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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(4)

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親であれば皆が大なり小なり感じるものであると思います。
僕の人生の一時期は不登校で暗闇の中にありました。
が、再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、
家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、
「不登校なっても大丈夫!」と胸を張って言うことができます。
苦しんでいる子供や親に声を大にして伝えたい。
「不登校なっても大丈夫!」

父の家への引っ越しを決断する

不登校時代の僕がうつ状態であったのは確かだと思う。
今であれば病院で治療を受けるような状態だった。家から出ることができない。何もやる気が起きない。昼夜逆転で家族にすら顔を合わせない日が長く続いていた。

両親は離婚して父は隣町に住んでいた。
環境を変えたいと思うようになった僕は父の住む場所へ転居することにした。母は大反対だった。何が悲しくて自分が引き取った息子を離婚した男のもとに引き渡さないといけないのか? 私の教育の何が間違っていたの? 母は苦しんだと思う。今となっては本当に可愛そうなことをしてしまった。

僕は強い決意で父の元へ行くことを決めた。
母が嫌いだった訳じゃない。かわいい妹も母に引き取られていたから、妹とも離れて暮らすことになる。寂しかった。だけど、それ以外に方法が見当たらなかった。いろいろ考えて、難しい決断だったけど、僕は父の住む隣町へ転居することにしたんだ。

学年が変わって中学3年になる春、隣町の父の家に転居した。
隣町だから、母や妹とそれまで住んでいた街までも電車で15分。帰ろうと思えばいつでも帰ることのできる距離だ。
それでも中学生の僕や家族にとっては大きな決断だった。

父の家に引っ越しをした。
そこで初めて知ったことなんだけど、父は再婚をして新しい奥さんと一緒に暮らしていた。
父が再婚をしているなんて聞いていなかったから、少し驚いた。
そうか、そうだよな・・・。
言われてみれば、そうだろうと想像できることだけれど、中学生の僕はそんな単純なことさえも想像できていなかった。

それでももう仕方ない。
僕と父と父の奥さんとの、新しい共同生活を始めるしかなかった。

引っ越してから変化はあったのか

父の家に引っ越してからの僕は、やはり環境の変化に適応するしかなく、とりあえず犬の散歩程度には外出できるようになっていた。

だけど相変わらず学校には行くことができなかった。
環境が変わって外出には抵抗がなくなっていたけど、それでも学校という環境だけは怖かった。自分が否定されることが本当に怖かった。

自分を否定して、卑下して傷つけているのは本当は自分自身なのに、自分自身は徹底的に自分を攻撃して傷つけているのに、人に否定されることを恐れ続けた。

僕はこの世界が鏡の世界だということに気がついていなかった。

僕を攻撃して、卑下して、バカにしていたのは僕自身だ。
僕を監視して、間違ったら全力で否定して、いじめていたのは僕自身だった。

今は(もう中年になってしまったけど)それが分かっている。だけど当時はそれが分からなった。
自分を否定して否定して、攻撃し続ければいつか、新しい自分に生まれ変わる日が来て、やっと救われるんだと、そう思っていた。
そんねことをしても、どんどん辛くなるだけなのに。

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