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【山田太郎問題】激ヤバ規制「侮辱罪厳罰化」推進を誇る愚と好都合なダブスタ

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 なお、シリーズの記事一覧は『
【山田太郎問題】序文と記事まとめ』から。


 山田太郎の議員活動には成果らしい成果が乏しい。そのため、彼は成果をあげたふりをする必要がある。この振る舞いにはいくつかのパターンが存在するが、その中でも最悪なものとして「マイナスの政策を逆に成果として誇る」というものがある。

 こう言うと、山田太郎が役立たずだと思っている人の中にも、彼が積極的に規制を進めたことがあるのかと疑問を抱く人がいるかもしれない。彼はあくまで役立たず、規制をスルーするのが仕事であって、自ら進める力すらないはずだと思うかもしれない。だが、実際には、彼はむしろ存在しない方がマシと言うべき政策を推し進めてもいる。

 そこで、今回は山田太郎の成果の嘘を暴くため、彼が推進した「侮辱罪厳罰化」を取り上げる。そして、規制推進を正当化する理屈に隠された、山田太郎の主張の根幹にある問題も暴き立てる。

 なお、本項は個別具体的に引用している参考資料とは別に、全体を通して東京弁護士会の意見書 [1] および弁護士資格も持つ米山隆一衆議院議員の解説動画 [2] も参考にしている。

侮辱罪厳罰化で何が変わるのか

法定刑により逮捕が可能に

 まず、ここで問題とする侮辱罪厳罰化について振り返り整理したい。

 侮辱罪の厳罰化、つまり改正法案は2022年6月13日に成立し、同年7月7日に施行された。変更点は、侮辱罪の法定刑が「拘留又は科料」から「1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」に引き上げられたことである [3]。なお、拘留は30日以内、科料は1万円未満と定められている。

 変更はこれだけである。だが、法定刑が引き上げられたことは、単に厳罰となった以上の意味がある。

 最も大きな意味は、刑事訴訟法第199条1項の規定から外れ、侮辱罪ので逮捕が可能となる点である。当該条文には以下のような規定がある。

1. 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるときは、裁判官のあらかじめ発する逮捕状により、これを逮捕することができる。ただし、30万円(刑法、暴力行為等処罰に関する法律及び経済関係罰則の整備に関する法律の罪以外の罪については、当分の間、2万円)以下の罰金、拘留又は科料に当たる罪については、被疑者が定まった住居を有しない場合又は正当な理由がなく前条の規定による出頭の求めに応じない場合に限る。

刑事訴訟法第199条1項(太字は引用者)

 つまり、厳罰化前の侮辱罪の法定刑であれば、一部の条件を満たす場合を除いて逮捕できない、ということだ。犯罪者はみな逮捕されるイメージがあるかもしれないが、逮捕は重大な人権侵害であり、その運用は厳しく制約されている。逮捕状の必要性はもちろんのこと、微罪で身体を拘束することは許されていない。

 だが、厳罰化によってこの規定がなくなり、逮捕がより容易となった。これは何を意味するだろうか。

 いまはまだ可能性の話だが、最も懸念されるのが逮捕による言論弾圧である。これまでは、仮に警察官が何某の発言を侮辱罪であると判断したとしても、ごく一部の場合を除いて身体拘束をすることはできなかった。しかし、厳罰化によってこれが可能になる。

 このことが表現を萎縮させることは容易に想像できる。これまでは、仮に侮辱罪だと断じられ、その判断が極めて不当であったとしても、精々1万円の科料を払えばそれで済んだ話だった。が、厳罰化以降は身体拘束を伴うこととなる。逮捕されればその期間中に仕事をすることも学校に行くことも出来なくなり、生活に大きな影響が出る。これを避けようと思えば、侮辱罪にあたると思われる発言は容易に出来なくなる。

 より極端な懸念を挙げるなら、こうした身体拘束による言論弾圧が選挙の候補者に及ぶ可能性も考えなければならない。後述するように、言論の中には批判とも侮辱とも取れる内容のものは珍しくなく、対立候補と争う選挙のような場でも日常茶飯事であろう。かつ、そのような言論を少々言葉使いが荒いなどという理由で規制する必要性もない。しかし、厳罰化以降は、警察や裁判所が選挙演説を侮辱罪に該当すると判断すれば逮捕も可能である。

現行犯逮捕・私人逮捕も可能となる

 もう1つの変化として、逮捕が可能になることで現行犯逮捕や私人逮捕も可能となる点が挙げられる。

 また少々極端な懸念をあげるが、現行犯逮捕が可能であるということは、警察が選挙演説や政治家の街頭演説に張り付き、少しでも侮辱罪らしい発言が出たら速やかに相手を逮捕して演説を止めさせることも理論上可能である、ということである。これでは戦前戦中の「弁士中止」の時代に逆戻りと言えよう。

