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建武5年 高千穂十社御縁起

兄弟3人はどこに下向(都から地方へ行く)して住めばよいのか、あちこちを探していると、ある所より、少し高いところがあった。一の祝子(高千穂神社付近)に着き、とある山を見てみると、川上の深山の方からなにやら光るものが流れてきた。兄弟3人の王子は、驚き
「これはいったい何だろうか?我らを妨げようとするものではないか!?」
と、深山へ入って行った。
 これは同じ郡の中にある高千穂峰というところである。
 ある小川を渡っているとき、たいへん色の白い熊が死にかけていた。同じ生き物として、なんてかわいそうなのだろうと不憫に思い、彼の谷のほとりに埋めてあげた。
これより名(みょう)を取って、熊白の渡りとつけた。
 この里にいた古老を召して(呼んで)、(王子が)仰せられた(おっしゃられた)。
「そもそも、この渡りのことは、{何渡り}と言うのだ?」
と聞くと、古老は答えた。
「この〇谷を通る度に、沢山の人が死んでしまうため、鬼が里といいます。また、“忌まわしき渡り”ともいいます。」
 王子たちは、それを聞き、
「汝、知るか知らぬか、我こそはかの国の主、神武天皇の正しき御子なり。汝、世のため、人のために、我はここまで来たのである。この深山より光り下ってくるものは、何ものなのだ!」
と、仰せられた。(おっしゃられた)
 かの長(古老)が答えた。
「これは、恐ろしきものです。この山にいる姥岳(祖母岳)の主、大明神(豊玉姫)の御子稲穂明神の御娘、うのめ明神がかの山の奥地、「乳の岩屋」というところに連れていかれてしまいました。」
王子は言った。
「そこに男はいるのか?」
と仰せられると、
「大変恐ろしい人であります。名を『きはちほし三千王』。結婚し、住んでいるのです。年齢は9万3千六百歳。うのめの明神は、結婚してから三千五百余年、乳の岩屋に住んでいます。うのめ明神の年齢は四千八百七十余歳になります。
 さて、これを聞いた大明神は「ああ、なんてことだぁ」と仰せになり、その儀は正しいことであると、とうぎん(当代の天皇)は住吉明神に語らわれ、大国へ渡って行った。
いま、2、3日経って、この国へ「この国へ来るべきだ!」と申した。
 さて、「そなた、私を案内してくれ」と仰せられると、畏まって、乳の岩屋へ向かった。
 あるところの大が(大河か!?)を見てみると、淵や大地に妖術によってが渡ることができずひどいありさまだった。
 その時、法体(ほったい)(僧侶の姿)釈迦が草木をとり、天の橋を渡そうとした。すると、こまごまとした草木の物を活ける間、榊柴3本、綿と糸をもって封じ込めた。
 そののち、天の橋を切り渡し、川や岩をつなげていき、乳のゆわやへと通ることができた。
 かのゆわやというのは、こんこしゆけう(修行のことか!?)に及ぶもの。ゆわやの口にたたずみ、25の伎楽をそろえ、見目麗しい人の歌声が聴こえてきた。すなわち、神武天皇の太郎の王子、音楽に聴き入っていた。かの女房の御形を見てみると、天の人にも勝るものだ。と、王子は言い、「そなたは、我と過去の宿因であり、現在の契りあり、未来でさえも、一念無量劫、現念500生の契りが深ければ、弥勒(未来に出現し衆生を救う)の代まで私の妻となって、引き裂かれぬように」(一念無量劫とは、一念500生、報いを受けるということ)と唱えた。
 3日経って、声が聴こえてきた。
「きんぱち法師というもの、岩屋の口に来て、十社の王子がおられることを知り、王子を打ち取ろうといら立っております」
 兄弟3人の王子たちはきんぱち法師を追いかけていった。
 なかにも、太郎の王子は一分八間の法華経を頭にしっかりと巻き、これはすなわち、九頭龍となった。天の橋を追い渡り、とあるところにて打ち取った。5町の底に沈め、上には8尺の石を置き伏せた。上を〇〇して、(不明)上に土をかけた。
 そののち、起き上がることもなかった。
 又、元の乳のゆわやへ行き、かのうのめ御前に契りを深く結んだ。
 それゆえ、一日片時も、離れることができぬぞと見受けられた。
 御舎弟の2人は、七日七夜の間、岩屋の口にたたずみ、しきりに嘆き、とくとくと話して、どの人にも訊ねていった。住処を求め、あとをたれ(仏、菩薩が人々を救うため、紙の姿でこの世に現れる)、国土のお祈りを申しあげた。
 十社の明神、これを聞き、我、穢土(煩悩に汚れたこの世)の思い出に、何かしるしを残すべきだ。私はこ妻女に慣れつるより、〇〇(不明)に余念もなし。されば、それぞれ○○ゆくべしと思いもかけず。王子たちはそれぞれ旅立つことを決めた。
 (十社明神は)「我の祈りは、これにて静かに行っていく」と仰せられると、この上は、力及ばずとして、兄弟2人の神名は分らぬままでよいとした。
 神武天皇の太郎の王子と、うのめ御前は契りを結び、かの乳の岩屋のあとを立たれた。俗体(人の姿)でいるときも、極めて同心深くおられた。
 「そののち、御孫が生まれたなら、右大臣、左大臣にさせ、私はこれにあるべしと。そなた兄弟2人は天の橋を渡り、熊白村に跡を留め、十社の宮を立てなさい」と仰せられ、天の橋を渡って行った。
 かの乳の岩屋は今の二上山である。かの天の橋は今の神の御橋のことである。橋より彼方に、一つの橋がある。昔これを千早の山といった。かの王子たち、かの原にて米穀の類を御植えになり、それを増やしていった。それより、名を変え、御植えの原といい、今の松の原がこれである。
 乃至、熊白村に古き氏名の者がいる。乃至、今の荒立明神である。乃至、荒立明神の誓願(誓いを立てて祈願すること)にも、山氏絶えなければ、我、かの峰に人々を救うため、転じてそこに住もうと誓った。かの山の氏とは、勢至菩薩の化身である。
 かの峰に2人の鬼がいる。夫をしゅのまんと言い、妻女をたうきん女(にょ)と言った。かれは、12人の子を持ち、6にんは男子、6人は女子である。かの峰の衆生(生き物)となって、500余歳になる。かの勢至菩薩、ここに生まれ、古(いにしえ)、鬼になっている間、このところの衆生、あまりに、心放逸(怠けること)なる間、かれを利益(りやく)のため、このところに生まれた。たくさんの罪を作るものは獣(えなき)に生まれ、果ては無限に沈んでいってしまう物である。用心して、これを見ようとしない輩には何度も云い、罪を作らぬよう努めるべきだ。私はかの山の主となって、かの明神に奉り、500余年になる。私は明神の御代も継ぎをお与えくださいと申し終わった。かの峰の衆生は皆、これ、山氏のしゅのまんの子である。そもそも、十社大明神は現人(あらひと)(この世に人間の姿で現れた神)である。784歳になる。およそ、人に生まれ給うことは、500と500と生まれ給う。御年7380歳。これはすべて、衆生の利益のためである。

