もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(3)

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親が皆大なり小なり感じるものであると思います。
僕は不登校でありましたが再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、「不登校なっても大丈夫!」と胸を張って言うことができます。
苦しんでいる子供や親に声を大にして伝えたい。
「不登校なっても大丈夫!」

うつを抱える不登校生の一番危険なこと

二十数年前は不登校だった僕。
何が一番つらいって不登校に関する情報がなさすぎて、自分がどうなっていくのか全くわからないこと。将来の予測が立たないこと。
あらゆることに絶望していた。
刻一刻と遅れていく勉強のこと。優等生だった自分が落ちぶれて、まさかの不登校になってしまったこと。自分の人生に傷がついてしまったこと。もう友人たちも、今の僕の姿を見てしまったら誰も友達ではいてくれないだろうこと。(本当はそんなことはなかったんだろうけど)

暗闇の中をもがいていたけれど、どこにも出口のない日々をぐるぐる回っているようで、きっと今こんな気持でもがいている子供たちや中高生が世の中にたくさんいるんだと思う。
僕は一人でもがいていた。インターネットもSNSもない時代に自分と同じ境遇の人を見つけることもできず、ただただ不登校になってしまった自分を卑下して生きていたから。
自分を全否定して生きるって本当に辛いことだよね。

今にして思えば、もう絶対に自分を否定しないと思うんだけど、当時の僕は自分を否定して卑下して、そして自分を変えようとしていた。
いわゆるうつ状態の泥沼に嵌まり込んでいた。

うつ状態の子どもは大人と同じように自殺願望を抱く

そして僕は、うつ状態にある人の多くがそうであるように、自殺願望を抱くようになっていた。死ねば楽になれる。全部リセットして忘れることができる。現状を打破するには自殺するしかないと考えるようになっていた。

昼間は家の中に僕一人だから、自殺しようと思えばすぐにできる。夜はみんなが寝静まっているから、抜け出してどこかのビルから飛び降りるのも簡単だ。自殺の方法を考える日々。当時から文章を書くことは苦にならない性格だったから、遺書も長々と書いた。いつでも死ねる準備を周到に重ねた。

自分の死後、人に見られたくないものは全部捨てた。自分に関するものは全部捨てた。いつでも死ねる準備は完璧に整えた。

でも結果論として、僕は今元気にこうやってnoteを書いている。
つまり自殺は実行されることがなかった。
それは幸運なことだと思う。どうして僕が自殺しなかったのか?
勇気がなかったから。実行力がなかったから。痛いのが嫌だったから。この世に未練があったから。
全部正しい。

一年以上、自殺願望を持ち続けていた僕が、どうして死ななかった?

ずっと消えなかった自殺願望が、ある日を堺に消えてしまった。
あの日。

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