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【レイプ神話解説】女性は本当に嘘をついているのか

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女性はいくらでもウソをつける

 見出しは自由民主党の衆議院議員、杉田水脈による発言である。彼女は常習的なヘイトスピーチと歴史修正主義的な言動をかつての首相・安倍晋三に見込まれ、一度たりとも小選挙区での信任を受けないまま議席に居座り続けている、自民党の思想を代表する人物である。

 朝日新聞 (2020) [1] の報道によれば、杉田が当該の発言を行ったのは2020年9月25日、自民党内の会議の場である。発言については、以下の通り報じられている。

 杉田氏は同日開かれた、来年度予算の概算要求の説明を受ける党の内閣部会などの合同会議に出席。会議は非公開だったが出席者によると、性暴力被害者を支援するための相談事業に関連し、杉田氏は元慰安婦支援団体に触れたうえで、事業を民間団体に任せることを批判。「女性はいくらでもウソをつけますから」と発言したという。
 会議後、杉田氏は朝日新聞などの取材に「そういう発言はしていない」と否定。元慰安婦支援団体を話題にしたとされる点については「聖域になり、誰も切り込めないようになってはいけないという指摘はした」と説明した。

朝日新聞 (2020) [1]

 なお、杉田は報道当初、発言を否定しているが、のちに自身のブログで発言を認めた (NHK, 2020 [2])。そういう意味では、自分自身で『女性はいくらでもウソをつけ』ることを証明した格好になる。

 嘘をつかない人間はいない。そこだけを切り取れば、杉田の発言は間違っていないということになるだろう。だが、当然ながら、杉田はそのような人間一般の性質を論じたいわけではない。発言が性暴力や戦時性暴力に関する文脈でなされたことから明らかなように、これは性暴力被害者の主張の信頼性を貶めるためになされたものである。

 これまでにいくつかのレイプ神話を扱ってきたが、その多くに共通する態度はまさに「女性の主張は嘘である」とする態度だ。「被災地で性暴力被害は起こっていない」とするレイプ神話は被災地で実際に被害に遭った女性の証言を嘘だと決めつけている。「女性の証言は無条件で信用される」というレイプ神話には、「実は嘘なのに」という枕詞が隠されている。

 だが、レイプ神話を信じ込む彼らは、根本的な問いに気付いていない。
 果たして本当に、女性は嘘をついているのだろうか。

神話の検証

統計で示すのは困難だが、それでも……

 この問題の、ひいてはレイプ神話の厄介な点は、わかりやすく神話を否定することのできる統計的データが欠如していることである。そもそも性犯罪は被害を訴えにくいという性質から、統計という表の数字に表れない場合が多々ある。

 ましてや、虚偽の訴えの数や割合を知ることはほとんど不可能である。その訴えが虚偽であると自信をもって判定することは、恐らく神仏にしかできない所業であるからだ。仮にその事例が虚偽だと判断されたとして、その判断が正しいという証拠はどこにあるのだろうか。加害の証明に失敗したとしても、それは訴えが虚偽であることを必ずしも示すものではない。逆に、有罪となった事例も、虚偽の訴えの数を知るという文脈では、冤罪ではない可能性を全く排除してよいわけではない。

 こうした背景がありながらも、研究者たちは虚偽の訴えの割合を何とか知ろうと工夫を重ね、ある程度の推定はなされている。例えば、Lisak et al. (2010) [3] は大学で報告されたレイプの通報を検討し、虚偽の通報が5.9%であることを指摘している。ただし、母数が過去10年間で136件しかない上に大学での事例のみで性犯罪全体の割合を結論してよいとは思えないので、あくまで参考に過ぎない。

 また、研究を直に引用しているものではないが、BBC (2018) [4] やQUARTZ (2017) [5] は、虚偽の通報が2%から10%の割合であることを指摘している。10%と聞くと多いように感じるかもしれないが、前後で述べるように、単に証明に失敗した通報が含まれ過大視されている可能性もある。BBC (2018) やQUARTZ (2017) はまた、虚偽の通報によって逮捕や起訴に至る事例が極めて稀であることも指摘している。

 このように、実際の「虚偽の性暴力被害の訴え」を数字で明らかにすることは困難であるとはいえ、証拠はおおむね虚偽が少ないことを示している。少なくとも、虚偽の訴えが懸念するほど多いという証拠はない。この時点で、女性が虚偽の訴えを (頻繁に、ないしは無視できな頻度で) 起こしているとするレイプ神話は根拠のないものだと退けてしまっても構わないとも言える。

