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異形の匣庭⑬-2 【穢】

 無威徳(六道の内の1つ、餓鬼道に産まれた飢えと乾きに苦しむ人)がそのままこの世に這い出たかと見間違う様相を呈していた。
 打ち捨てられた納屋よりも風吹けば崩れそうな家。口にはしなかったが、本当に人が住んでいるとは思えなかったのだ。
 村へ入るとそれらから群がる蟻が如く何かが出てきて、思わず慄いた。
 眼は落窪み頬に張り付いた■■は褪せ痩け、今にも引き裂けそうな程。肉付きの全く無い手足は枯れ枝のよう。
 案内をした男がまだまともな格好をしていたのだから、これもまた驚きの一つである。
 数は20余り。皆一様に奇異の目を私に向けている。
「■■■(恐らく人名)これは一体どういう事だ」
 前に進み出たのは四十を過ぎた男で、名を嘉助(かすけ)と言った。身体は貧相極まりないが、目の上の太い眉が一際目立つ男だった。
「どうということは無い。彼の猪目家が長女だそうだ」
 案内した男が言うと数人を除き色めきだった。ある者は辺りを見回し、ある者は怒りを顕にし、ある者は恐れ戦いた。
 事情を知る由もない赤子と顔の整った可愛げのある女子だけが、表に出さなかった。
「私は猪目家が長女、真千と申す者。我が一族が非道を詫びに来ました。この通り、済まなかった」
 地に伏せ頭を付ける。気の所為かもしれないが、沼の湿気て腐った臭いがした。
「あんた、1人で来たのか」
 右手から女が聞いた。そうだと答えると、女は蚊が鳴く様に
「殺せ」
と言った。声は次第に大きくうねり、村の大人達を巻き込んで一つの声となった。
 嗚呼、ここで死ぬのだな。
殺されても仕方の無い事を数多くやってきた。幼き頃はそれが普通なのだと思い、父様母様の言う話を当たり前だとしていた。心立つ(物心の意?)齢から勉学の何たるかを知るに連れ、自分と一族の考えと行ってきた所業が如何に畜生だったかを知った。
 私が死ねば、■■■■(恐らく家族の誰か)も妹達も心改めてくれるだろう。
 しかし、罵声は驚きに変わった。
 顔を上げると、私を連れて来た男が私の前に立っていた。男が言った。
「皆、待て。俺もこれを見掛けた時同じく思った。怒りに身を任せ殺してしまえと激しく思った。しかしそうしなかった。自分でもその時は分からなかったが、ここに案内するまでに思い至ったのだ。俺達は既に天(天皇か若しくは政府、世の中の可能性もあり)から見放され、人でないと烙印を押されている。人並みの扱いは元から無かったに等しいが、あの松江が諍いに組みし逃げ落ちたその時から、この世に俺達の生きる場所はここにしかない。だからこそせめて人であろうと生きているのではないか。人が人である所以は仏に顔向け出来ぬ事をせず、人を悼むところにある。俺達はまだ人であろうとしてきたではないか。だと言うのにここでこの女を殺せばとうとう人でなくなると思うのだ。それにだ。ここでもしかこの女を殺したとして、一時は心が晴れよう。してやったりとさぞ満足気になれるだろう。しかしもし殺した事が見つかってしまえば最後、俺達は根絶やしにされるのではないか」
 男の言葉を聴き、村の衆は押し黙った。■■■■■■■■。この男が道中その様な事を考えていたとは、考えられるとは思いもよらなかった。人としてなんたるかを知るには勉学が不可欠と思っていたが、それは改めねばならない。
 私は徐ろに立ち上がり、言った。
「私はこの身を以て償うしかないと思いここに来ました。しかし、今の言葉を聴き、私も一つ思い至りました。私は腐っても長女なのです。身の振り方はどんな風にも出来るでしょう。ここで殺されることも出来る。しかしやはり、生きねばならない。誠に身勝手ながらあなた方をどうにかして救わねばならないと思うのです。穢世と呼ばれるこの土地から、ここではない何処かへと照らし出さねばならない。そう思うのです」

 そして夜である。私を案内した男の家で柱に縛られたまま、会合が終わるのをこと静かに待っていた。穴の空いた屋根から鋭く月明かりが差し込み、照らしていた。 
 彼等は私を殺さずに捕え、一晩考える事に決めた。幸いここは人が寄り付かぬ山奥の更に奥深くである。猶予は過分にある。村の殆どの者達が一堂に会しているからか、1つの方向からあれやこれやと罵声に咽び泣く声が聞こえて来る。
 戸がすっと開き、まだ14にもならない見た目の女子が入って来た。
 名を初音と言った。
 私が名乗った際に(表情を)表に出さなかった1人だ。彼女はこちらに歩み寄り目の前に座った。
 物怖じしない肝の座った子だ、と思った。
「どうして貴女が謝るの」
 問われ私は答えた。
「私の一族が人と外れた事をしたからです」
「貴女もしたの?」
「そうですね。知らなかったとは言え、あなたくらいの年までは加担していました」
「どうして止めようと思ったの?」
「それが人として間違っていると気付いたからです。本来人には身分の差など無く、如何なる理由があろうと差など作ってはいけないのです」
 彼女は私の言葉をしかと聞こうとしていた。その眼にある奇妙な活力と魅惑が、私を困惑させる。
 有り体に言えばこの時、彼女の彼女という存在に魅入られたのだ。
「自らを地に落とす事せず、仏への信心を忘れず、如何なる時も世のため人のために生きる。それが人であるという事なのです」
「でも……乍二のおじさんが『自分達がこうなったのも自分達のせいだから世の中の為には仕方ない』って。だから私はこの村から出ちゃいけないって」
「……こんな事を言えば打首になるやもしれませんが、そもそも良い治世であればあなた達が立ち上がる必要も無いのです。なのにそれらを全て押し付けるなど……」
「優しいね」
「……」
 優しいなどと言われた事は初めてであった。穢多非人を庇うのは父様母様を筆頭に、傘下にある家々、ひいては藩の政に異を唱えるの同義。
 長女として変えねばならぬと、天からの使命だと思いこれまでやって来たが、心の内がすっと軽くなるのを感じた。
 初音がこの村において重要な役割を担っているのではないか。
「……何を」
 初音が私に近寄り縄を解こうとし始めたのだ。
「ここから逃げて。さっき盗み聞きしてきたの。みんな貴女を殺した方が良いって言っていたから」
「それならば」
 初音は首を振った。
「多分、ここで貴女を殺したら本当に私達は人から外れる……と思うから。私達の為に逃げて」
 何という子か。痩せ細り今にも手折れそうな手足とその体の中に、富士よりも大きな物を抱いている。■■■■■、生かし■■■■■■■。

 思う様に縄が解けず苦慮していると、戸が開いた。
「何をしている」
 見やると、案内した男が戸口に立っていた。

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