然詳しくないので、石川さんから色々とお話を伺って、少しわかってきました。初代のお父様はウィキペディアに載ってるくらい、木目込人形づくりで有名な伝統工芸士だと後からネットで調べて知りました。
木目込人形というのは、服を着せていく方法ではなく、土台の木に筋目を入れて布をはめ込む作り方だそうです。
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ねぶたの原型と書いてあるこの飾りが気になったので尋ねてみると
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岩槻では20年位前までねぶた祭りがあったそうです。
6畳間位の大きさのねぶたを、10~20人位で約2ヶ月かけて製作していたとか。高齢化により、後継者もいなくなったためお祭りはなくなったそうです。
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わずかな時間でしたが、お話を聞くことができてよかったです!
石川さん「今日はお一人でいらっしゃったんですか〜?」
自分「はい、いつも1人で出かけてるんですよー☺️」
石川さん「1人のほうが気楽でいいですよね♪」
自分「一緒に行く相手もいないもんですから!😄」
石川さん「あ、ハハ、、、😅」
なんて会話をしながら、お別れしました〜。
そして、石川さんご本人が製作して寄付されたという、すぐ近くの公園にあるオブジェ(イス?的な遊具?)を撮影しに、立ち寄ります。
(石川さんの写真の右側にある小さい模型がその原型です)
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右側奥にある3体の石の椅子が石川さんの作品
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結局、交流館の屋外カフェも混み合っていたため、私の休憩タイムはとれないまま、岩槻駅にとぼとぼと戻りました。
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岩槻でこういった蔵はほかに見当たりませんでした
ようやっと駅に到着‼️
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【今回のまとめ】
①日光御成道唯一の宿場町・岩槻宿
②岩槻城址と城下町・岩槻
③人形のまち・岩槻
今回は、岩槻の歴史と文化を贅沢にひとまとめした感じの街歩きでした。見所が多くて良い場所なのに、なぜか観光客が少ない😅
いやいや、逆にマニアックな人にはオススメのスポットです☺️
日光御成道の怪しげな商店街の路地に入ってみたりとか、ここは閉まっているのかなと思う扉も思い切って開けてみるとか、もう少し果敢にアタックすればよかったかな?とちょっと後悔。
人形師の石川さんとお話しできたことが、今回最大の収穫でした!
歩行距離 7.4キロメートル
歩行歩数 1万2296歩
上った階数 9階
使ったお金 往復の交通費+駐輪場代
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