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誰かを罰するための石を捨てる。

そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章3-7節

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしています。牧師です。

読書の秋です。私もこの半月ほどはちょこちょこ読めるようになってきました。やっぱり「読む」という行為は私にとって精神安定に繋がるな~と思いつつ楽しんでいます。観劇は精神の高揚を、読書は精神の安定をもたらす、という仮説。(だから観劇も早く取り戻したい……)

「積ん読」解消第2弾(?)でこれを読みました。

ブレイディみかこ氏の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。なんてぐっとくるタイトル……と思っていましたが、読んでみてこれが息子さんがノートに走り書きした言葉と知り、「すげぇ」と唸ってしまいました。また最終章の「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン」への帰結が最高。仕事柄「グリーン」な若い年代の皆さんと関わる私としては、何だか暗い空から未来への希望の光が差し込んできたような厳かな感動を覚えました。

良い本だと聞いていて、昨年買っていたのですが、なんやかんやで後回しになってしまっていました。もっと早く読んどきゃ良かった。めちゃくちゃ良い本でした。語り口も軽妙だし、ジャンルとしてはエッセイに入るものなので、ぜひ生徒さんたちにも読んで欲しい……。

日本人である著者とアイルランド人の配偶者の間に生まれた息子さんは、それまで通っていたカトリックの名門小学校とは全く異なる「元・底辺中学校」に進学します。人種、貧富、ジェンダー……。「多様」な仲間たちの間で、差別や正義、寛容について悩んだり考えたりする思春期の息子さん。彼と彼の周囲の人間模様が描かれる中で、簡単に答えの出ない問いを読者も一緒に真剣に考えることになる。そんな本です。

ドッグイヤーだらけになった本ですが、その中で心に残った一節がありました。息子さんの友人がいじめられている……という話の中で、「人間って、よってたかって人をいじめるのが好きだからね」と言った著者に対する息子さんの一言。

「僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」

鋭く真理をついた言葉だと感じました。私たちは人をいじめるのが好きなのではない。人を罰するのが好きなのだ。

誰かを「間違っている」指差す時、私たちは「正しい者」でいることができます。それは私たちにとって大層居心地の良いことなのでしょう。大した努力をすることなしに自信や優越感を得られる、「コスパの良い」方法です。しかしそのようにして振りかざされる正義は、攻撃的になりやすいものです。しばしば問題になるSNS上で匿名で行われる激しい誹謗中傷も、これと通じているのだと思います。

冒頭に引用した聖書箇所は、このことと通じるように思われました。姦淫という、罪の現場で捕らえれた女性。彼女は石打ちで殺されることになります。それはとても「正しい」ことです。

掟という裏付けを持って「正しさ」を保証された人たちは、彼女を「一人の人間」とは見ません。「罪人」というレッテルで捉えます。だから容赦がない。

「正しい」って、怖いなぁ、と感じてしまいます。「正しい」が「優しい」とは限らない。もちろん「正しくない」が良いわけではないけれど、「正しくない」を罰するのではなく、「正しくない」をどう「正しくて、善い」に繋げていくかを考えられたら、と思います。

イエスが言われた「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」という言葉は、「誰かが正しくて、誰かが正しくない」という「正しさによる分断」をひとまたぎする、そんな大切な眼差しを教えてくれます。

「私もあなたも間違う」ということ。今あなたは正しくなかったかもしれないけれど、私も同じように間違ったことがこれまでにもあったし、これからもあるかもしれない。だから「正しくないこと」が引き起こす痛みに向き合いつつ、どうすれば「正しくて、善い」方向に一緒に歩み出せるかを考えよう。

「正しくない」人に向けて投げつけようとしていた石をぽとりと足元に置いて、その手を相手に差し伸べることができたら、と思います。「立ち上がろう。間違っていたことを見詰める勇気を、正しい方向を目指す知恵を、一緒に求めていこう」。

そんな「神の国」が実現することを願いつつ、私もまた自分が握りしめていた石を見詰め直し、手放していきたいと思います。

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