【藤寺非寶氏考察】
鬼が里の興呂木山氏(えなき)男女似2鬼(しゅのまん、たうきん女)12子の説は日向高千穂士公鎮祭の地たることを示し、荒良木十社の御山(七つ塚)は鬼八退治を物語、興呂木荒立の御山はえなきという鬼の住処たるを物語る。この2か所はいづれも十社大明神の内裏たりし由、諸記にあきらかである。


鬼八についての考察として、1338年に書かれたとされる高千穂十社縁起である。

これを藤寺非寶氏が考察されたものを、自分なりに解釈してみた。

この1300年代の文書では、【鬼八】というワードがあまり出てこない。

また、何度も蘇ったはずが、そういったことは書かれていないのが、印象的である。

きはちほし三千王の三千王とは、どういった意味なのであろうか?

※ きはちほしの”ほし”は、法師であると考えられる。

三田井本組地区には荒立神社があり、その下には天孫降臨の際にお供でついて来られた神のうち、20神を祀ったといわれる【二十躰王の宮】がある。

この鬼八の【王】と関係しているのではないかと考える。

この荒立神社後ろの山は古来、神漏岐山と、男の神様であるとされ、興梠に変換していった氏族であるとも考えられている。

このあたり一帯に鬼が住んでいたと書かれている。

男の鬼を「しゅのまん」女の鬼を「たうきん女」という。

この「しゅのまん」とは「シャーマン」の訛りではないかと思う。

「たうきん」の由来は分らないが、呪術を使う種族として、力があったために、十社大明神より統治されたのだ。この鬼は殺されてはいない。

山氏が勢至菩薩となって、鬼のために祈り、ヒトに生まれ変わっていく。そしてこのあたり一帯がみなその子孫であると記されている。

興梠氏は昔から「山氏」と云われ、山をつかさどる種族。

山師もたくましい体つきだと思うし、命の危険性もある仕事であると思うので、この「山氏」も体格がよく、強かったのではないだろうか?

そして、その妻とされる鵜の目姫は祈祷や呪術を使うシャーマン的な存在ではなかったのではないだろうか?

これを読んで、まず難解すぎて理解に苦しんだが、神道というよりも仏教の方が強いという印象。というよりかほぼすべてが仏教。神仏習合の時代、いかに仏教の方、本地垂迹思想が浸透していたかだと思う。鬼という概念はインドより仏教とともに伝来された。

しゅのまんなどの表現は「鬼」と書かれているのに、「きはち」には「鬼」の文字が当てはまられていないのは、どうしたことだろうか??

この鬼が住む里、興呂木の里には鬼がたくさんが暮らしていた。

鬼がたくさん。

鬼があまた。

はちは八。

沢山、数多のことをいう。

鬼八とは、やはり、興梠一族!?

きはち三千王の「三千」とは、三千人ほど、鬼がいた、つまり土蜘蛛、地元の豪族がそれくらいいたと考えてみた。

この本組あたりが、高千穂神社の2の堀(祝子)であり、興梠氏と三田井氏(高千穂氏)との関係性がいかに強かったかが、うかがわれる。


参考文献

日向国臼杵郡 高千穂八十八社宗廟十社大明神鬼八退治文獻資料 高千穂保存会喝託  藤寺非寶謹撰

神々の里 本組 たかまがはら 本組公民館

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