「1日のリズム」という秘密基地(10/30)
今日はすこぶる良い日だった。風邪の病み上がりなので体が本調子ではないけれど、やりたいことはほぼ全部できた。あとは小説と運動ぐらいだな。でも散歩は行って自然を感じた。
大変幸せである。自分のやりたいことがこうも具体的に決まり、それで満たされた1日のリズムが決まると、人はただ幸せになるらしい。僕がそれを証明している。そしてこのリズムは、人それぞれ全然違うから、みんな自分のリズムを見つける遊びに夢中になることができるということだ。
労働と言うものはなんとかしないといけないが、それをなんとかするのも、まずは自分の理想のリズムを見つけるところから始めるのではないだろうか。いや、違うな。そんな悠長なこと言ってられない状況もある。とにかくストレスな職場なのだと。そうしたら、まずはそのストレス源をなんとか減らしていくしかないのかもしれない。せめてマシなように、というマインドを持ち続けることが大事なんだと思う。
今日で導かれた1日の理想的な流れを備忘録的に書き記しておきたい。
1日の流れ
起きる
気分が乗っていれば夢見がちに小説執筆(やらなくても全然OK)
洗面でスッキリ
朝食
人文書などを読む(文章の種を書きながら)
昼食
カフェで文章制作(種をUlyssesで記事化)
自然散歩
ソフトウェア制作
食事
新聞
運動
入浴
日記を公開(記事化したもの)、SNSなど
夫婦でヨガ
小説を読む
就寝
クロノタイプは「オオカミ型」(夜型)なので、徐々にエンジンをかけていくリズム。
起き抜け(芸術)
起き抜けは夢うつつな状態を生かして小説を書くのもあり。
「芸術」が気持ちよくできそう。
午前(読書)
頭がまだ活発に動いていないので、とにかく色々読む。
読みたいと感じた本を並行して。線を引きながら。
思いついたことをツールに書く。
自由なアイディアがたくさん出る。
午後1(推敲)
頭が働き出すが創造性と合理性が良い塩梅で絡む時間なので、文章の種を整形し、推敲するのに適している。
タイピングしても良さげなどこかしらのカフェに行く。
合間(自然散歩)
考えを論理(ロゴス)で整理した後、自然(ピュシス)と戯れると(交響すると)、観念が発酵する感覚がある。
身体知に即したアイディアが浮かび、心が豊かになる。
午後2(遂行)
合理的な思考がよく働くためプログラミングに最適。
明確なタスクが1つずつスピーディに遂行するのが楽しい。
夕食後(新聞、運動)
食事直後なので、動かなくていい新聞。
タスク性の強い読み物なので、やりたいことを一通り終えたタイミングが最適。
お腹が落ち着いたら、運動する。
身体最も滑らかに動き、かつ汗をかいた後すぐお風呂に入れるタイミング。
入浴後(日記、SNS)
一日の出来事がほとんど出たので、日記をしたためる。
午後に書いた文章の塊を組み込む。
感情や記憶の整理になるのでこのタイミングがいい。ブルーライトを浴びるのでヨガの前には終える。
合わせて軽くSNS。
就寝前(クールダウン、小説)
ヨガやストレッチで入眠のモードに切り替えていく。
ベッドに横になって、読みたい小説を読む。なるべく今楽しんで読めるものを。並行読み可。
こんな感じだ。習い事でイレギュラーが発生したりするが、僕は基本この生活を送っていればめちゃくちゃハッピーなのである。これは世紀の大発見といってもいい。ノーベル賞ものである。多くの人にとっては何の価値もないかもしれないが、自分にとってこれほど素晴らしい発見はない。だから、飛空賞である。最高のシステム。
とかいいつつ、この枠組みは徐々にか、ある日突然か、破壊されるだろう。一部が破壊され、一度システムは劣化し、そしてまた試行錯誤の上、新しい習慣が生成される。あるいは、ずっと変わらないのかもしれない。
何にせよ、このリズムはかなりの納得感が自分の中である。妻以外の人とほとんど関わらなくていいお籠り環境。芸術的なことで遊べる余地。人文書という最高に楽しいインプットに3時間ぐらい割けること。ライフワークである文章の執筆に、美意識や培ってきた思想をふんだんに盛り込み社会を変える夢を見ることができるプロジェクト、かつ昔やったテレビゲームみたいにミッションを1人で黙々とクリアしていくプログラミング、わいふの美味しい食事とオモロいドラマ・アニメ、新聞で社会の知るべきことを少しずつでも頭に入れ、身体を動かし整え、昼間とは違って気楽に日記を書き、わいふとのヨガで心身をほぐし、好きな小説を読んで眠りに落ちる。それぞれのタイミングで音楽が生活を彩っている。
これが僕の生活のペースでありベースでもある。週に4日はこのようでありたい。あるいは秘密基地。社会が動いている中で、自分だけがひっそりと籠っている時間の部屋だ。この時間に基本籠る。もっと自閉的になると決めたのだ。そっちの方が幸せだと。つながりが過剰になりがちなこの世界において、自分の世界の中で1人遊びするタイプの自分が、ノーマルな価値観から見たら随分とひっそりと自閉的に生きているように見えるくらいがおそらく適度なのである。
昔から1人遊びは得意で、1番楽しくて、楽だった。そして、人と遊ぶこともまた楽しい。部屋に籠って思う存分遊べているからこそ、たまに外で遊ぶこと、つまりは人と社交することや共創することが、エネルギーは使うけど刺激的で世界を開いてくれるものになる。
今日は久々にホワイトモカを飲んだ。あの甘ったるさはきっと健康に良いものではないのだろうけど、何だか実家の近くのスタバでずっと飲んで未来を空想していたからか、開放的な未来の風を吹き込むスイッチにもなるのだ。たまには健康よりも、文化的な贅沢を。それが遊べる思考を養う。
久々にこの言葉を書きたくなった。
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いてくる
透明な清潔な風を感じないのか
ーー宮沢賢治
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