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【レイプ神話解説】朗報:痴漢冤罪でもほぼ人生終わらない

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冤罪だ!

 性犯罪の話になると必ず湧き出てくるのが、性犯罪だけ急に冤罪が気になる人たちである。彼らはあらゆる犯罪の冤罪について無頓着で、何なら滝川ガレソみたいな不確かな噂で人を犯罪者扱いすることすらあるのだが、こと性犯罪になると突如として人権派に鞍替えし冤罪を心配し始めるのである。

 誤解がないように強調しておくが、冤罪はあってはならないことである。私はこの記事で冤罪被害を軽視したいわけではない。

 だが、ミソジニストたちが冤罪を心配して騒いでいるわけではないことも指摘する必要がある。彼らは性犯罪被害の訴えを妨害し有耶無耶にするため、そして冤罪被害を殊更大きく見積もることで相対的に性犯罪被害を矮小化するために冤罪を持ち出しているにすぎない。こういう愚劣な主張は真の冤罪問題解決にもマイナスであるし、否定しておくに限る。

 事実、彼らが主張するように性犯罪の冤罪で「人生が終わる」可能性は著しく低い。珍しいからこそ冤罪に注目が集まるとも言えるのだが……少なくとも、冤罪即人生終了とは程遠い現状がある。

神話の検証

逮捕率と起訴率、罰の重さ

 では具体的に、性犯罪者はどのように処遇されているのだろうか。ここでは冤罪に遭った者が真に加害者である者と同等に処遇されるという前提で検討していく。

令和5年版犯罪白書 第2編第2章第3節

 まず身体拘束である。身体拘束の有無は社会生活に大きな影響を与える要素と言える。令和5年版犯罪白書によれば、強制性交等で逮捕されるものは全体の57%、強制わいせつでは54.5%となっている [1]。言い換えれば半数は逮捕されることもない。

 次に起訴率だが、これは検察の統計で確認することができ、2022年のデータだが強制性交等が32.1%、強制わいせつが32.8%である[2]。なんと、3分の2は不起訴で済んでいる。

令和5年版犯罪白書 第2編第3章第3節

 では起訴されたらどうなるだろうか。流石に人生おしまいかと言えばそうではない。再び犯罪白書に戻って、令和4年の第一審の終局処理人員のうち有期刑を言い渡されたのは1308名だが、そのなかで全部執行猶予となったのは716名だった[3]。約55%は執行猶予がつくことになる。

 整理すると、性犯罪事件で実刑判決が下るのは警察が処理した人員のうち15%そこらに過ぎない。あとは不起訴であったり、有罪となっても執行猶予がついて娑婆へ戻っていく。人生はなかなか終わらないのである。

冤罪はどのくらい起こるのか?

 しかし、ここまで述べた確率はあくまで、その性暴力の真犯人であることを前提としたものである。もしあなたが本当に性暴力に手を染めていないなら、それでもなお加害者に取り違えられてしまう確率も考慮しなければならない。では、そのような確率はどのくらいなのだろうか。

 まず、あなたが冤罪被害にあうには、あなたが性暴力の現場にいて被害者から取り違えられなければならない。つまり、被害者が自身の被害を、あなたを加害者として間違えて通報しなければならない。通報されなければ冤罪は起こりようがないからだ。

 ここで、以前の解説『【レイプ神話解説】被害者が警察に行かないのは普通だし、常に合理的でなければいけない理由もない』を参照してほしい。ここでは性暴力被害の通報率を紹介している。数字は色々出ているが、通報率は高くても2割は超えないくらいだというのが日本の現状とみていいだろう。

 ただし、この通報には真犯人を通報したものと加害者を取り違えたものが混在していると考えられる。通報がすべて冤罪などと言うことはあり得ないので、冤罪被害にあう確率はさらに低い。では、冤罪はこのうちどれくらいの割合で起こるのだろうか。

