台湾の近代建築-新竹駅舎など--地域のお宝さがし-68

■所在地:台湾新竹市
 前回掲げた新竹駅の古写真(図1)を見ると、寄棟屋根を組み合わせた外観の中央正面に、アーチを架けた入口と時計台が配されていますが、内部の様子は残念ながら不明です。正面両脇に設けられたオーダーは、よく言えば骨太、悪く言えば重い感じがする意匠です(図2)。
 設計者の松ヶ崎萬長は、長いドイツの生活から、ドイツ流のデザインを得意としていますが、この重厚さがドイツ風なのかも知れません。

図1

図1 新竹駅舎

図2

図2 正面入口脇のオーダー

 現在の新竹駅は、戦後、数度にわたる改修工事を受けましたが、2003年、竣工90周年を記念して、中央時計塔のデジタル時計を元に戻すなどの復原工事が行われました(図3)。図1と比較すると、時計塔やアーチの形、両脇の柱、窓の形など、正確に復原されていることが窺えます。内部も、半円アーチの縦長窓、飾りのある窓台、右端のオーダーなどが美しく修復されています(図4)。

図3

図3 新竹駅舎(復原後)

図4

図4 駅舎内部

■新竹市立玻璃工藝博物館■
 新竹市は、日本統治の時代から工業用のガラス(玻璃)生産が盛んで、現在では、工業用ガラスのほか、コップや花瓶などの一大生産地となっています。このような、ガラス生産の歴史や製品を紹介・展示しているのが「新竹市立玻璃工藝博物館」(以下ガラス博物館)(図5)です。この施設は、昭和11年(1936)、日本の皇族や高官が滞在し、式典を催す「新竹州自治会館」(以下自治会館)として建築されました(注1、図6)。

図5

図5 ガラス博物館

図6

図6 新竹州自治会館

 設計は、「新竹州土木課榮繕係、設計者應爲該課:手島誠吾」、構造は、「鋼筋混凝土造之二層建築、貴賓室部分爲木造平房建築」です(注2)。つまり、設計者は、「新竹州土木課営繕係」の手島誠吾、鉄筋コンクリート造2階建てで、木造の平屋部が貴賓室という構成です。当初の平面図の二方向に突き出た寄棟屋根部貴賓室と考えられます(図7)。貴賓室と下部左隅に半円形のテラスが設けられていますが、現状では、下部の円形テラスが残されています(図8・9)。

図7

図7 2階平面

図8

図8 1階平面

図9

図9 円形テラス(現存)

注1)ウィキペディア「新竹市立ガラス工芸博物館」。
注2)同博物館の展示パネルの記述。

●設計者手島誠吾●
 手島は、「総督府技師森山松之助とその助手であった八阪志賀助」とともに、初代新竹神社(大正7年[1918]竣工)の設計に携わります(注3)。森山は、大正10年に総督府を辞して帰国しますが(第66回参照)、大正7年当時、手島と八阪は、総督府営繕課における森山の部下であったと思われます。
 その後、新竹州土木課に移り(時期不明)、「自治会館」(昭和11年竣工)、さらに、二社目の新竹神社を設計します(昭和15年竣工)。この間、「台湾建築会」の発起人会(昭和3年10月18日)への参加が確認されます(注4)。

注3)「市指定遺跡新竹神社跡」(新竹市政府)。新竹神社に関する記述                 は、同記事による。
注4)呉イクエ他「日本統治時代の「台湾建築会」とその会誌について」             (『日本建築学会計画系論文集第639号』2009年5月)。

●戦後の変遷●
 戦後、米軍顧問団が「新竹州自治会館」に進駐しますが、「光復後」、すなわち、日本による台湾統治終了後(1945年10月25日)に、憲兵隊が進駐します。そして、1999年12月、瓦屋根部や壁面など主要な部分が修復され、ガラス博物館として開館しました。

