私にとってミシンは特別ではなかった

はじめまして。こんにちは。

私は個人の仕立て屋です。所謂ハンドメイド作家と呼ばれる者です。細々とですが色んな方々の手を借りてなんとかここまでやってきました。自己紹介を兼ねて私自身の事をつらつらと書いてみようと思います。


私は大阪の裕福とは言えない家庭に生まれました。母の仕事は縫製でいつも忙しくしていました。知り合いの洋服をしつらえたり、内職をしたり時には近所の縫製工場を手伝うこともありました。
私は物心ついたころからミシンを踏む母の背中を見て育ち、針と糸とハギレで遊んでいました。
はじめて針を持ったのは幼稚園の年中の時。母に運針を教えられてひたすら練習したのをうっすら覚えています(今はできませんw)
小学校に入るころにミシンを教わり、3年生の頃には自分のギャザースカートやパジャマを縫っていました。そうそう、体操服のゼッケンを母に付けてもらった記憶はないです(笑) 自分で縫いつけてた。なんなら兄の分までやらされてた。体操服袋や上靴袋も自分で縫うのが我が家では当たり前でした。
納期が厳しい時には内職の手伝いも。エプロンのベルトのステッチや、スカートの脇部分の直線縫いなど、「まっすぐ縫うだけだから!」と母に頼まれ何十枚と縫った記憶があります。
今思えば小学生に売り物のステッチをさせるってどういう親なんだ?と思わなくもないですが、当時それほど母は忙しく、そして家庭は貧しかったのでしょう。

子供のころからこうしてミシンが身近にあった、いえ、身近にあり過ぎたせいで私はミシンが使えることがまったく特別なことだとは感じませんでした。嫌いじゃないけどこれを職業にしようとは微塵も思わなかったのです。学校を卒業した後は普通に企業に就職し事務の仕事に就きました。
結婚退職後もパートタイマーとしてスーパーやファーストフード店などで働いていました。

子供たちが小学校に上がる頃、ちょっとした縁で知り合った人から誘われ縫製の仕事を始めました。ちょうどハンドメイドが流行り始めた頃だったのです。イベントに出店したりしているうちに今の委託店さんで販売をさせてもらうようになり、現在に至ります。

もともとミシンが使えたことから成り行きで始めた縫製の仕事、やればやるほど奥が深くて難しい。通販で製図と縫製の教科書を買い独学で勉強しましたが、私は専門学校やアパレル企業など、正規のルートを経ていないことがコンプレックスなのです。
デザインにおいても、製図や縫製においても正解があってないようなのがこの業界。仕事の丁寧さ緻密さもピンとキリの差が激しすぎるこの世界でどこまでやったらいいのか分からない。そうしてもがいているうちに15年も経ってしまいました。

もっと早く教えを乞えばよかったと後悔しています。しかし今からでもきっと遅くはないと思っています。
Twitter が結んでくれた縁で、先月おふたりの方とお話しする機会を得ることが出来ました。どちらも本物の事業家さんで自宅で細々とミシンを踏んでいる主婦には雲の上の存在のような方です。有り難くもそんなプロの方のアドバイスを頂ける機会に恵まれました。

私は今年で50歳になります。とうとうこんな歳になってしまったか…という気持ちもありますが、子供たちが自立する今がきっと私にとっての良いタイミングだったのでしょう。ようやく本格的に取り組む時がやってきました。
不安がないとは言えません、でもそれ以上に今はわくわくしています。
学ぶことがこんなに楽しいと感じられるのですから、歳をとるのも悪くありません(笑)

最後に私の好きなガンジーの名言を紹介します。
『明日死ぬかのように生きよ
 永遠に生きるかのように学べ』






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