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ヨーロッパの近代建築②パリⅡ-地域のお宝さがし-123

■地下鉄(メトロ)■
 オスマンのパリ改造による、道路の整備や鉄道の敷設などで、パリは大きく発展しますが、第5回万博(1900[明治33]年)を契機に、メトロの駅が計画されます。そのデザインは、コンペにより、「A、B、Cという規模などが異なる三つのタイプの出入口の設計」(注1)が求められました。ところが、受賞作に新鮮味がないとして、他の建築家に依頼されますが、それも不調に終わり、最終的に建築家ギマールに設計が依頼されました。

 ギマールは、曲線を用いた、アール・ヌーボーのデザインでメトロの駅を設計します。上記の「A、B、C」の3タイプ内容は不詳ですが、ギマールのデザインにも、「ランプと柵だけのもの、屋根と壁を持ったもの、そして別々に入り口と出口を設け、大きくひさしをはりだしたもの」(注2)の3タイプがありました。ただし、三つ目は現存せず、二つ目の「屋根と壁を持った」タイプも、「ドフィーヌ広場駅一箇所」とのことです。

注1)北河大次郎『近代都市パリの誕生』(河出ブックス、2010年)。
注2)宝木範義『パリ物語』(新潮選書、1984年)。

●ポルト・ドフィーヌ駅●
 ポルト・ドフィーヌ駅(1901年、図1)は、地下鉄2号線の西端の駅で、付近にはエトワールの凱旋門があります。正面の鉄骨を加工したアーチの上部は、細い鉄骨の垂木を放射状に配して跳ね上げられた庇で、唐傘のように見えます。側面は、鉄骨の柱で壁面を区切り、下部はコンクリート、上部は柱間を3分割してその上部をアーチとし、ガラスがはめ込まれています。壁面と屋根の間は吹き抜けていて、軽快さが感じられます。また、ガラスの屋根は、中央部が下がり、背面に向かって排水されているように見えます(図2・3)。
 入口内部は、彩色された壁面に流線形の文様が施され、曲線状の鉄骨とともに、アール・ヌーボーによるデザインであることがよく分かります(図4)。

図1 ポルト・ドフィーヌ駅
図2 側面
図3 背面
図4 入口内部

●アベス駅●
 アベス駅(1912年、図5)は、地下鉄12号線の駅で、モンマルトルの丘の南部に位置しています。一つ目の「ランプと柵だけ」のタイプです。正面の鉄骨を加工したアーチ、唐傘のような庇や屋根は、ドフィーヌ駅と同様のデザインですが、壁面がなく、腰部には加工された鉄製の装飾が施され(図6・7)、開放的で、周囲の景観に溶け込んでいます。

図5 アベス駅
図6 側面
図7 背面

■国鉄の駅舎■
 メトロ以前に整備された国鉄の駅舎を、みてみましょう。

●パリ東駅●
 1849(嘉永2)年に開業した「東駅」は、パリからフランス東部やドイツ方面への列車の発着駅で、パリの北側に位置しています(図8、注3)。

図8 パリ東駅

 左右のバロック風の建築に挟まれた、中央部軒下の連続する半アーチ帯(ロンバルディア・バンド)と、その下部の金属製の窓枠が放射状に配された大きな半円窓が印象的な駅舎です。鉄骨の梁が架けられた屋根面にはガラスがはめ込まれ、明るく快適な空間が構成されています(図9)。

図9 構内

注3)ウィキペディア「パリ東駅」。

●リヨン駅●
 「リヨン駅」は、パリ南東部への列車の発着駅で、パリの東側に位置しています。開業は「東駅」と同年ですが、現駅舎は、1900年の万国博覧会に合わせて開業しています(注4)。駅前は、現在は広場になっていますが、筆者が行ったときには車が多く、外観が撮れませんでした(図10・11)。大きな傾斜屋根や屋根面に設けられた竪長窓上部の櫛形ペディメント、人物像の装飾など、バロック的な要素が盛り込まれています。構内には半円アーチのアーケードが設けられ、屋根面は、「東駅」同様の構造で、明るい空間が作り出されています(図12)。

図10 リヨン駅左部
図11 右部の塔
図12 構内

■現代建築を少し■
 パリの中心部には歴史的建築が立地し、現代建築は周辺部に位置しています。南部にモンパルナス・タワー(1970年、図13)、凱旋門の西部に国際会議場(1974年、図14)、さらにその西部は再開発地区(ラ・デファンス)で、グラン・アルシュ(新凱旋門、1989年、図15)、またルーブル美術館の東部にポンピドーセンター(1977年、図16)があります。

図13 モンパルナス・タワー


図14 国際会議場
図15 グラン・アルシュ
図16 ポンピドーセンター

■閑話休題■
 幕末に伝わった浮世絵などが、ヨーロッパでジャポニスムと評価され、印象派やアール・ヌーボーに影響を与えましたが、その建築的な表現がメトロの駅です。趣のある建築で、図2などは昆虫のようにも見えます。

 パリで第5回万国博覧会が開かれたのは明治33年、日本は、まだまだ近代化(ヨーロッパ化)の途上です。日本がヨーロッパの技術に追いつくようになると、建築を含むヨーロッパの文化が一挙に流れ込みますが、ある面、逆輸入ともみることができます。日本の建築は、それらを含めて、多様な様式や技術を受け入れ、独自の発展をみせるようになります。

次回は、アール・ヌーボーと同時期に、バルセロナで活動したガウディの作品を紹介します。


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