 警察官がそこまで極端な弾圧をするとは思えないと考える人がいるかもしれない。後述するようにそれは間違いだが、仮にその通りだとしても、より重要なのは、私人逮捕も可能であるという点である。

 侮辱罪が厳罰化されたときには懸念されていなかったことだが、2023年後半から「私人逮捕系ユーチューバー」なる迷惑系ユーチューバーが活動を活発にしている。彼らは、相手に様々な難癖をつけて現行犯逮捕を行い、その様子を動画投稿サイトにアップロードすることで注目と日銭を稼いでいる。(もっとも、彼らの主張する現行犯逮捕のほぼ全てがその要件を満たしておらず、単なる犯罪行為である)

 この原稿を書いている2024年初頭現在、より現実的な懸念は、こうした私人逮捕系ユーチューバーが厳罰化された侮辱罪の規定を笠に着て、自分が気に入らないと考える政治家や候補者を私人逮捕しようと暴行の類に走ることである。

 確かに、私人逮捕系ユーチューバーの活動は不法なものである。だが、表現を弾圧するには、その活動が合法的である必要はない。彼らやその支持者が自身を正当であると思い込んで妨害を行う口実があり、現に表現が妨害されればそれでよい。侮辱罪の厳罰化とそれに伴う私人逮捕の"解禁"は、彼らに勢いを与えるのに十分であろう。

教唆犯も裁かれ得る

 もう1つ、厳罰化により大きく変わるのが教唆犯の取り扱いである。共犯について定めた刑法64条は以下のように定めている。

 拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯は、特別の規定がなければ、罰しない。

刑法第64条

 裏を返せば、拘留や科料に留まらない罪、例えば厳罰化後の侮辱罪は教唆犯や従犯も罰せられるということである。

 ところで、侮辱罪の教唆犯や従犯とはなんだろうか。前例がないため曖昧だが、米山 [2] は侮辱罪にあたり得る野次を飛ばした人に対し、「そうだ!」などと追従した人や拍手をした人も従犯にあたり得ると懸念している。米山の指摘する水準で従犯が成立するのであれば、素直に考えれば、例えば街頭演説での発言が侮辱罪だと見なされた場合、その演説の準備にかかわった人々も全員教唆犯や従犯になり得ると思われる。

 これでは誰も安心して選挙活動に参加することが出来ず、民主主義も崩壊してしまう。

不当逮捕の可能性

何が侮辱罪になり得るのか

 ここまでの懸念を読み、しかし、「自分は人を侮辱しないから大丈夫」だとか、「人を侮辱するような奴しか心配しない」と思う人もいるかもしれない。だが、侮辱罪厳罰化による弾圧は、発言者が侮辱しようとしているかどうかにも、その発言が論理的客観的に侮辱にあたるかどうかも関係がない。警察や裁判所が侮辱であると判断すればそれで十分成立する。

 ここで、そもそも侮辱罪が何を侮辱としているのかについて、条文を振り返りたい。侮辱罪は刑法231条にその規定がある。

 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、1年以下の拘禁刑若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

刑法第231条

 条文では単に、『公然と人を侮辱した者』は罰するとしか書いておらず、何が侮辱にあたるかの規定はない。言論の幅広さを思えば当然の内容ではあるが、これでは何が侮辱と解釈され得るのかわからない。

 例えば、批判の中には公然と人を侮辱する要素を持つものもある。米山 [2] は解説において、「安倍総理は総理の器ではない!」とか「米山隆一氏に衆議院議員の資格はない」といった文言を例として挙げているが、これらはまさに、批判であると同時に侮辱でもあると解釈できる。こうした発言まで侮辱罪で取り締まられるようになるならば、健全な言論活動は破壊されるだろう。

 もっとも、これまではこの条文でも大した問題ではなかった。刑があまりにも軽く、かつ親告罪であるため、よほど強く侮辱されたと被害者が処罰感情を抱かない限り告訴するメリットは薄かった。そのため、あまりにも些末な内容で侮辱罪であると訴える者も少なかった。

 しかし、これからはそうではない。相手を拘禁刑に陥れ、そうならずとも捜査段階で逮捕させれば言論を著しく妨害できるとなれば、侮辱罪の"利用価値"は跳ね上がることになる。このため、曖昧なままの規定では言論弾圧の道具としていいように使われる危険性があると言える。

不当逮捕の懸念

 こうした懸念について、法務省 [3] は処罰の範囲はこれまでと変わらないと説明している。だが、その説明を信用する道理はない。なぜなら、法務省や警察といった行政、果ては裁判所に至るまで、日本の権力は極めて不合理な理路によって言論を弾圧してきた歴史があるからだ。

