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【ご支援のお願い】暇空裁判、附帯控訴のお知らせ

 お騒がせしております。新橋九段です。
 先日判決の出ました民事訴訟について、原告である暇空茜が控訴しました。これに伴い、被告ならびに反訴原告である私も附帯控訴し、第一審の判決について改めて争うこととしました。

 附帯控訴に伴い必要となる費用について、改めてnoteを介したご支援をお願いします。皆様には既に多くのご支援をいただいておりますが、率直なところ、被害の回復には全く至っていません。

 なお、第一審判決については『対暇空訴訟 支援のお礼とご報告』をご参照ください。判決について、誤った解釈や憶測も流布しているようです。それらについては、改めて問題点を指摘し批判する機会を設けるつもりです。

 皆様には改めて、noteをサポート機能を介した裁判費用のご支援をお願いいたします。

本件裁判の重要性について

 皆様にご支援をお願いするにあたり、改めて、訴訟の重要性を整理し強調させていただきます。

 少々大仰な物言いになることを承知で表現すれば、私は、この訴訟を表現の自由を守るために必要な戦いだと位置づけています。

 原告である暇空が私に訴訟を起こしたのは、私の行った2つの発信が理由となっています。1つは、私が陰謀論的な主張に対して行った論評が平穏権を侵害するというもの、もう1つは暇空の主張が「デマ」だと表現したことです。

 しかし、前者については、あくまで論評の類であり、平穏権を侵害するものではないことは標準的な読解力をもってすれば火を見るよりも明らかです。そのことは第一審判決でも認められています。そもそも、発言自体、暇空に対してなされたものですらありません。ましてや、暇空の殺害を予告したり、加害を煽るようなものでないことは明白です。

 しかしながら、裁判所は(おそらく)このツイートを理由に開示を認め、裁判に至りました。言い換えれば、どう考えても平穏権を侵害するものではなく、実際そのように判断された発言について、原告は訴訟を提起したということです。

 このような訴訟を是認すれば、資力に優れてさえいれば、一般に期待される読解から著しく逸脱した解釈に基づき損害賠償を請求できることになってしまいます。そうなれば、誰も自身の発言がどのように解釈され反応されるかを予想できなくなり、予想外の訴訟を恐れて表現の自由は委縮します。

 後者については、さらに重要です。裁判所は、私が暇空の主張するColaboの不正会計疑惑について、デマと表現したことが彼の社会的評価を低下させるとしました。しかし、この判断は、デマを「不正がないことを認めながら不正があると流布すること」だと定義したうえでの判断です。

 一般的に、デマは意図的でない誤情報の流布にも用いられる用語です。特に、本件で争われたように、強いて解釈すれば不正の証拠と見なせる可能性はあるものの、それが以外の合理的な解釈もあり、かつそれ以外に証拠を欠いているような、明らかに立証が不十分な情報をそのまま流布することは、一般にデマと呼称されているものであり、またそう呼称して差し支えのないものであるはずです。

 デマが「不正がないことを認めながら不正があると流布すること」だと定義されてしまえば、あらゆる虚偽や誤情報の発信をデマだと批判することがおよそ不可能になります。虚偽や誤情報は、それを流布する者自身は真実だと思い込んで流布されるものであることが多く、また当人の意図を立証することは極めて困難だからです。

 このような判決は、明らかに常識的な日本語の運用を逸脱したものであり、私個人に対するものとしてはもとより、司法全体の判断としておよそ許容できるものではありません。本件の控訴によって覆されるべき判例です。

ご支援のお願い

 本件訴訟の原告である暇空茜は、SNS上で定期的にカンパ収入があることを誇り、またいくら訴訟を起こされても動画などの収益で経済的利益があることもアピールしています。

 対して、こちらはそういった収入源があるわけではない、ただの安月給の研究者です。資力に勝る原告と対峙し、徹底的に争ったうえで正義を勝ち取るためには皆様のご支援が必要です。

 本件は附帯控訴となっております。すでにお知らせした通り、元々、こちら側には控訴の意志はありませんでした。判決に納得はしていませんでしたが、控訴審で勝訴しても経済的利益がないと予想されるためです。しかし、相手方の控訴があったため、やむを得ず附帯控訴を行うこととなりました。

 控訴は不本意で不快感もありますが、同時に、諦めかけた正義の実現を取り戻す機会であるとも捉えています。この機会を、資力という本質的ではないはずの要素で諦めたくはありません。皆様のご支援をお願いいたします。

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