 だが、それだけではレイプ神話を信じる人々は納得しないだろう。

ヒステリーだったことにされる戦前日本の女性

 統計によらない傍証でよいのであれば、女性の虚偽の訴えに関する証拠の蓄積は存在する。ただし、その証拠はおおむね、女性の訴えが虚偽であることではなく、訴えが虚偽だと決めつけられてきたことを指し示している。

 古い例にはなるが、日本における例を田中 (2006) [6] が検討している。田中 (2006) は戦前の時代、日本の司法や犯罪学研究が女性の実際を無視し思い込みとステレオタイプによる決めつけで乱暴な議論を行っていることを指摘しているが、その中に虚偽の強姦に関する検討もある。

 田中 (2006) によれば、当時はたびたび虚偽の強姦に関する報道がなされていた。しかし、当時の法医学では、精液の付着や処女膜の損傷などの証拠がない場合は女性が強く抵抗した際にできる傷が認められる必要があるとされていた。当時の発想では、女性は自身の貞操を強く守るはずで、無抵抗はあり得ないことになっていた。

 では、傷などの明確な証拠がない場合はどのように扱われていたのだろうか。田中 (2006) が紹介している、当時の犯罪学者小酒井不木の著書『近代犯罪研究』の一説を以下に引用する。

 ヒステリー」の女子が誣告罪を犯すこと、即ち強姦されたとか、傷つけられたとかいって虚偽の訴えをなすのは周知のことである

小酒井不木『近代犯罪研究』

 また、戦後出版された小南又一郎『法医学綱要』は『ヒステリ病者』について以下のように述べている。

 往々強姦されたとか、強姦に会ったとか云うて、虚偽の訴えをすることがある

小南又一郎『法医学綱要』

 つまり、戦前から戦後まもなく(あるいはさらに近代)の日本では、女性の強姦の訴えは証拠がなければ即座にヒステリーのせいであることにされていたのだ。

 言うまでもないことだが、実際に性暴力の被害に遭っているからといって、"都合よく"証拠が残っているとは限らない。当時訴えられた強姦被害のなかにも、このような証明が困難だっただけで真実だった事例は相当数あったはずだが、そうしたある種のグレーゾーンは一切省みられることがなく、女性が嘘をついたための騒動だということにされてしまったのだ。

被害を訴えて犯罪者扱い

 これはあくまで過去の話だと思われるかもしれない。杉田のような事例がいる時点でその認識は誤りだが、より最近の、より酷い事例がアメリカにある。

 Propublica (2015) [7] は2009年にワシントン州リンウッドで起きた事例を紹介している。この事例はある女性が自身の性暴力被害 ― 自身のアパートの一室で男に拘束されレイプされるというもの ― を警察に通報したところ、被害者である女性が起訴されたというものだ。

 混乱がないようにもう一度書くが、起訴されたのは被害者の女性である。加害者ではない。

 被害者である女性は、虚偽の通報をしたとして起訴された。だが、その後の捜査で真犯人が発覚し、通報が虚偽ではなかったことが明らかになった。

 もう1つの事例は、2006年にニュージャージー州で起こったものである。この事例では、犯罪に行きあった7人の非白人女性が加害者である男性に抵抗した結果、女性たちが起訴されることになった (NBC NEWS, 2007 [8])。

 これも混乱がないように繰り返すが、起訴されたのは女性である。加害者ではない。

 この事例は抵抗した女性の中に同性愛者がいたこともあり、「異性愛者へのヘイトクライム」「キラーレズビアン」などのバカバカしいフレーズと、事実に反する誇張が織り交ぜられて報道された (Gay City News, 2007 [9])。起訴された女性たちのうち、暴行未遂の罪を認めず裁判を戦った4人はザ・ニュージャージー・フォーと呼ばれるようになった。

「嘘」で加害者にされる女性たち

 これらの事例に共通しているのは、女性の被害の訴えを嘘だと決めつける態度だけではない。女性の訴えを単なる嘘ではなく加害行為だと見なす態度がここにはある。そうでなければ、被害を訴えた女性を嘘つきだとするだけではなく、"わざわざ"虚偽の通報や暴行の罪で裁こうとはしないだろう。

 これは理屈だけ考えれば奇妙なことだ。日本の事例でもそういった側面はあったが、この考え方のもとには、女性の訴えは「完全な真実」と「完全な嘘」に二極化される。「まだ判断がつかない事例」や「証明が困難な事例」という、ある種のグレーゾーンの存在は忘れ去れている。レイプに限らず、世界の物事に「完全な真実」と「完全な嘘」の2つの完璧に区分できるものなど存在しないにもかかわらずだ。