 実例を挙げるとキリがないので代表例に留めるが、例えば山添拓参議院議員は侮辱罪厳罰化についての委員会質疑で、マンションでのビラ配りが不法侵入に問われた例を挙げて不当逮捕の懸念を示した [4]。これは自衛隊のイラク派兵に反対するビラを撒くためにマンションに立ち入った人物が不法侵入として逮捕・起訴された事例である [5]。

 また、記憶に新しいのは北海道におけるヤジ排除事件であろう。北海道警察が安倍晋三に対し野次を飛ばした市民を排除した事例である。肉声で何度かヤジを飛ばしただけの市民を、警察は危険だと一方的に解釈して排除した。この時点で、市民が政治家に意見を伝える自由は十分阻害されているが、裁判ではさらに、排除された市民2名のうち1名は排除が適法だったと判断されてしまった [6]。

 この事例からわかるのは、裁判所も警察に追従した判決を下すことが珍しくなく、仮に裁判所が警察の行為を不法だとみなしたとしても、表現を行う時点で妨害されてしまえば弾圧の目的は達成されるということだ。(ちなみに、野次を飛ばされた安倍晋三はSPの監視の中で暗殺された。野次にすら神経をとがらせていた政治家の末路としては皮肉が効きすぎている)

 この原稿を書いている時点では、群馬県の朝鮮人追悼碑破壊の例もあり、レイシズムや歴史修正主義のバックラッシュが増していると評価できる社会情勢である。こうしたバックラッシュを担う極右団体とカウンターがぶつかった際には激しい罵りあいとなることも珍しくないが、警察がカウンターを弾圧するために侮辱罪を持ち出す危険性も十分ある。レイシズムへの批判も出来ないとなれば、表現の自由は有名無実となるだろう。

山田太郎は何を考えているのか

法務省の説明を鵜呑み

 こうした問題があるなか、侮辱罪は厳罰化されてしまった。では、この規制を推し進めた山田太郎は何を考え、発言していただろうか。

 また、「表現の自由」の萎縮に繋がることがないよう運用されることを要請しつつ、正当な言論は刑法35条で救済されることも確認しました。

山田 (2022a) [7]

 山田太郎は、不当逮捕への懸念について、彼は刑法35条で不当逮捕は抑制できると主張している。この主張は法務省 [3] の説明とも合致しているが、これには重大な問題がいくつもある。

 最初に挙げるべきなのは、取り締まりを行う側 (厳密には少し違うかもしれないが) である法務省の説明を鵜呑みにしている点である。以前の記事 [8] でも説明したことだが、山田太郎は表現の自由を守ると謳うものの、規制をする側の説明を疑わないという重大な弱点を抱えている。

 常識で考えればわかることだが、弾圧する側がそのための法律を作ったとして、そのことを政治家に問われ「はいその通り! 弾圧に使います!」などと答えるはずがない。確実に、不当なことはしないなどと取り繕うに決まっており、その嘘を見抜いて規制を防ぐのが政治家に求められる仕事であるはずだ。弾圧者の説明を右から左に流すだけならガキの使いでしかない。

 次に、刑法35条を理由とした侮辱罪の救済などというものは前例がなく、本当に法務省の説明通りに解釈や運用がなされるのか全く分からない点も問題となる。

法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

刑法35条

 刑法35条は上の通り、業務上正当な行為を罰しないことを定めた条文である。これは例えば、ボクサーが試合で相手を殴ることや、医者が手術で患者の体を切ることなどが犯罪にならないように機能するものだ。

 だが、侮辱行為が正当な業務になる仕事とは何だろうか。政治家は該当するとして、では候補者はどうだろうか。評論家はどうなるだろうか。そもそも業務による行為というのであれば、我々のように仕事ではなく私事として批判を行うものは該当しないのだろうか。疑問は尽きない。

 そもそも、東京弁護士会 (2023) [1] が指摘するように、刑法35条を侮辱罪に適用した事例はない。今後は適用されるだろうと楽観視するのはあまりにも危険である。

 もし本当に侮辱罪による表現弾圧を懸念するのであれば、せめて名誉毀損罪と同様の免責条項を設けるべきであった。それをせず、弾圧者の主張を疑いもせず信じ込むような所業は、表現の自由を守ると主張する議員にありえない愚行であると評価せざるを得ない。

重大なダブルスタンダード

 もう1つ指摘しなければならないのは、山田太郎にある重大な二重基準、強烈な党派性に基づくダブルスタンダードである。

 何度も説明しているように、彼は規制側の説明を鵜呑みにするという愚行を犯している。しかし、それだけであれば、規制については楽観視する姿勢なのだと強弁することも不可能ではない。表現の自由を守ると主張する議員が規制に楽観的なのは既におかしいが、一応理屈を通すことは可能だ。

 しかし、その理屈を通すには、すべての「規制に繋がるあれこれ」について、同様に楽観的でなければならない。あれについては楽観的だがこれについては悲観的などという振る舞いは筋が通らないはずだ。が、山田太郎は平気でそれを行っている。

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