 冤罪の割合については信頼できる数字がないのが現状である。冤罪か否かを判断することが困難である以上当然の制約ではある。以前『【レイプ神話解説】女性は本当に嘘をついているのか』においていくつかのデータを示し、虚偽の通報率が10%を超えない程度であることを解説した。だが、冤罪がもっと多いと考える人々はこうした数字に納得しないだろう。

 ここでは視点を変え、著名ミソジニスト氏が依拠するデータを参照してみたい。ミソジニストの代表格が頼るデータなら彼らも信用するだろうという魂胆である(データの信頼性を巡って内輪もめが生じるならそれはそれで構わない)。

 ここで紹介されているのはアメリカでYouGovが実施した世論調査の内容である [4]。ツイートでは『女性のDVや性犯罪等の虚偽告発率はアメリカでは11%という調査がある』とされているが明らかに間違いであり、正確には回答者の男性のうち11%が虚偽の性加害で告発された経験があると回答しているという結果だ。告発全体に占める虚偽の割合ではないし、告発者の性別はわからない。

 ちなみに、虚偽の告発者のうち女性の割合が62%だということは本文の3行目に書いてある。ミソジニスト氏がいかに文章を読んでいないかわかろうというものだ。

 重要なのは、本調査が自己報告によっているという点である。つまり、告発が虚偽だったと言い張るインセンティブがあり、あるいは自身の加害性を自認できておらず告発が虚偽だと思い込める状況であり、冤罪の数字は過大に出やすい調査だった。そうした調査で得られた結果が11%なのである。

 通報に占める虚偽の割合と、回答者が虚偽の告発を経験した割合は異なる概念である。だが、通報が1人以上の加害者と紐づくのだと想定すれば、その2つが大差ない概念だと考えることもできる。要するに、どういう調査をしても冤罪の割合は10%を超えることがなさそうだといえる。

冤罪で人生が終わる確率

 ここまでの話を整理して、冤罪で人生が終わる確率を改めて考えてみよう。なお、この確率はあくまで単純極まる計算ではじき出されるものに過ぎない。なんとなくの規模感だけを感じ取ってほしい。

 まず、通報率が高く見積もっても20%である。あなたが痴漢のそばにたまたま居合わせたのか、同意を取ったつもりで行為に及んだのかはさておき、それが通報される可能性は20%程度しかない。

 加えて、その通報が虚偽や間違いである確率は、高く見積もっても10%しかなさそうだった。この2つの数字を考慮すれば、あなたが「本当に加害者じゃないのに」何らかの性被害に伴って通報されてしまう確率は2%程度しかない。

 しかも、この通報によって逮捕される確率は50%程度である。つまりあなたが「本当に加害者じゃないのに」何らかの性被害に伴って通報され、かつ逮捕までされる確率は1%程度しかない。

 そして、起訴されるのが30%程度である。これは逮捕の有無とと独立して生じる事象だと仮定すれば、あなたが「本当に加害者じゃないのに」何らかの性被害に伴って通報され、その容疑で起訴されてしまう確率は0.6%程度である。ソシャゲのガチャで星5が出る確率に近づいてきた。

 最後に、第一審の審理が終局した者のうち、執行猶予のない有期刑を言い渡されるのは半分程度である。だから、あなたが「本当に加害者じゃないのに」何らかの性被害に伴って通報され、その容疑で起訴された上に刑務所にぶち込まれる確率は0.3%程度である。ちなみに、実刑判決を受けた者も多くは3年以内の刑期だったりする。

 ところで、この計算式であれば、冤罪でなくても性犯罪者が刑務所にぶち込まれる確率が3%くらいしかないことがわかる。そもそも通報されないし、起訴されないし、半数が執行猶予になる。仮に実刑になっても多くが数年で出所する。大事になってニュースで報じられた加害者に(法律用語ではなく通俗的な意味での)大量の「前科」があるのはこのせいだろう。

誰が冤罪の脅威を作るのか

 とまぁ、ここまで論じてきたのだが、冤罪を矮小化していると思われても困るので最後に真面目な話をしよう。

 冤罪は確かに脅威である。確率的には極めてまれな事象かもしれないが、とはいえ、その害を被れば確かに人生は終わりかねない。警察や検察の違法な取り調べによって心身の健康を害するし、広まった悪評を浄化するには時間がかかる。

