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最後通告

「もう、出来る治療はありません」
担当医師はわたしら家族を前に、そう言った。

微熱が2週間続いていた。
少しだるいほかに体に感じられる痛みは無かった。

最初の抗がん剤はゲムシタピン主体の点滴が約10ヶ月続いた。
膵臓がんは切除したが肝臓に転移し、この点滴でがんの増殖を抑えていた。
しかし、やがて癌の力が増してきた。

すぐにエスエーワンという飲み薬に変えたが、これはまったくわたしに効果がなかった。

「膵臓がんからくる転移がんはその治療法が狭く、限定されています」
胃や腸の癌よりも抗がん剤の種類が少ないらしい。

二週間前にFolfirinox療法という三日間通して点滴する治療が始まった。
その前日からわずかに微熱が出ていた。「この程度なら行けるでしょう」ということで実施したが、三日目が終わった途端に39℃超えの熱が出た。

解熱剤と抗生物質の点滴で熱は下がったが、以後微熱はずっと続いている。

「ご家族に大事な話があります」

医師は妻や子どもたち、それにわたしを前にして病状の経過を手術時から順に追って説明し始めた。机上のモニターにはその経過ごとの映像が映し出される。

「微熱は肝内胆管の炎症と癌そのものの肥大からきています。が、癌の進行を止められません。ここで無理に抗がん剤を投与すると逆効果の作用で命を縮める危険性があります。また放っておいてもやがて肝臓爆発・出血という事態になるでしょう」

「打つ手はありません。この後は少しでも余生の充実を図って頂きたい」
そこまで聞いてわたしは医師に問うた。「あとどれくらい生きられますか?」

「一から二ヶ月です」

わたしはある程度覚悟をしていたが、意外と短いことにドキドキした。

その期間で何が出来るだろう・・。

そばで聞いていた息子は案外冷静だった。
妻も覚悟はしていたようだが、目が泳ぎ、身体が震えていた。

その後、医師から緩和ケアや延命処置について説明があった。
延命処置は不必要と申し出て、部屋を出た。

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