エンカウンター・グループについて②

引き続き、エンカウンター・グループについて、自身の体験を交えつつ整理したいと思います。②では、エンカウンターグループで得られることについて整理したいと思います。


私自身の体験としては、エンカウンターの実施形式でいうと、通い型、合宿型、単発型と経験してきました。それぞれを説明すると、通い型は、例えば第○金曜日夜のように、ある程度決まった周期の中で、エンカウンターを行うパターンです。この場合、例えば4ヶ月とか、10ヶ月のように、あの一定の期間で区切るタイプと、特に無期限に継続するタイプとに分かれます。

ちなみに、グループは元々の人間関係があるもの(クラスや職場など)はファミリア・グループ、参加者が基本初めて会う者同士のものをストレンジャー・グループと言います。自分が一番最初に参加したエンカウンターは、通い型の第○金曜日夜、期間限定、そしてファミリアグループでした。メンバーは5〜8人、ファシリテーターは1名という構造です。

ちなみに、ファシリテーターは、1グループにつき複数名いたほうが安全なようです。その理由として、例えば不安定になった参加者や、特定の個人が攻撃の標的にされるような状況が生じた際に、弱い立場に立たされた参加者を守る役割を、ファシリテーターが担う必要があります。この際、特定のファシリテーターにその役割を担ってもらうと、生じるリスクに対処しやすい体制を整えられます。

また、タイムキーパーや全体の進行など、ファシリテーターは、一見あまり何もしていないように見えて、その実かなり忙しいポジションです。そのため、そうした事務系統を特定のファシリテーターに任せたり、あくまでおおよそですが、役割分担をしておくと、グループの運営がよりしやすくなるうメメリットもあります。


さて、私が参加した通い型のエンカウンターは、非構成による実施でした。おそらく数年通ったように思います。そこで得られたものを、自分なりに整理してみたいと思います。

まず1つが、守られた空間の中で、自分について語るということ。これは日常の中で、意外とあるようでなかなか得難いものです。特にエンカウンターでは、グループが成長し、深まるにつれて、例えば自分自身の家族との関係や、過去に負った傷、人間関係のあり方や、生き方など、より自分自身の中核に近いものが現れやすくなります。これはグループの中で醸成される、安心感や安全感、ファシリテーターの見守る眼差し、などにもよりますが、他の参加者の話を聞き、受け取るプロセスにも多分に影響を受けます。

他者からの話というのは、例えば、ある参加者が父親について話した時、母親について話した時、日々感じる困難や傷つきについての話。私たちは他者の話に、ただ音として反応するのではなく、そして頭だけではなく、全身を持って反応します。人間は理性を司る生き物ではありますが、その身体性は動物です。普段意識しにくいですが、感情や神経系、筋肉、内臓も含めて、外界に反応します。他者の話に身体レベルで反応し、触発され、参加者の声が自分に響く(あるいは響かない)という体験、そうした様々な体験によって、自分自身の内面がより掘り起こされていきます。

つまり、こうした時に起きているのは、互いの相互交流であるわけです。お互いが影響しあい、またさらにそこから他者が影響を受け、循環するような形で参加者の力が触発されます。そして、不思議と1つのテーマが共通するような形で掘り下げられていくことも少なくありません。

通いのエンカウンターでも、話し、聴き、関わる中でグループの深化は起こり得ますが、その都度若干一旦リセットされるというか、「少しセーブデータを残しつつ再開する」ような状態に近いのかな、と体感としては思います。ただし確実にそこで積み上げられていくものはあるとも思います。


もう一つ、どうしても記さなくてはならないことがあります。それは、このグループが「単独のファシリテーターで行われた」という点です。グループが深まるにつれて、やはり先に記したように個々人の傷つきが表に現れてきました。しかし今思うに、単独のファシリテーターで行われたため、そのフォローが十分には行えてはいなかったように感じられます。

特に通いの場合は、参加者同士の関係や、ファシリテーターとの関係など、そこの個人間の関係が複数の意味合いを帯びる可能性が高くなります。つまり多重関係が生じやすいと言う事ですが、個人のカウンセリングであれば、それをより調整しやすく、多重関係を避ける構造設定や工夫も支援者側が行えます。

しかし、なかなかグループでは関係性までは統制しにくい、あるいはむしろ、関係性が複雑に深まることが成長促進をもたらす側面があります。そうした意味で、グループが深まると言う事はすなわち、お互いの思いや自他の感情に触れ、他者との葛藤によって傷つく体験も起こりやすいとも言えるわけです。

それも含めて学びとも言えるのかもしれませんし、大なり小なりの傷付きは、恐らく人間関係において避けられません。ファシリテーターがいたとしても、それは同様です。しかし、そこにはファシリテーターの自己弁護も含まれることに留意しなければならない、と思います。これは非難している意味ではなく、「その前提をしっかり認めることが必要」ということです。

そうした意味で、エンカウンターを行う上では、グループ運営上の枠組みを整える、アフターケアを想定する、複数のファシリテーターによって運営するといった、リスク管理という視点が極めて重要になると私は体感しています。

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