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「自分には誰よりも価値がない」という自分の主張を強く信じるという矛盾

自分がどうしてこんなに劣等感に苦しむ人生を送らなければいけないのかわからない。わからないなりに考えて、考えて、頭がおかしくなるくらいに考えて、色々試しても、周りの人ばかりがやたら幸せそうにしていて、劣等感に押しつぶされてしまいそうで…

多少デフォルメしていますが、
こんな悩みを相談をされたことがあります。
いつもLINEでやりとりしていました。
僕なんかに打ち明けてくれるなんて本当にありがたいことだなと思って、いつも真剣に向き合わせてもらっていました。

とはいえ、僕の頭はそんなに器用にできていなくて、
いつもとりあえずすぐに返信はしつつも、自分の中でずっとモヤモヤしていて、しばらく経ってから考えがまとまります(まとまっているのか散らかっているのかわからないような話になりがちなんだけれども)。

とにかく頭の中にあることを書き出してみようと思います。

「劣る」が「辛い」に繋がらない

(少なくともここ数年)僕の中では、人より何かができないということが辛いとか苦しいという感情につながることがありません。自分なんていらないとか、なんの価値もないという考えに至らないのです。

多少悔しいかもしれないけど、世の中の誰かができればいいことを誰かが自分より上手くやっているのなら、そりゃよかったなとか助かるなとしか感じません。

自分にしかできないことってそうそう世の中にないし、あってもそれが誰かにとって不可欠なものかとまで言うとそうでもないと思っているからかもしれません(諦めの姿勢と言えるのかもしれない)

そもそも、誰かを自分にとって不可欠な存在だと感じる時、僕の場合(あくまで僕は)あまり根拠がありません。
たとえば、誰かが大切である理由を考えたらすべて後付けになるし、じゃあその理由としている条件がなくなったらその人のことが不可欠じゃなくなるのかと言うと、どうも怪しい。その人と同じ条件が揃っていたらそいつが不可欠な存在になるかというと、それも怪しい…

僕の中ではどうしても、誰かが自分に価値を見出してくれるかということと、何かが誰かよりできないこととの間に因果をつかみとることができないのです。

そうは言っても

しかし、振り返ってみれば、
中学生くらいの頃僕は自分なんていなくなってしまった方がいいのではないかと考えていたなと思います。

それが劣等感のためだったかと言えばそうではないのですが、当時はたしかにかなり苦しんでいました。

あの頃、僕はたくさんの大人たちに「死にたいなんて言わないで」「生きていてもいいんだよ」というようなことを様々なシチュエーションで、様々な言葉で伝えられました。

にも関わらず、当時はその全てを受け付けきれず、頷きもせず、
彼らが真摯に伝えてくれた人生に希望が持てるようになるためのアドバイスも悉く自分から退けていました。

自分でもなんでなのかはよくわかりませんが、
一番嫌っているはずの自分の思考に強くこだわっていた気がします。
「自分には誰よりも価値がない」という自分の主張を強く信じるという矛盾に気づかなかったのです。誰よりも価値がないと信じきっている人の主張を一番に信じちゃダメでしょということに気づけなかった。

僕はどうやって楽になったのか

今の状態が当時より優れているとか劣っているとか、そんなことは思いませんが、楽になったなとは思います。また苦しくなるかもしれませんが。

じゃあ、いつから楽になったんだろう、と考えてみると、その境目はよく思い出せません。徐々に徐々に、何年もかけて変化していったのかなと思います。

時間をかけて、進んだり戻ったりしつつ、焦ったりもがいたり調子に乗ったりしつつ、周りに迷惑をかけ、自分を傷つけたりしながら、それでも寄り添い続けてくれる人に支えられ、本を読んだり、文章を書いたり、人の話を聞いたりする中で、自分の感情や思考を落ち着いて観察できるようになって、ようやく変わったという気がします。

だから、この文章を当時の僕に読ませてもたぶんあまり刺さらないんだろうなと想像できます。

だから待っていようと思う

どんな言葉をかけても今のこいつには刺さらないかもしれない。

昔の僕の周りにいた大人や友人は、今の自分と同じように、僕に対してそう思ったんだろうな。きっと。

それでも、あの頃の僕の周りにいた人たちは、
なんの手応えも見せない人間に優しく思いを伝えることをやめなかったし、夜中だろうが真昼間だろうが、何時間だって話を聞いてくれたし、時には抱きしめてくれたりもしてたんだよな。

それを思うと、人間のどこにあんな偉大な優しさが眠っているんだろうと時々不思議になります。その優しさが幸運にも自分に向けられていたことに胸が熱くなる。

同時に、自分も誰かを(大切にしようと決めた人くらい)信じて待てる存在で在りたい、優しく在りたいと素直に願えていることに気づいて微笑ましくなります。

終わりに

やっぱり、まとまっているのか散らかっているのかよくわからない仕上がりになってしまいました。相談してくれた後輩に寄り添えている内容になったかも微妙…。

でも、考えていて穏やかな気持ちになれたのでひとまず良しとします。自己満足上等。

いつかその子に真剣に向き合っていることだけでも伝わればいいなと願って、今日はこれくらいにしておきます。

おしまい。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。



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