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小一の壁と研究のポジショニングを考える

娘の算数。小学校一年生の壁と言いますが、早速ぶち当たってしまったようです。「男のことが13人います。女の子が9人います。どちらが何人多いでしょうか。」という問題です。翌日が算数のテストなのです。

娘は足し算しました。すると22人になってしまい、それは多すぎるよねと。足し算じゃダメならどうしたらいい?と聞くと、でも足し算でしょ?と。どうやら「多い」という言葉がトリガーになって、足し算をしてしまっていたのでした。

私も妻も引き算にしたらいい理由を、マグネットを使って説明したり、兄弟の年齢を比べたりして説得するのですが、やはり足し算信仰から離れられません。仕舞いには泣き出してしまい、収拾がつかなくなり、その日はあきらめて就寝しました。

そして今日。最寄駅の改札でバイバイする時に「どっちが多いか計算するときは、引き算やで?覚えておいてね」というと、昨日の泣き顔はどこへやら、「うん」と笑顔で頷いてくれました。さてテストはどうなるでしょうか。

帰宅後、夕食で聞いてみると「うまく行ったかも」という手応え。引き算で計算できたようで一安心です。

このエピソードから、いろいろなことが言えますね。まず、学習には常に感情が伴うということ。昨日は帰宅後ということもあって、疲れていたのでしょう。間違っていることを言われても頑固に考えを変えませんでした。

しかし一晩寝た後だと、冷静に考えられるのか、引き算のことをすっと受け入れたのでした。もちろん、なぜ引き算なのかという理屈までは納得していなかったかもしれませんが、とりあえずテストで点が取れるということの方が今の娘にとっては大事なのかもしれません。

このような学習も、段階を踏んで考えてあげられたらいいなと思います。まずはテストで解けるようになる段階。これができないと点が取れないので、まずは理屈抜きで計算できるようになることが先決です。

一方で、その理屈も理解できるようになる段階もほしい。この部分を放置していると論理的に考えられずに文章題で間違ってしまうのが目に見えています。私は中学一年生のとき、数学の方程式で文章題が出た時、文章理解が足らず立式できなかった苦い経験があるので、そうなる前に論理性を身につけてくれたらいいなと思います。

話変わって、大学院生について。今日は仕事の合間に神戸で大学院生の方とお茶する機会がありました。大学は違いますが、外国語教育という共通の研究テーマを持っています。

この方はEnglish as a Linga Francaと小学校英語教育について関心があり、英語の訛りを小学生がどう認識しているのかを研究されているようです。ここではうまく表現できませんが、話を聞いた限りだととても面白そうな研究テーマです。

一方の私はSDGsの自分ごと化を大学の外国語教育でどう実現していくかを研究テーマとしています。このようにお互いの研究テーマを語り合う時間は、あるようでありません。しかしとても知的刺激に溢れた時間になります。神戸の老舗、西村珈琲店で気付けば2時間も話していました。

その中で僕が再認識したのは、研究のポジショナリティをどう戦略的に決めるかということです。外国語教育学という分野はすでに成熟しているように見えますが、その中のどこに自分の研究スペースを見つけるか。そこで先行研究をどう活用して研究の独創性を出すか。僕の中では今、ここがとてもホットトピックです。

自分ごと化というのは英語教育でいう動機づけとは向かう方向性が違うと認識しています。動機づけは語学学習に向かうのに対して、自分ごと化は内容(この場合だとSDGs)に向かいます。でもそれだけだとまだ独創性はない。なのでSDGsの自分ごと化探求を大学の外国語学習という文脈で実践してみる。さらにそれを自作英文テキストを使って実践してみる。さらに実践者はフルタイム教員ではなく、会議通訳者である。と、このように研究する視点(ポジショナリティ)を差別化することで、研究に独創性を出そうと頑張っています。

僕は大学を卒業して以来、6社も転職(転社?)しながら社内通訳者としてのスキルを磨き、経験を積んできました。それがフリーランス通訳者になった今も活かされていると強く感じます。

一方で、この社会人生活は、僕が社会というフィールドのどこに立てばやっていけるのかという、ポジショニング探りの時間だったとも感じています。長いことかかりましたが、今は社会の中で自分をどう位置付けたら周りの方とうまくやっていけるのかについて、少し分かってきた気がします。

そのような経験があるので、研究のポジショニングという考え方もすごくしっくりくるのです。新卒の頃は、真正面からストレートに「外国語教育を変えたい!」と思っていた青二歳の僕がいました。しかし紆余曲折を経て今、当時思い描いていたイメージとは違いますが、僕なりのポジショニングで外国語教育を変えるための一石を投じていけるかも?と(勝手にですが)思っています。

大学院生の方とはまた再会することを約束し、その場を後にしました。私は子どものお迎えがあったので電車に飛び乗りましたが、ひと時の研究トークはとても有益な時間となりました。



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