図10

図10 車寄せ

図11

図11 車寄せ袖壁

 修復された外観もさることながら、車寄せのスクラッチタイル、袖壁の開口部に施された青海波文様は秀逸です(図10・11)。

■伝統的住居■
 新竹市東部(関西地区)に、伝統的住居「四合院」が残されていました。「四合院」は、「院子」(中庭)の周囲に「上房(正房)」(主屋)、2棟の「廂房」(脇部屋)、「門房」が配された、中国の伝統的な住宅で、都市住宅などに用いられた形式です。

●中国西安市の四合院●
 西安市の「四合院」は、道路側に配された「門房」脇の入口を入ると、「院子」の正面に「上房」、左右に「廂房」が配されています(図12、注5)。なお、「門房」の道路側に開口部は無く、入口には頑丈な門扉が設けられています。

図12

図12 四合院平面(西安市)

 「院子」の床面には、黒灰色の煉瓦(塼[せん])が敷詰められ、樹木が植えられています。各房は、基壇の上に建てられ、「院子」に面して出入口や窓を設けて日照や通風を確保しています。屋根は、「門房」・「上房」が切妻、「廂房」は片流れで、軒と妻側の屋根端部(けらば)の出は浅くなっています(図13)。

図13

図13 四合院立・断面(西安市)

 各房の扉は桟唐戸や板唐戸に似ており、窓には組子が施されています。ことに、「上房」の扉の鏡板や窓に吉祥文様、2階部分には組子や植物文様などが施されています。

注5)図12・13は、引用大西國太郎他編『中国の歴史都市』p184(鹿島出             版会、2001年)より転載。

●新竹市の四合院●
 道路側に「門房」はなく、正面に門、その左右に低い煉瓦塀が設けられ、塀の一部に煉瓦積みを工夫して透き間が開けられています(図14)。塀の左側は、「廂房」です。煉瓦造の平屋建て、瓦葺きも切妻屋根で、軒・けらばとも出が浅く、妻面には装飾、開口の上部にはアーチが施されています。

図14

図14 正面の塀と廂房

 正面に配された、瓦葺きで棟が大きく反った平屋建ての「豫章堂」が、「上房」に相当すると思われます。入口両脇の壁面には、彫刻やレリーフ、窓には菱格子、柱上部には籠彫りが施されるなど、豊かな装飾で華やかな雰囲気が感じられます(図15・16)。

図15

図15 豫章堂

図16

図16 豫章堂入口付近

●比較●
 西安市の「四合院」は、外部に向かって閉鎖的で、内に広がるコートヤードハウス(中庭式住宅)のようです。閉鎖的に感じる要因として、各房の配置、塼の色(黒灰色)、夏は蒸し暑く、冬は乾燥して寒い気候が掲げられます。
 新竹市の「四合院」が、開放的に感じる要因として、各房が見渡せる正面の低い煉瓦塀、「豫章堂」前面の吹き放ちのテラス、通年の高い気温(13~32℃)、夏は蒸し暑く、冬は風が強いが涼しい気候が掲げられます。装飾については、西安市でも見られた文様などの装飾が、新竹市では、豊かな色彩の装飾が、より多く施されています。

■閑話休題■
 台湾では、戦前に使用されていた漢字が多いため、「工藝」は工芸、「鋼筋」は鉄筋、「混凝土」はコンクリートのように、比較的意味が分かります。一方、日本では、外来語をカタカナ表記して使い分けが可能ですが、台湾ではすべて漢字表記のため、「玻璃」が「ガラス」と気づくまで時間がかかりました。
 「四合院」を見学している時に出会った老婦人は、戦前に熊本から嫁いで来られたそうです。親戚以外の日本人に出会ったことを、とても喜んで下さいました。
 ところで、台湾のこのような形式を「三合院」ということを、最近知りました(注6)。「え!「四合院」と聞いていたのに・・・・。」と、言葉を失いました。

注6)「台湾の住まい 伝統的三合院・箱型一戸建て・連棟長屋」

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