最近読んだnote紹介〜10倍楽しんで心に刻みつけるには〜

ども!りょーやです!

ネット上で文章を読む時に、ちゃんとそれを血肉にする方法として僕がやっていることを紹介します。

血肉にするというのは、10倍楽しんで心に刻みつけるということです。そう捉えたほうが10倍楽しい笑。

僕のやり方は、端的に言うと「読んだ文章について自分の記事で書く」ということです。

後半で実際に実践しているとことを見せていきますので、そちらだけ読んでいただいても面白いかもしれません。最近読んで面白かった記事から考えたことを語っています。


感想記事を書くことについて

これは僕の感覚なのですが、紙の本を読む時とは違いネットで文章を読む時にはかなり流し読みしてしまっています。

これでは、せっかく良い文章に出会っても自分の血肉にはなりません。

試しに。先週読んだ記事やツイートを一つでも思い出せるでしょうか?

難しいのではないでしょうか。

では、物理的な質感がなく、注意もそれやすいネットの文章を血肉とするにはどうすれば良いのか?

個人的には、読んだらコメントをしてみたり、自分の記事で紹介してみたり、メモを取ってみたりするのが良いと実感しています。

コメントしようと思いながら読む時とそうでない時では、明らかに同じ文章を読んでも吸収できる情報が少ないです。

自分の記事でそれを取り上げて語ろうとなればさらに吸収できることは増えます。

「吸収できることが増える」とは役に立つという意味で言っているのではありません。それもありますが、むしろそうしたほうが何倍も楽しめるという意味で言っています。

気に入っているのでもう一度使いますが、血肉にするというのは、10倍楽しんで心に刻みつけるということなのです。


実践編

というわけで、最近読んだnoteの中で特に印象に残った記事について語っていこうと思います。

記事の紹介というよりは、記事から派生して僕が考えたことがメインとなっております。ですから、記事の内容が気になった方はぜひ本人の記事へ飛んでください。都度リンクを貼ってありますので。

今回取り上げるのは2作品!(紹介順には大して意味はありません)

それでは、行ってみよう!


まずはこちら。

『落下してくる不幸』オルカパブリッシングさん

オルカパブリッシングさんの記事は、今月はじめて読みました。さん付けしてますが、出版社名です。

ショートショートを投稿されているのですが、あまりに面白いので三つ続けて読んでしましました(こういうどうでもいい裏話を書くと自分の中で忘れにくくなります)。

その中で特に僕が気に入ったのが『落下してくる不幸』です。

設定は、戦争の渦中。主人公のわたしは小さな娘と地下の防空壕的なところに隠れているんですね。彼らにとっては戦争は災難以外の何物でもないといった感じです。コントロールすることのできないもの。

そういった状況の中での「わたし」の心の動きが生々しくて引き込まれます。

 爆発音のするたび、わたしはここではないどこかにそれが落ちてくれたことに感謝しました

この一文が特に衝撃的でしたね。ミステリー作家、歌野晶午さんの『世界の終わり、あるいは始まり』の冒頭を連想しました。

顔見知りのあの子が誘拐されたと知った時、驚いたり悲しんだり哀れんだりする一方で、わが子が狙われなくてよかったと胸をなでおろしたのは私だけではあるまい。『世界の終わり、あるいは始まり』

似ていますよね。割と僕たちの日常にも潜む考え方なのかもしれません。

現代日本を生きる僕らの頭には、急に爆弾が降り注ぐことはないかもしれませんが、誘拐やウイルス感染や災害のような災難が襲うことはあり得ます。今がまさにそんな状況ですよね。

そういうランダム性の高い危険に社会が直面する時、僕らはついつい、不幸が降りかかったのが自分や知り合いじゃなくてよかったと思ってしまうのです。それが自分にも起こり得たのかもしれないというものほど。


わたしに対し娘は無邪気に尋ねます。

「ここでないとこにおちたのは、どこにおちたの?」
「それは」とわたしは口をつぐみました。
「どこ?」娘は無垢な目でわたしを見ていました。
「ここではないどこか、誰か他の人のいるかもしれないところ」 わたしはそう答えました。


自分と関係のない人が害を被っていることに感謝したり安堵したりしている自分、それによって無意識に命に優劣をつけてしまっている自分、それを自覚して「口をつぐむ」という精神がこの戦争の後に街を復興する原動力になっていくのかもしれません。そう想像しました。

今を生きる僕らは「恵まれた家庭に生まれてよかった」「平穏な毎日を送れて幸せだ」と思う時、恵まれない家庭に生まれた人々や平穏とは程遠い日々を生きる人々を想像し「口をつぐむ」ような精神を果たして持っているでしょうか?

その精神が廃れるとはどういうことを意味するのでしょうか?

そういったことを考えさせられました。


続いてはこちら↓ もう少しハートフルで明るい感じです笑


『「もどかしさ」を愛そう』いちは(精神科医)さん

これは、親ならドキッとするんじゃないですかね。そういう気づきから始まります。

なるほど、よく言われるように、「下の子は要領が良い」のかもしれない。
いや、待てよ。
はたして本当にそうなのか?

ドキッとしたら、ぜひ記事を読みましょう。短いですが、濃密です。

僕がこの記事から得た面白い言葉があります。それが、『「もどかしさ」を感じられる余裕』です。どんどん使っていこうと思います(どこで?)。

対象について、そのことで頭がいっぱいになっているからこそもどかしさは生まれます。それだけ丁寧に観ているということでもあります。

恋愛ものの小説でキャラクターたちがもどかしさを大量生産しているのも頷けますね。相手のこと以外考えられなくなっているのです。


心がもどかしさでいっぱいになっている時って、心に全然余裕がありません。逆に言えば経験が濃密で、たくさん愛を注いでいる状態だとも言えます。青春が宝物だというのはきっとそういうことなのでしょう。

そう考えると、注意を払わなくなって生じている余裕は淋しいものかもしれません。

もどかしさを愛することができてはじめて、別の次元の余裕を感じられるのではないかなと考えました。


最後に

いかがだったでしょうか?

みなさんもぜひ、他の人のnoteやテレビ番組やYouTubeなど、ともすれば惰性で観てしまっているだけのものについて語ってみてはいかがでしょうか?

経験することをより濃密にできますし、語ることによって自分に気づきを与えてくれた方を応援することにもなります。

なんとなく良いと思ったものについて人に表現するということを通して、自分独自の視点とかスタンスが磨かれていくんではないでしょうか(なんか偉そうなこと言ってすみません)。

ちなみになんですが・・・

もし僕の記事を取り上げていただけたら、スズメが跳ねるように喜んで、シェアしまくります。


ではでは、今回はこれくらいで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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