エンカウンター・グループについて③

先日の研修では、構成的、半構成的、非構成的エンカウンター・グループについて学ぶ機会を得ました。これまでの自分の経験を振り返りつつ、エンカウンターグループについてまとめてみたいと思います。

先の記事で書いた通り、私のエンカウンターの体験は、通い型から始まっています。その点で、最初宿泊型のエンカウンターに参加したときには、警戒心も強く、見るからにバリアを張っていたのではないかと思います。具体的には、目線を合わせない、表情の変化に乏しい、妙に達観した態度をとる、頭で話を理解しようとする(身体レベルや感覚レベルの理解に至らない)、といったような素振りです。

この数年間、宿泊型のエンカウンターグループに参加するようになり、その場にいることも、だいぶ慣れてきました。その中で、いくつか気づいたことがあります。

1つは、参加を重ねるごとに、グループの中での自分の心の動きや立ち振る舞いを、「自分に対して素直に表せる、感じられる」ということでしょうか。今の自分と数年前の自分とを比べたなら、カウンセリングの場面でも、自分の振る舞いには雲泥の差があると思います(未熟な点が多いと言う前提ですが…)。いわゆる自己一致や純粋性と言われる姿勢ですが、前よりもその練度が上がった。多分。

また、これはまた違う気付きですが、エンカウンター・グループに参加する際、ファシリテーターの先生によってかなり雰囲気が変わる感覚があります。例えば、沈黙を大切にし、味わうようにグループの場を作ってくださる先生。てきぱきとコメントを伝え、参加者へと積極的に問いを投げかける生生。また、起きていることに解釈を伝え、そこから新たな動きを作り出す先生。

これらは、グループの参加者によっても変わる部分はあるかと思います。しかし、そこにファシリテーターが与える影響は、恐らく少なくありません。共通して感じられるのは、それがその先生の自然な在り方んだなぁ、と言う点です。

決して無理をする訳でなく、作為に基づいてグループを動かしていくのでもなく。その先生の心の赴くままにというか、専門性もありつつ、自身の感覚を道標に、グループをマネジメントしているような。そんなような印象を抱くのです。

先日の研修で講師の先生に伺ったところによると、先生のカウンセリングでの振る舞いと、グループでの振る舞いは、場に応じて自然と変化しているとのこと。恐らく、グループにはグループ特有の、経験知があるのだろうな、と感じます。



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