エンカウンター・グループについて⑤

引き続き、エンカウンターグループでの学びについて、自分の体験を振り返っていきます。先日の記事では聞くという体験を振り返りましたが、話す体験という要素も、得られるものとして非常に大きいように思います。


エンカウンターでの語りは、感覚的なものですが、浅いところから深いところと、体験の深度に振れ幅があります。例えば、より自身の内面や感情についての言及が少ない内容については、あまり身体的な感覚を伴わず、あくまで知的な部分による表出として終わります。しかし、より自身の内的な感情や、重要な価値観、過去の傷つき体験について語るときには、身体レベルでの反応が生じ、身体全体で語るという体験が生まれます。

このような体験は、もちろん日常会話でも起こり得るものですが、エンカウンターにおいては他者の語りを聞き、関わる中で、おそらく神経系や筋肉のような生理学的レベルで語りの準備が整うのだと思われます。

トラウマティックな体験においても、身体レベルで記憶されているという話がありますが、これは恐らく普段のごく普通の体験においても、軽微ではあれど同様なのではないかと推測されます。また、共感が重要と言われるように、人間の身体にはなにか機能としての共感能力が、恐らく身体レベルで備わっているのでしょう(ミラーニューロンなど、細かな話は理解が不十分ですが…)。


グループの中では、そのような身体レベルでの体験が、他者の語りによって深められ、連鎖するような形で生じていきます。このような体験は、カウンセリングの場で、支援者の立場においても生じ得るものです。クライエントの語りに呼応するような形で、セラピストの感情や傷つき体験が惹起されると言う事は、決して珍しいことではありません。

しかし、そうした反応が生じることが、決して支援の上で望ましくないとは限りません。これはエンカウンターの訓練的側面となりますが、そうした自身の感情や反応に対してどの程度体験を重ねており、自覚し、安定したまま動揺できるか、ということが大切なのだと思います。

この訓練的な意味においても、エンカウンターは、自身の感情や体験について様々な角度、側面から揺さぶりをかけられ、自身の見えていなかった側面が引き出されるという体験を、もたらしてくれます。もしかしたら「遊び」のようなことに、近いのかもしれません。


しかし、突き詰めていくと分かるように、すべての体制を自分で把握するという事は不可能なことです。重要なのは、「自分自身をどこまで理解しているかの自覚」と、「どの辺りは十分に把握していないかの自覚」、また「どの部分は傷つきやすいかの自覚」といった、多面的な自己理解なのだと思います。

そうした自己理解とその自覚把握というのは、支援に携わる上で非常に重要だと感じます。単に動揺しないためではなく、安心できる場を築き、自身を支援の一要素として用いていくには、その道具たる自分について、精通していく必要があります。こうした自己研鑽のトレーニングについては、他にも訓練的なカウンセリング、教育分析などが思い浮かびますが、また改めて言葉で整理する機会が持てたらと思います。

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