困っているひとだけを探さない難しさ

困っているひととつながる難しさ

最近では、「受援力」という言葉も少し広がってきました。子ども食堂やフードバンクなどの取り組みがメディアで流れるときも、「本当に困っているひと」に知って、つながり、利用して(選んで)もらうことの難しさも添えられます。

長く生きていると経験のひとつやふたつありますが、困ったなぁというとき、友だちや知り合いに相談して解決したり、気持ちが楽になったりしますが、誰にも言えない、むしろ、近しい関係のひとたちだからこそ言いづらいこともあります。

困っている、困り切っているひとは、自分から情報を取りに行く余裕や環境(いつでもネットにつながるスマホがあるとか含む)が失われているので、こちらなりに努力はしていても、知ってもらうのが難しいです。

知ってもらう難易度が難しいので、知ってもらえたら何とかなりそうと期待もしますけど、ある場所まで行くことや、自分が困っていることを開示することは、困っているほどやはりしづらいこともあります。

お話を聞けると、そういう機会で話をしてみても、困りごとが解決されないどころか、より一層苦しくなった経験があったりすれば、それはそうだよなと思わざるを得ないこともあります。

困っているひとだけを探さない難しさ

端的に「全員」を対象にすればいいんですけど、ひとつのNPOでそんなことはできるわけもなく、自分たちの活動領域で対象をしぼって、やれるはんいでまずはやる、に向き合わないといけません。

その上で、そういう困り方をしているひとが(何かと)比較して多くいそうな集団「全員」を対象にするしかありません。

いま、関東圏のいくつかの高校の中で、先生方にたくさんの助言をいただき、生活に必要なものを配布しています。それらの学校には、家庭環境(家庭がない学生含む)によって、多くの人が「最低これくらい」のラインを下回る生活をしている生徒がいます。

それは先生方が確認できている範囲でも、全校生徒に対してかなりの割合ですが、家庭全体を先生方が理解できるわけではないため、その実際はわかりません。

先月、ある高校に伺って、校内で生活に必要なものを並べ、積み上げていました。初めてということでもないので、そこを通る学生さんから「いまもらってもいいの?」とか、「また協力するよ!」と声かけてもらいました。

「あー、いまは準備中だから、放課後来てよー。協力者が必要だからクラスメートに声かけてー」なんて言いながら、準備を進めます。

困っているひと(今回は高校生)を探さないため、まずは大量の物資が必要になります。生徒を選びませんので、どれだけの在学生が来るかわかりません。購入資金もですが、準備もかなりかかります。

「困っている学生のためのものです」も言い(え)ません。そうしたら、取りに来る学生が、周囲に「困っているひと」であることを伝えてしまうことになるからです。もちろん、仲間とノリで取りにいける学生もいるでしょうが。

むしろ、困っていれば、自分の、今日のためのものではなく、自分以外の家族や明日以降のものも必要としているかもしれません。ただ、「もっとほしい」と言わせてしまうと、困っていることか、がめつい人間、みたいに周囲から受け取られてしまう可能性があります。

これらが伝わる可能性や余地を取り除かないと、実際にこちらが何かを提供しようとしても、うまく届けられません。

それならどうしたらいいかということは、学校の先生方に助言をもらいながら、その学校に合わせた形で進めていきます。

なるほどねと思ったのが、いまの学生はSDGsの学習のなかで、食糧問題なども学んでいます。特に日本は作っても捨ててしまうことが社会的にどうかということも学ぶということでした(その学校だけかもしれません)。

そのため、消費期限が近いもの、賞味期限が切れそうなものは、お店で売れないため、これまでだったら捨てていたかもしれないが、いろいろな活かされかた(フードバンクとか出てくる文脈かもです)をしていることを勉強されていたりします。

まだ全然食べられるものが、期限切れが近いだけで捨てられてしまうのはもったいないわけで、そういうものが目の前にあったとき、食べることがボランティアになるかもしれないし、ごみを増やさないことにつながるかもしれません。

そんな学びを通じた先に、学校内で協力者を募っていたらどうでしょう。たくさんあるし、手伝ってあげようという気になりやすいかもしれません。

こういう活動を広がってほしいし、広げていきたいとは思ってますが、困っているひとのためにと言われると、この方法は取れません。また、こういう方法を取っている学校が限定をされていると、その学校に通う学生への地域や社会の視線が歪むかもしれません(99%困っていても、そうでない学生がいるかもしれない)。

ということを考えながら、先日、学校で生活に必要なものものの前で、学生と話ながら、いろいろ持って行ってもらっていたんですね。もちろん、僕が誰だか学生は知りません。NPOの職員であることも知らないでしょう。学校の関係者が切るジャンパー借りてきてたので、わかりようもないですけどね。

「ラッキー」とか「やった!」という言葉に隠れて、「今日は昼めしあるぜー」とか、「今日の昼と夜、明日の朝はご飯あるー」みたいな声がまぎれるんです。

さすがにひとりどれだけでも持って行ってよいとは言えません。数も限りあがありますし。それでも、もう一個とか、もう少し欲しいんですけど、と言ってくる学生もいます。

僕の横にいたウチの職員は、「じゃあ、友だち後5人連れてきてくれたら倍いいよ」「あの辺、歩いて過ぎていく学生10人、協力者にしてくれたらもう2個OK」と、僕らの側として手伝ってくれる機会をどんどん作っていくんですね。

目の前で行列をなす、どこにでもいそうな元気な高校生たちが、学校で生活に必要なものをどうしたらいいのか、協力者を募っている日だったことを、ラッキーといいながら、わちゃわちゃしています。

たぶん、困っている学生もいます。今日は困ってないという学生もいるでしょう。でも、こちらからは誰がそうなのか、本当にいるのかはよくわかりません。

ただ、かすかに聞こえる高校生の一言、一言に、今日はここで協力してくれてよかったこと、活動を応援してくれるひとたちに助けられているなぁと思います。


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