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言葉にしなくても愛は伝わっている

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親であれば皆が大なり小なり感じるものであると思います。
僕の人生の一時期は不登校で暗闇の中にありました。
が、再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、
家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、
「不登校なっても大丈夫!」と胸を張って言うことができます。
苦しんでいる子供や親に声を大にして伝えたい。
「不登校なっても大丈夫!」

母の愛と父の愛

父と母は離婚していて、不登校だった僕は環境を変えるため、母と妹と3人で住んでいた家を出て、父と父の奥さんの住む家に居候することにした。
それはもう20年以上前の、僕がまだ中学生だった頃の話。

父の家に引っ越してからは、父は夕方に仕事に出かけて夜中に帰ってくる生活だったから、夜な夜な母に電話を掛けていた。
ある日、僕は母にこんな話をした。
「もう自殺したい。ずっと自殺した気持ちがなくならない」
大人になった今考えれば、可愛そうなことをした。母はどうしていいか分からなかったと思う。
中学生の息子に自殺したいと電話越しに言われて、すぐに息子のもとに行くことができる訳じゃない。当時の母の気持ちを考えると本当に心が痛む。
「そんなこと言ったって、どうするの?」
当時の母はそう返事することが精一杯だったはずだ。
「だって生きていても全然面白くないし、もう死んでしまって楽になりたい」
「楽になりたいって、まだ中学生なのに」
そんなとりとめのない僕の自殺願望を聞かされて、母は眠ることもできなかっただろう。
母さん、ごめんなさい。
そんな会話が毎夜毎夜と続いていた。

ある日、いつものように昼ごろまで自室で眠っていると父が起こしに来た。
「犬の散歩行くぞ」
父は4匹の犬を飼っていた。それまでだって犬の散歩は僕の仕事だった。
「もう少ししたら行く」
僕はそんな返事をしたんだろうと思う。
「今日は父さんも一緒に行くから」
「……」

父と、父の奥さんと僕と3人で犬の散歩をした。
近所の河原まで行って、河原沿いを散歩した。
午後を過ぎてもうすぐ夕方になる、そんな時間帯だった。晩夏の太陽がまだ眩しかった。
久々に父と一緒に歩いた。
いや、久々というよりも、あんなに長い時間一緒に歩いたのは初めてだったかもしれない。
太陽が眩しくて、飼っていたシロという秋田犬が川を怖がってちゃんと歩いてくれなくて。もう20年以上前のことだから、そんなことしか覚えていない。
どのぐらいの時間散歩したのかも覚えていない。
ただ、太陽が眩しくて、ちょっとは笑いながら散歩したのかもしれない。

次の日もいつもと同じように昼過ぎに起きた。
どうせ学校に行っていないから起きる時間は自由なんだ。
夕方、好きな文庫本を読んだ。
面白くてゲラゲラ笑った。
声を出して笑った。
そしてふと思ったんだ。

あれ? 死にたい感情がなくなってる。

母は僕の自殺願望を聞いて、居ても立っても居られなくなったそうだ。
父に電話して、政史が自殺したいと言っていること、いつ自殺してもおかしくないことを伝えたようだ。
それを聞いて父は僕を散歩に誘った。
死んじゃダメだなんて一言も言わないけど、ただ一緒に散歩をした。
それでもやっぱり子どもには伝わるものがあったんだと思う。当時の僕は父の愛なんて何も感じていなかったけれど、父と母の愛が僕の無意識に伝わったんだと思う。

それは親じゃなくてもいいんだと思う。
だけど確かに愛は言葉にしなくても、確実に伝わるものなんだ。

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