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【今までとこれから】 3回生 松田想人

こんにちは、今週noteを担当するブラジル・ポルトガル語学科3回生の松田想人です。
拙い文章になりますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
 
 
今回、僕が話の中心にしていこうと思うのは自分のサッカーライフについてです。
僕が最初にサッカーを始めたのは、はっきりと年齢や時期は覚えていませんが、かなり小さい頃だったと思います。
僕の父親は野球経験しかありませんが、なぜか当時家でずっとP S2でウイニングイレブンをしていて、それの影響でサッカーに興味を持ちE U R OやW杯を一緒に見ていたのがきっかけだったと思います。その頃、実況で覚えたワードは「カナリヤ軍団」と「無敵艦隊」でロナウドとラウールをよく使っていました。そんな僕のために母親が小学校の横にある地域クラブに体験に連れて行ってくれて、すぐに入団しました。
そこでサッカーの楽しさを覚えましたが、当時の僕は悪ガキだったのでサッカーも一所懸命だったのですが他の子のボールを遠くに蹴り飛ばし悪さばかりして、お迎えに来た母親がコーチによく僕のことについて言われ、家に帰っては怒られていました。初めに入っていたクラブは遊び半分でやっている子達が多いチームだったので、小学校高学年になるときには週の練習回数も多く毎週土日も試合があるチームに移り、毎日のように練習や友達と公園にいる時もボールを蹴っていました。そこから負けず嫌いな気持ちと元気さで中学校、高校と怪我なくサッカーに取り組んできました。

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今のサッカー部には居ませんが僕はこの京都外国語大学の併設短期大学に入学し授業の関係で短期大学在籍期間には練習にはほとんど参加できず何度もモチベーションを失っていましたが、サッカーをしたい気持ち好きな気持ちは相変わらずでした。
僕はサッカーの試合をするのは大好きですが、決まった練習をするのが昔からあまり好きではありません。
ですが、自分が思いもよらずそういう状況になった時、初めて今まで幸せな環境で毎日サッカーできていたんだと痛感しました。
あまり部活に参加できない状況で仲良くしてくれたサッカー部の仲間、マネージャーやスタッフの皆が居なかったらとっくに辞めていたと思ういます。編入までの日々には感謝しています。
 
2回生の終わりに編入試験に合格し、やっとの思いで新春に向けて少ない人数でしたが逆襲の気持ちを持って春休み、トレーニングし続けていましたが運悪く新型コロナウィルスが流行し始め、リーグ戦や部活動が禁止になり練習できない日々を違う形で迎え授業も1年間オンラインという異例な年になりました。
昨年度のリーグ戦は残念な結果に終わり、今年度のリーグ戦も1節目が終わりすぐにまた長い自粛期間を迎えました。
なぜか僕は自粛期間に入りすぐ、年齢のことも含め自分の体が今より元気である限りは何歳なっても体を鍛え、サッカーを続けたいと思うようになりました。そのために、自粛明け誰にも負けないようになるため自粛期間毎日のようにジムに通い鍛え続けました。
今回の自粛が明け、チームは2勝1分と負けなしできていますが、自分自身全く納得いくようなプレーの出来にはなっていませんし変に力が空回りすることも増えました。毎週切り替えて、ここから先の試合全てに勝ち、今までサッカーしてきた中で大学でのサッカーが1番良かったと最後引退する時の自分に思わせてあげれるように頑張っていきたいです。
 
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからもまだまだ、ブログは続くのでそちらもよろしくお願いします。

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・松田想人(まつだ そうと)
・出身: 大阪府
・学部: 外国語学部ブラジルポルトガル学科
・経歴: 阪南大学高校

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