 そして、こうしたグレーゾーン、ないしは本当に虚偽の通報は性暴力に限った話ではない。我々が警察に訴える被害の多くは"軽微なもの"と見なされており、警察のリソースの限界と単なる怠慢のためにほとんどが捜査されることすらなくあやふやに処理される。いわば、被害の証明に失敗しているとも言える。だが、だからといって我々は虚偽の通報の罪で起訴されることはなく、そのようなことを心配することもない。我々が被害の経験を語るとき、その被害の真実性を疑われることもほとんどない。

 性暴力被害だけが例外なのである。性暴力被害の訴えだけが、虚偽の可能性を強く疑われ、時には嘘によって男性を貶める加害者扱いまでされることになる。これはどうしたことだろうか。

 この奇妙に見える現象を読み解くヒントは、前述のワシントンやニュージャージーの事例も紹介しているケイト・マンの著書 (Manne, 2023 [10]) にある。

 マンは女性の性暴力被害の訴えを、男性は家父長制への挑戦だと捉え攻撃し返すのだと指摘している。マンによれば、ミソジニーは家父長制において女性に期待される規範から逸脱した人物に罰を与える法執行部門のようなものである。

 家父長制には「女性は男性に (性的にも) 尽くすべきである」「女性は男性に (性的な側面も含めて) ケアを提供するものである」という規範がある。性暴力被害を訴えるということは、言い換えれば男性に尽くしたりケアを提供することを拒否し、家父長制においては当然の権利を要求しただけの男性を加害者として扱う行為である (実際加害者なのだが)。このため、被害を訴えた者は家父長制の規範から逸脱したとして攻撃されることになる。

 この主張は、被害者がその訴えを虚偽だと決めつけられ、ときに被害と加害が逆転したような扱いを受ける理由を説明できる。家父長制においては、被害を訴える者は、男性の当然の権利を侵害し挙句悪者扱いするという意味で、確かに加害者なのである。生活保護を受ける権利や車椅子で移動する権利など、当然の権利を訴えただけで非難してくる人物は、一般にろくでなしであると考えられる。問題は、"家父長制における当然の権利"が、現代社会において実は全く当然の権利ではないことだ。

女性差別に迎合する女性議員

 最後に、杉田水脈の発言に戻りたい。彼女は女性議員の立場から女性差別的な発言をしている。家父長制の色の強い自民党という組織で居場所を確保するためには、自分で自分を差別するようなことを言わなければならないのだろう。被差別属性を持つ人物がその属性を差別する言動を自ら行い、差別的規範を内面化することは珍しくない。

 現に、自民党は未だに、杉田に対しなんら処分を下していない。これは杉田の発言が、単なる妄言ではなく、自民党の思想を正しく反映したものだからだ。自党の思想を正確に発言しているだけの人物を処分できる政党は存在しない。

 だからこそ、この問題は、あるいは女性差別的な女性の問題は、「女の敵は女」という文脈で理解してはならない。マイノリティが自信を差別するとき、その背後には必ずマジョリティの思惑がある。それを見落とせば物事の本質は理解できない。

 女性の訴えを嘘だと決めつけているのは、あくまで男性であり、男性社会の構造なのである。

参考文献

[1]朝日新聞 (2020). 杉田水脈氏「女性はいくらでもウソ」と発言 本人は否定
[2] NHK (2020). 杉田議員「女性はうそをつける」発言認め陳謝
[3]Lisak, D. et al. (2010) False Allegations of Sexual Assault: An Analysis of Ten Years of Reported Cases. Violence Against Women, 16, 1318–1334.
[4]BBC (2018). The truth about false assault accusations by women 日本語記事は『女性は強姦被害についてよく嘘をつくのか』に
[5]QUARTZ (2017). What kind of person makes false rape accusations?
[6]田中ひかる (2006). 月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う 批評社
[7]Propublica (2015). An 18-year-old said she was attacked at knifepoint. Then she said she made it up. That’s where our story begins.
[8]NBC NEWS (2007). Four women sentenced over attack on man
[9]Gay City News (2007). Killer Lesbians Mauled by Killer Court, Media Wolfpack
[10] ケイト・マン (2023). エンタイトル 男性の無自覚な資格意識はいかにして女性を傷つけるか 人文書院


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