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言葉はいらない

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音はぜる
数多の言葉
葬って!
つきまとうなよ
地獄の底まで




例えば。

タブラの音が好きです。
指先と掌底を使い分けて、弾くように奏でるインドの太鼓ですね。
艶やかでありながら軽やかな音と、これほんとに太鼓から出てるんですか?と尋ねたくなるような、ぽよんとした不思議な味わいの音。
その組み合わせに惹かれて探るようになり、YouTubeで「Tabla」を検索し色々な演奏家の音楽を視聴しては、気がつけば結構な時間が経っているような事もあります。

頭をまっさらにして聴いて、もうこの音さえあればいいなんて思う。
言葉なんていらないと思う。
それなのに、こうして言葉を尽くして良さを語ろうとしているのです。
そんな矛盾。


あるいは。

旋律と一緒に言葉を拾うのが苦手な私は、完全に詞よりも音を優先して聴くタイプで、だから洋楽だって聴けるんじゃんと嘯く訳ですが、だったら詞なんてなんでもいいかと言えば、使われている言葉を好きになれなくて聴けなくなってしまう事もある。
メロディがよければいいのならと、歌詞が全部同じ音で(例えば「あああああ」なんて形で)構成されていたら確実に違和感を覚える。
反対にこのタイトルだからこそよりこの曲が好ましい、なんて事もある。
言葉、なんだかんだ気にしているじゃないか。





言葉があるから齟齬が生まれる。
いつまでも癒えないのは、体が受けた傷よりも言葉で受けた傷の方だ。
なぜならペンは剣より強いんですって。
選ぶ言葉を間違えるからいつまでも分かり合えない。
あなた「が」いい、のか、あなた「で」いい、のか。
てにをは1つでここまでの相違。

ああ、言葉さえなければ。


なんていう事を言葉を尽くして語ろうとする矛盾は先ほども語った通りで、何よりも真意を綴りすぎるのも野暮ってものなのですが。
ああ、私たちは、言葉から逃れられない。
小説やエッセイも大好きですし。

今回はそんな短歌でございました。
尚、字余り。

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