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日本マンガ学会 第23回大会 に行ってきました

最近、画像生成AIの流れで「AIで漫画が描ける」という内容の会話をすることが増えました。
その中で「『漫画を描く』とはどういうことなのか」に興味を持ち始めているのですが、日本マンガ学会に所属している知人から “今度の学会でAI漫画関連のテーマで研究発表があるよ” という情報をいただき、『画像生成AIのMidjourneyを活用したマンガ教材作成』(川田 明彦[京都情報大学院大学 応用情報技術研究科ウェブビジネス技術専攻 2 年生])という発表タイトルに惹かれて、6月22日(土)の日本マンガ学会に凸してきました。
これまで工学系の学会には参加したことがあり、何度か研究発表した経験もあるのですが、文系の学会は今回がはじめてです。

※ 見出し画像は、画像生成AI DALL-E 3が生成した「マンガ学会」のイメージ(実際は全然違います)


マンガ! 学会!?

結論からいうと、お目当てのMidjourneyでマンガ教材を作るというお話は、教材用の一コマ漫画をお手軽に作りましょう、Midjourneyを使えば誰でもできますよ という、学校の先生方に向けた呼びかけのような内容でした。

文系の学会なので、著作権云々の突っ込んだ議論があるのかと思いきや、発表後の質疑応答でもそういう話はなく、SNS等で騒がれているような画像生成AIに対するマイナスイメージの発言なども全くなく、漫画研究に携わっている方々は画像生成AIの現状を割と冷静に受け止めておられるのだなと感じました。現実はこんなものかという感じですね。

一コマ漫画のお話だったので、内容的には少し期待していたものと違いましたが、実際に普段から漫画に触れている方々が画像生成AIと対峙したときの雰囲気を、肌感覚として知れたのはすごく勉強になりました。
ネット上の文字を読むだけでなく、やっぱりリアルな空間で人と会うことは大事ですね。

他に気になった発表が2つあったのでそちらの感想などを少し。

1.デジタル漫画史における表現の普遍性研究(杜 若飛[京都工芸繊維大学大学院 デザイン学研究科 3 年生])

デジタル漫画というと、どうしてもWorld Wide Webなどのデジタルメディア登場以降に描かれた漫画のことを考えがちです。そうなると、デジタル漫画史というとせいぜいここ30年程にネット上で公開された漫画の歴史を扱うのか、いやいや、そうじゃないですよねという内容。

筆者が理解した内容をザックリ書くと……

まずは、デジタル漫画の「デジタル」とは何かの再確認。
デジタル化されている状態とは、標本化(サンプリング)され、量子化(数値化)され、符号化(コンピュータ上であれば二進数化)されている状態です。そう考えると、モザイク画や点描画もデジタル化された絵画として捉えることができます。

次に、「漫画」とは何か?
これには、Scott Mccloud氏の"Understanding Comics"(邦訳『マンガ学』)から、「漫画(コミック : comics)とは "Sequential Art" である」という部分が引用されていました。

つまり、どこかの教会の壁に描かれているようなモザイク画も、何らかのストーリーを伝えるために複数のモザイク画を並べて描かれているのであれば、デジタル漫画史の研究対象になるというわけです。

なるほど、こう考えればデジタル漫画を対象としながらも、メディアとコンテンツを分離することができ、コンピュータやコンピュータネットワークの発展史に拘束されることなく研究が進められるというわけですね。
デジタルコンテンツがデジタルメディアから論理的に引き剥がされる感覚は筆者にとってはなかなか衝撃的でした。

ただ、これだけでは我々のようなズブの素人が、うっかり高山寺の鳥獣人物戯画を日本漫画の元祖であると言ってしまうのと同じで、「これもデジタルって言えるよね」「これも漫画といえば漫画だね」「こんなに昔からデジタル漫画はあったんだね」と言っているだけになってしまうのですが、ここに「フレーム(≒ページや額縁など外枠にあたるもの)」と「マスク(≒ピクセルやタイルなど画素にあたるもの)」という概念を持ち込んで、対象となるデジタル漫画を一つの物差しで測ってみるというのが、今回の杜氏の研究なのだそうです。

……と、ここまでは曖昧ながらも理解できたのですが、肝心のフレームとマスクを用いた分析の内容については筆者の理解が追いつかず、配布資料もなかったので肝心なところが書けません。(笑)
ただ、こういう漫画の研究もあるのか、おもしろいなーと感じました。

2.仏教を題材にマンガを描くことの難しさについての一考察(近藤 義行[龍谷大学大学院 文学研究科 真宗学専攻 博士後期課程2年生])

正直言うと、実は、同じ時間に別の会場で「『アドルフに告ぐ』制作の舞台裏と作品世界」(田浦 紀子)という発表があるはずで、これを聴講するつもりだったのですが、どうやら発表者のご都合で発表できなくなったらしく、なら、せっかくだからと飛び込んだのがこちらでした。

タイトルだけを見ると、確かに宗教を題材にしてしまうと読者から細かいことをあれこれ突っ込まれて大変なのだろうな……と思うじゃないですか。
ところがどっこい、近藤氏の悩みはそんな表層だけをとらえたような一般素人の浅はか極まりない考えをはるかに超越したもので、自ら道を求め極めんとするが故の深い深い悩みなのです。

仏教漫画で近藤と聞くと、ピンと来る人は来るのかもしれませんが、筆者は全然知りませんでした。『ヤンキーと住職』(KADOKAWA、2023 年)の作者 近藤丸ご本人です。

筆者の理解をザックリ書くと…

近藤氏はかつて仏教系の中学、高校で宗教科の教員として生徒たちに仏教を教えておられました。この経験を基に、いろんな方々に広く仏教に親しんでもらいたいという思いで漫画『ヤンキーと住職』をSNSにアップロードしていたそうです。
これが人気になったのはよかったのですが、多くの人の目にさらされるようになると、仏教的なものとは異なる自己啓発的な解釈で拡散されることもあり、ご自分の活動に疑問を持ち始めたとのこと。
更に、日々仏教に接する中で、漫画のネタを探すことにばかりに気が取られていることに気付き、漫画の人気が出るにつれて、自分の名利のために仏教を利用してしまったのではないかという思いに苛まれ、漫画が描けなくなってしまったのだとか。

うわ~、そっちか~、これはキツイですよね。人気が出て周りが持ち上げてくれればくれるほど、自分の求める道から外れていく気持ちになるという……

かなりつらい思いをされたであろうと想像しますが、それらの経験をオートエスノグラフィーによって、淡々とした語り口調で発表しておられるお姿が印象的。
30分弱のお話でしたが、自らのご経験を語られる近藤氏の語り自体がもう説法であり伝道。直接拝聴しなければわからなかったであろう、誠にありがたい時間をいただきました。

漫画研究は奥が深い

今回、はじめてマンガ学会での研究発表を聞いてみて、漫画研究の奥深かさを感じました。

「漫画を描く」というと、無意識に「下手」から「上手」まで一次元の評価軸を設定し、あたかも流行りの商業誌に載っているような漫画を描くことを「上手」とイメージしがちです。
しかしながら、マンガ学会で取り上げられる内容は必ずしもそうではなく、むしろ読者にウケることを必ずしも目指さない漫画も研究の対象になっていいました。
ふだんの生活では経験できない漫画体験を得た1日でした。

尚、2024年度から日本マンガ学会の会長に、漫画家のすがやみつる先生が就任されたとのことで、今大会の開会宣言をされていました。

「では、開会宣言をお願いします」と振られて、一瞬、
「炎のコマ~~~~~~~~~!!」
って言うと期待していたのですが、無かったですね。

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