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【九段新報総集編】なぜ性犯罪を論じる際に認知件数を参照する意味が薄いのか

 最近、私が口を酸っぱくして繰り返した成果も少しあってなのか、性犯罪を論じる際に認知件数を持ち出すことの馬鹿馬鹿しさが周知されてきたように思えます。一方で、周知されてきたためにかえって議論が形骸化している節もあるかもしれません。まぁ、認知件数を持ち出す意味がないというのは自明のことなのでわざわざ議論ごとに説明する必要はないのですが、深くその意味を理解しないまま主張を使ってしまうのは良くありませんし、自由戦士のような詭弁論法への抵抗力を減らすことにもつながり得ます。

 今回は、なぜ性犯罪を論じる際に認知件数を参照することに意義が薄いのかについて、改めて整理して一挙解説していきます。総集編とタイトルでは銘打ちましたが、今回はこれまで私がブログに書いてきたことをひっくるめてブラッシュアップした感じで、文章自体はオール新規です。

その議論で認知件数を出す意味があるのか

 まず、小手先の理屈を扱う前に、その議論で認知件数を持ち出すことに意味があるのかを考えるべきだという点を確認しておきましょう。

 一般に、性犯罪の認知件数が持ち出される場合、その人は
①日本の性犯罪件数がほかの国より少ないこと
②日本の性犯罪件数が何らかのほかの数字と相関していること、あるいはしていないこと
 を主張することを目的としています。しかし、そもそもその主張が相手方の主張の反論として噛み合っていない場合も少なくありません。

 例えば、ざっくり「日本は性犯罪が多い」と主張した人がいたとしましょう。こういうとき、認知件数を持ち出す人は他の国との比較で日本に性犯罪が少ないと主張することで相手を「論破」しようとします。

 ですが、「日本は性犯罪が多い」と主張した人は、別に国家間の比較で言っているわけではないかもしれません。「もっと対策すればもっと減らせるはずなのにそうなっていない」ということを、SNSの文脈でかなり大雑把に表現しただけかもしれません。あるいは、one is too manyとまでいかずとも、理想の状態よりまだまだ多いと言いたいだけかもしれません。この場合、ほかの国に比べて少ないことは大した意味を持ちません。

 また、例えば「表現に悪影響がある」と主張する人に、ポルノの流通量と性犯罪の認知件数に相関がないことをもって「論破」しようとする人がいるかもしれません。この場合、その人の念頭にある「悪影響」が性犯罪に限らないことを留意する必要があります。仮にこの「悪影響」が、男が女性を自身の性的欲求の充足のための道具として使ってよいのだとするステレオタイプや社会的風潮の浸透、つまり性犯罪の手前にあるレイプカルチャーの広まりのことを指しているのであれば、認知件数にはさほど意味がありません。認知件数に現れる前の話をしているからです。

 特にSNS上の言説では、言葉が不明瞭なまま使われがちです。一般に主張は明確である方が好ましいとは思いますが、SNSでのぼやきレベルの言説までそうである必要はないでしょう。判断に迷う場合は、言葉の意味を恣意的に決め打ちにするのではなく、相手方に確認をすべきです。

認知件数とは何か

 それでは、本題に入っていきましょう。そもそも、認知件数とは何なのでしょうか。

 認知件数とは、基本的に、警察が認知(いわば把握)した犯罪の件数を指します。警察が通報なり告訴なり被害届なりで犯罪を知り、発生原票という書類(おそらくこのうちの「刑法犯認知情報票」と呼ばれるもの)に記入して処理した犯罪が認知件数として計上されるというわけです。

 ついでに、ほかの用語も解説しておきましょう。認知件数は警察が把握している犯罪件数ですが、当然、すべての犯罪が通報されるわけではありません。こうした事情から、仮に「犯罪件数の真の値」があるとすれば、認知件数は必ずこの真の値と乖離します。その差を暗数と言います。

 暗数は、日本では「犯罪被害実態調査」によって確認されています。およそ5年に1回のペースで行われ、記事執筆時点での最新は2019年の調査です。

 認知件数を参照する意義が薄い理由の大部分は、認知件数が「犯罪件数の真の値」ではなく、真の値から無視できないほど乖離している可能性があるためです。本当に犯罪件数について論じたいのであれば、認知件数を持ち出すのは良い手ではありません(暗数調査を除けばこれ以外に妥当な調査が少なく、渋々使うという事態は起こってしまいがちですが)。ここから先の解説は主に、なぜそうした乖離が生じるのかの説明に終始することとなります。

認知件数は業務統計である

 認知件数をあたかも犯罪の発生件数であるかのように扱ってしまう議論の一因には、認知件数をがあくまで業務統計、つまり警察の業務を報告する数字であるということが理解されていないことがあるかもしれません。

 業務統計というのは、物事の現象を客観的に調査した統計ではなく、あくまで何らかの組織の仕事の具合を反映した統計にすぎません。例えば、片田舎のどこかにどっかり構えて見つけた野犬をカチカチとカウンターで数えたら、それは野犬の数を客観的に把握した統計(に近いもの)だと言えるかもしれません。一方、保健所が野犬を確保した数はあくまで保健所の仕事を示すもので、野犬の数の真の値を調査したものではありません。

 認知件数もこれと同じで、あくまで警察の業務の実績を示すものにすぎません。そのため、認知件数は世の中の犯罪の真の値とは無関係に、警察の業務態度に大きく左右される可能性があります。仮に、警察が「認知件数が上がると検挙率下がるし、地域に犯罪が多くあるように見えてやだな」と思い発生原票に市民からの被害の訴えをなかなか記入しなければ、認知件数は下がります。こうした消極的な態度が問題となった事例の1つが桶川ストーカー事件でした(ストーカー事件の場合、警察の性暴力に対する無理解も影響しているでしょう)。

 一方、世間の批判などで積極的に認知しようということになれば、認知件数は上昇します。桶川ストーカー事件直後に認知件数が跳ね上がったのはこれが一因ではないかと思います。また、極端な例ですが、「今年は特殊詐欺強化年間だ!特殊詐欺被害はしっかり認知して検挙するぞ!」と号令がかかれば、特定の犯罪の認知件数だけ跳ね上がるということもあるかもしれません。逆に、そうした号令に人員を割かれてほかの犯罪の認知件数が下がるということも起こるかもしれません。

 ともあれ、重要なのは、認知件数はあくまで警察の業務を反映するものであり、その数字は警察のあり方に大きく左右されるということです。業務の態度に左右される数字を「犯罪件数の真の値」であるかのように使うことには慎重でなければなりません。

認知件数に影響する社会の要因

 もちろん、認知件数に影響するのは警察の態度だけではありません。社会の側のあれやこれやも様々なかたちで影響します。

 その要因をすべて列挙することは不可能ですが、代表的な例を挙げることはできます。その1つは、警察に通報する被害者の考えです。

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