私がサラリーマンを辞めて起業した最大の理由

私がサラリーマンを辞めて起業した最大の理由

私がサラリーマンを辞めて起業したのは2011年10月のことでした。もう7年経ちました。

起業してからのことは過去にnoteにまとめているので、今回は起業するに至った最大の理由が何かを綴っておきたいと思う。
(前置きが相当長いので興味ない方は読み飛ばしてください。)

私は1998年に新卒で日立系のリース会社に就職しました。非上場で社員数500人くらいの中堅企業といったところです。
就活では日立系ということで安定を求めていたのかもしれません。
この「安定」というワードが何を意味するのか、この時期の未熟な自分には理解できてませんでした。

最初に入社した会社はすごくアットホームな社風で、部署に誕生日の人がいるとケーキでお祝いしたり、全社の忘年会で新人が出し物をしたり、サッカー、野球、テニスなどの部活を楽しんだり、同期が20人くらいいたので同期旅行をしたり、とても楽しい社会人デビューでした。

でも楽しいのって長続きしないんですね。
入社3年になろうとした頃、他の会社との合併が決まりました。
まだペーペーだった私には何の情報も入ってこず、「こんなにいい会社で業績もまずまずなのになぜ???」と?がいっぱい付いてた状態でした。
合併した会社は同じ日立グループの会社だったんですが、東証一部上場で社員数2〜3000人と規模も社風もまったく異なる会社でした。表向きは対等合併と言いながら、実態は吸収されたも同然でした。

勤務地が変わり、上司が変わり、社内のシステムが変わり、一緒に仕事をするメンバーも変わり、仲の良かった同期ともバラバラになりました。
一番きつかったのは社風がガラッと変わってしまったこと。今までのアットホームなぬるま湯に浸かってきた身にはこたえる、殺伐とした社風になってしまいました。
この時点で一度「会社を辞めたい」と父親に相談したのを覚えています。

その後、合併した殺伐とした雰囲気の会社で、会社の「歯車」として仕事をしました。
その間仕事でミスをして左遷され重度の鬱になってしまった人、出世したいがために部下の成果を横取りし上司にペコペコする人、忙しくて会社に寝泊まりする人などなど、いろんな人を見てきました。というか見せられました。

そんな会社生活を3年間過ごして転機が訪れました。
住宅メーカー4社と共同出資して作ったばかりの住宅ローン専業会社に出向の辞令が出たのです。
まだ会社ができて数ヶ月しか経ってない、社員数7人くらいの会社でした。
この会社は出資元の会社からの出向者が集まって運営され、社長だけ外部から招聘された方が務めてました。
いろんな会社の文化が入り混じり、事業をゼロから立ち上げるという刺激的な環境でした。まだ社会人6年目の若造が、超有名企業から選ばれた方々と一緒に仕事をし、管理部門の重要な一角を任されるというプレッシャーの大きな立ち位置でした。
かなりキツい経験もたくさんしましたが、この時期に処世術みたいなものを体得した気がします。

この会社で3年半過ごし、会社としては社員数30人を超え、単月黒字化を達成したところで、転職を決意しました。
出向元の会社に戻るという選択肢は考えられず、この会社での一種の成功体験から「会社の立ち上げ」、「ベンチャー」というステージに魅力を感じてしまい、とあるベンチャー企業に転職しました。
2007年の冬のことです。

人生最初の転職でしたが、事前の調査が不足したまま会社を決めてしまい、完全に失敗でした。
マザーズ上場で順調に伸びているように見えましたが、入社直前に発表された決算で赤字転落。
入社してみると、お客様を大切にしないビジネスモデル、社長のワンマン体質など問題だらけ。
すぐに上場廃止のリスクにさらされました。
リストラが始まり、金策に走り回り、監査法人と折衝し…
結果的には資金を入れてくれる会社が現れ、上場廃止の危機は免れたのですが、当然その会社の支配下に入りました。

その後複雑な形のM&Aを実施し、上場企業の実体が入れ替わってしまったために、東証のルールに触れてしまい上場再審査を受けることになってしまいました。
私はこの再審査を担当するメンバーの一人でした。
まず最初のハードルは、この訳ありの会社の主幹事になってくれる証券会社を探すというところです。
大手から中堅、外資まで様々な証券会社を回りましたが、ことごとく断られもう無理かと諦めかけたところで、国内最大手の証券会社が救いの手を差し伸べてくれました。

主幹事証券会社が決まってしまえば、あとはその指示に従い、書類を整え、社内のルールを整備し、運用していくだけ。そこが大変なんですが、1年以上かけて最終的には上場再審査を無事通過し、上場維持することができました。
これが2011年のことです。

実は2008年くらいから副業的にコンサルの仕事を少しずつやってきました。
2011年に上場再審査という壁も乗り越え、年齢も35歳になってましたので、ここで独立起業に踏み切りました。

2011年といえば、あの東日本大震災があった年でもあります。
私はあの日、東京のど真ん中、丸の内のオフィスビルにいました。
電車がすべて止まってしまい、コンビニやスーパーから商品が消え、計画停電や節電で街が暗くなりました。
被災地では数万人の命が奪われ、多くの家が流されました。
人生いつ終わりが来るか分からないという思いを持つようになりました。

相当前置きが長くなってしまいましたが、ここからようやく私が起業に踏み切った理由について触れていきます。

あなたにとって「安定」ってどういうことでしょうか?
まだ若かった私は、大企業に入って順調に出世していって部長職くらいまで上り詰め、定年を迎えて退職金をもらう、という人生を「安定」と考えていました。
公務員が一番安定していると考える人はいつの時代も多いようですね。

でも私のサラリーマン人生いろんなことがありました。
「安定」したくても、環境が「安定」を許してくれませんでした。
会社レベルでは合併、出向、経営破綻危機、買収、…。
人レベルでは鬱、自殺、…。
そして災害も…。

自分の老後、家族の将来を考えた時に、サラリーマンを続けることのリスクを感じました。
どうしたら幸せな人生を送ることができるか…

結論として考えたのは、サラリーマンというのはまったく安定してない。
真の安定を得るには、自分で稼ぐ力をつけることだ。
他力本願からの卒業。
自力の強化、自己責任の世界へ。
私がサラリーマンを辞めて起業した理由はいくつかありますが、最大の理由はこれに尽きます。

起業して7年。
不思議なご縁に導かれ、被災地で会社を立ち上げ事業をしておりますが、今はとても充実した人生を送っています。
自分の決断は間違ってなかったとはっきり言えます。
誰にでもオススメできる生き方ではないけれど、こんな考え方もあるということを知っていただけたら幸いです。

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