 では、このような害は誰によって作られるのだろうか。結論は簡単だ。

 お前らである。
 そう。レイプ神話を軽々に信じ込み、性犯罪被害を矮小化しながら冤罪被害だけにはびくびく怯えるような、愚かな人々によって冤罪の脅威は作られるのである。なんという皮肉だろうか。

 冤罪被害の脅威の1つは、不確かな悪評が広まることによる社会的な孤立である。だが、この脅威は本来無に帰すことも可能である。我々が冤罪の生じる恐れをきちんと認識し、推定無罪の原則を守っていれば間違って逮捕されたところで脅威にはならない。その人は裁判が終わるまではあくまで疑われているだけの人に過ぎず、悪評は裁判が終わるまで保留されるのだから。

 しかし、ミソジニストたちは自ら推定無罪の原則を破壊し、自身で冤罪の脅威を増幅させている。例えば、この記事を書いている時期に、あるサッカー選手を性暴力で告訴した女性の件が話題に挙がった。加害者とされた方も女性を虚偽告訴で訴えたが、結局、どちらも不起訴となった。

 これに呼応して騒ぎだしたのがミソジニストたちである。不起訴の理由は現状判然としていないが、彼らは告訴が虚偽だったと決めつけている。

 冤罪を恐れるのであれば、詳細がわからないうちから人を犯罪者扱いすべきではない。当然のことである。だが、彼らは自分が叩きたい相手のときは冤罪への恐怖をすっかり忘れてバッシングに走るのである。自分が都合のいいときにバッシングするなら、自分の都合が悪いときにバッシングされるのもまた当然である。

 加えて、彼らは警察権力の問題に少しでも批判的な言動を起こした形跡がない。先に挙げたように、性暴力の疑いがそのまま女性側の虚偽に直結され、それ以外の可能性が消えている。つまり、冤罪を引き起こす警察や検察、裁判所が彼らの認識では透明化されている。

 極論、冤罪は司法や警察行政が適切な業務を行っていれば起こりえない。警察が疑わしい事例を弾き、検察が不起訴としてさらに弾き、それでも残ったものは裁判所が無罪にできる。冤罪が生じるのは、それぞれのシステムに問題があり、冤罪を弾くことが出来なくなっているためである。

 ミソジニストたちがいくら顔を赤くして女性の不誠実を言い立てたところで、この問題が無くならなければ冤罪は解決しない。いくら「完全に虚構の冤罪」を無くそうとしたところで「加害者の取り違え」のような冤罪はなくならない。女性側の認識では嘘をついていないのだから、女性がどうなろうが冤罪が減ったりはしないのである。

 ところが、ミソジニストたちは冤罪問題における女性の比重を誤って強調するために、司法や警察行政の問題を温存することを手助けしている。彼らが余計なことをしなければ、いわゆる人権派な人たちは女性へのバッシングという余計なことに労力を割く必要がなくなり冤罪問題により取り組めるかもしれない。彼らが女性バッシングに割く熱量を少しでも司法の問題を批判することに割いていれば、改善が進むかもしれない。だが、ミソジニストたちはそうしなかった。そのために冤罪問題はなおも温存されるのである。

 最後に、ミソジニストたちにとって不都合な事実を提示して終わりたい。冤罪を作り出す最後の砦である裁判所、そこで勤める裁判官の女性割合はたった24.3%である。[5]
 つまり、性犯罪の冤罪はだいたい男によってつくられているのである。

参考文献

[1]法務省 (2023). 令和5年版犯罪白書 第2編第2章第3節 被疑者の逮捕と勾留
[2]e-stat (2022). 検察統計調査 検察統計
[3]法務省 (2023). 令和5年版犯罪白書 第2編第3章第3節 第一審
[4]Stewart R. (2020). Survey: Over 20 Million Have Been Falsely Accused of Abuse
[5]男女共同参画局 (2024). 男女共同参画白書 令和6年版 第1分野第2節

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