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iPhone

父親に携帯料金を支払ってもらっていた学生の頃まではiPhoneを使っていたけど、社会人になって自分で支払うようになってからはAndroidに変え、通信会社もキャリアからMVNOへ変えて費用を抑えていた。最初はやっぱりAndroidは使い慣れなくてまごつくし、回線も遅いからすぐに繋がらないことにイラついてしまう。けど半年もすれば操作も回線の遅さにも慣れた。そういったものは良くも悪くも順応していくものだと思ってるし、何より安いのが私にとっては有り難かった。

ただ、最近になって私は興味本位でiPadに手を出してしまった。周りが持っていると自分も欲しくなる心理に打ち勝てずにだ。別に『絶対Apple製品使わない団体』に所属している訳ではないのだから買ってもなんら問題はないのだけど、なんか負けた気分になる。
実際使ってみると、その性能を活かしきれていない自分を痛感する。今は文章を書くとか、Kindleの電子書籍を読むとか、最近だったらiPad(とアプリ)でチラシのデザインを作るくらいしかしてない。人並みか以下の使い方しか出来てない感がすごいけど、そう思わせるiPad、奥が深い。

一度素晴らしい体験をすると人間どんどん貪欲になる。終いにはMacBookにも手を出してしまう。分不相応なのぐらい自分が一番よくわかっているけど、「私はWindowsしか体験せずにこのまま生涯を終えてしまう可能性があるのか?」と思ったら少し悲しくなったのだ。分不相応であろうと私だってMacBookのキーボードに触ってみたい。なんなら打ってみたい。

ここまで書いて、Appleの製品に対して私は凄く敷居が高い物と見てるんだなと再確認した。だってあいつら高価だし、チョコレートで言えばGODIVA、ブティックで言えばGUCCIみたいで「他と何が違ってそんなに高いの?」と違いのわからない庶民の中の庶民を貫いてきた身分なのだ私は。
だからAppleも「Android安いのになんでわざわざApple?」と自分で支払うようになってからは思うようになっていた。そう刷り込ませていた。だってそうしないと月々の使用料が高いから。

だけど、iPad、MacBookと揃い、ここまできてスマホがAndroidなのが逆に不便に感じるようになった。だって、スマホでメモしたり保存した画像が同期されないから。
iPadとMacBookが同期しただけで凄く便利だと感じるのに、ほぼ24時間共にするスマホがiPhoneになんてなってしまったら、私の生活もっと便利に過ごしやすくなってしまうのでは?と期待と確信があった。そうなるともう止まらない。

つい先日iPhone12+αの新作がAppleから発表され、型落ちとなったシリーズ達は一部を除いて値下げされた。今だなと思った人は私だけではないと思う。
iPhone12は5G対応とはいうけれど、そもそもMVNOで回線の速さは期待していないのと、そこまでの設備がこの田舎にそうそう整う訳も無かろうと思ったこと、写真の機能も私にはカメラがあるからそこまで望んでいないことなどを含めて、わざわざ新作に手を出す必要性はないと感じた。
となると、型落ちになったiPhone11とiPhoneSEが候補として残る。一々パスワードを打って開くアプリは指紋認証で開く癖があったから、できることならTouch ID付きが良いと思っていた。となるとSE一択なのだけど、使っていたAndroidの画面が6.4インチとまあまあ大きく、SEの画面だと小さくて少しストレスを感じるかもしれないと不安に思う。じゃあ、Touch IDではなくFace IDだけど画面が6.1インチあるiPhone11か?と悶々と悩んだ末、大事に使えばまたiPhoneを買い換える時に高値で買い取ってくれそうなのはiPhone11だなと、次の買い換えのことまで考えたらiPhone11に軍配が上がった。

わかっている。Appleの策略にズブズブとはまっていることは自分が一番わかっている。

注文して2日も経たない内に、我が家にiPhoneが届いた。事前に調べたようにSIMカードを入れ替えて設定を完了させて、今に至っている。なんとも呆気なく、なんとも違和感なくiPhoneは今私の手中に収まりこの文を打たせてくれている。Twitterなどの使用感は確かに変わったけど、おそらく3日経たない内に慣れると楽観的である。

そしてこの打ち終わった文が勝手に同期され、iPadからでもMacBookからでも投稿できる。素晴らしいじゃないかiPhone。ありがとうApple。


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