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桜が怖い

ちょうどこんな季節でした
春といえど肌寒い夜
カップの熱燗を片手に夜桜を眺めていた俺に男が話しかけていた
同じく熱燗のカップを片手にコンビニおでんを持っていた
軽く乾杯し、一口含む
少し高めの温度の酒が喉を通るとカッと熱くなる
そこに男から貰ったおでんの大根を含む
同じく熱い大根が胃に染み込む
「見事に咲きましたね」
満開の桜を眺める
電灯に照らされて白く浮かび上がる桜
昼間の青空の下で薄いピンクの明るく爽やかなイメージと違い、幽鬼の様な微かな雰囲気を出す
「まあ、桜目当てでなくただの酒盛りなんですよ
女房が妊娠し、目の前での飲酒喫煙の禁止を言い渡され、この様な場所で1人酒を楽しんでいたわけだが
「私はちょうど今の時間に仕事が終わって夕飯代わりというわけですよ」
家で1人で食事が嫌だったという
「私ね。この時期は1人でいるのが苦痛なんですよ。桜が怖くてね」
俺はこの男にこんな話を聞かされた
私の職業は精神科医でして
毎日患者の悩みを聞いて、薬を処方してといったことをします
その患者に毎年一回だけ睡眠薬を希望する患者がいました
「桜が怖くて眠れないんです」
この患者は桜に恐怖していました
普段の枯れ木や青葉は平気なんですけど桜の花が咲くこの時期だけは部屋から出られないほどに恐怖を感じるという事でした
「あの花が見えるだけで身体が震えて汗が止まらなくなるんです」
暑くもないのに汗を吹き出し小刻みに震えていて
何かがいるかのように辺りを気にして指を何度も組み直します
「とにかくあの花が怖いのです。死人の指のようなあの感触の花びらが肌に触れるだけでみっともなく叫んでしまうのです」
子供の頃は春休みに咲く桜におびえ、自宅にこもっていた
成人し、就職してからはこの時期はため込んだ有休を取り、やり過ごすそうです
「特に夜が怖くて、雨戸を締め切っても奴らが侵入してきて俺を引き摺り込むんじゃないかと思うんです。冷たい土の中に引き摺り込んで、ゆっくりと降っていく俺を待ちながら」
そうして全て溶けた身体を根でゆっくりと吸い上げる

想像力豊かな彼の話は患者の話ではなく
何か作家の文章を聞かされている様でした
随分とロマンチックな患者だなと思いつつ
「では軽い睡眠薬を出しておきます」
と薬の飲み方と禁止事項を説明しました
その患者は薬を受けっとって帰りました
こういう恐怖症はよくあることです
我々にはには何の変哲もない羽虫すら巨大な獣に遭遇したかの様に恐れる人も居ます
桜は初めてでしたが、世の中は広いですから
その時は珍しい症状を見たと思っていました
しかし3日後にあの患者はまた来ました
「こんな薬じゃ眠れません。もっと強いのを下さい」
そういう患者の目の下にはクマが出来て顔色も悪いが、目だけはギラギラと光っていて何かの獰猛な獣の様でした
「しかもおかしな夢まで見るんです。俺が夢の中で女を殺して桜の木の下に埋めているんです」
夢とはいえ首を絞めた感覚や、死に際の女の痙攣する様など
実際にこの患者が人を殺したのではないかと錯覚するほどでした
「その女に俺は引きずられて同じように桜の木の下に行き梅に荒れて骨になってく。そんな夢ばかり見るんです。先生どうにかしてください」
今にも私を絞め殺さんばかりの勢いで迫る患者に
「わかりました。次はもっと強めのお薬を出します」
私は彼に強めの薬を出しましたが翌日も患者はきました
「このままでは俺は殺されてしまします。先生!助けてください」
泣きながら懇願するこの患者はもはや私の管轄ではないと思い
「私の知り合いの霊能者を紹介します。これはもう現代医学ではどうしようもできません」
もちろん私の知り合いに霊能者なんてものは居ません
これも対症療法の一種で仲間の意思に相談して芝居を頼むものです
それらしく振る舞って解決策を患者に見つけてらうのです
「明日は私も休みなので一緒に行きましょう」
翌日、同じく休みだった知り合いを霊能者に見立てます
黒いスーツに数珠を持たせてそれらしく振る舞いをさせました
「もしかしてあの人か?」
知人が指した人物は間違いなく例の患者で
「よくわかったね」
「あの人とんでもない霊を連れてるな。よく今まで死ななかったな」
知人は霊感があるそうで
「君、とんでもないものを憑けているね」
合流した瞬間にそんなことを言われました
「凄い!霊能者ってそういうこともわかるんですね」
患者の顔に希望が見えました
「君は前世で人を殺したね。殺された女性の霊が憑いている」
そのまま歩き始め、私も患者もついて行きました
すると知人は満開の大きな桜の木の下に行きました
「ああ、ここだ」
「はい。夢の中で俺は女性を殺して‥どうしたら良いですか?」
見事に当てる知人にすっかり患者は信頼していて
本来ならば除霊の真似事をして患者自身を安心させたいのですが
「生まれ変わったからって自分は関係ありませんというつもり?」
いきなり知人の声が変わりました
野太い男の声からか細い女の声に
「何お罪もないのにお前は金のためだけに私を殺した」
これが俗にいう憑依状態なのでしょうか?
普段の知人とはあり得ない姿に私は情けない話しですが、腰を抜かして動けなくなりました
「お前の罪は生まれ変わっても償うことはできない生まれ変わってもお前は殺され続けるのだ」
髪を振り乱し、女は患者に鬼の形相で迫りました
「ひいいいい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
必死で土下座して謝罪する患者の足元から無数の腕が伸びて患者を捕まえました
「すみませんすみません。赦してください!」
懇願する患者は土の中に引き摺り込まれそのまま消えてしまいました
ああ、知人はその時にはすでに正気に戻っていました

それから3日後にあの桜の下から彼の遺体が見つかりました
行方不明になってからたった3日で彼は半分白骨化していたんです
あの霊の恨みはそれ程強かったんでしょうね
後日私は知人とともに彼が死んだ現場に花を供えました
「彼は前世で確かに悪人だったが現世は何の罪もない善良な人間だったのに何でこんな酷い目に」
「確かに前世は最悪だった。あの時の腕の数を見たか?」
「ああ。かなりの数で‥まさか?」
「前世とはいえ、罪を償えない程人を殺してしまったんだろうな。何度生まれても殺される」
知人は最後にこうも言ったんですよ
「桜が怖いって言っていたのも奴らから逃げるための本能だったんだろうな」

「あの、すみません一服良いですか?」
男の話が終わったタイミングでタバコを求めた
何で赤の他人の変な話を素直に聞いたのか不思議だったが、おでんをもらった礼だ
仕方ないと自分に言い聞かせながら一服し
ため息混じりにタバコの煙を吐き出す
「色んな恐怖症がありますが、トラウマの原因がわからないのならそれは前世の罪を糾弾する亡者から逃げるための無意識の防御本能なのでしょうね」
そう言いながら男も電子タバコを懐から取り出す
「そうっすね。あ、そういえば」
俺も昔から意味もわからず恐怖するものがあった
「俺もずっと怖いものがあるんです」
つい口にした言葉を男は興味深そうに耳を傾ける
その男に重なるように青白い顔がこちらを睨んでいた


終わり


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