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高千穂呪術廻戦物語その2

前回は鬼八と三毛入野命が呪術を駆使しながら戦いあい、三毛入野命の勝利で終わった話。また、鬼八、三毛入野命の素性を私の考察のもと、呪術との関わりを紹介させていただいた。

今回は引き続き、呪術との関わり、考察をまとめていきたいと思う。

鬼八は身体をバラバラに斬られ、それを埋められるが、何度埋めても甦ったという。

これは一説には、地元のいくつかの集落での豪族、要は『まつろわぬ者』を退治していったので、それを甦りと例えた説もあるが、呪術的な視点で考えるならば、蘇生術を使ったとも考えられる。

陰陽道において、最高神と位置づけた泰山府君。万物の生死を司るという。唐に渡った安倍仲麻呂が吉備真備へ託し日本へ伝わり、それ以降安倍家が継承したとされた。陰陽師で有名な安倍晴明もまた、この術式の継承者であった。

泰山府君祭では、病気や寿命などの命の危機に瀕している者に対し、身代わりとなる者の命を継ぎ足す事で、延命を図るという。

安倍晴明が泰山府君祭にて救った僧侶は天台宗の高僧ということで、確かに高千穂においても天台宗が広がっていたことが分かっている。

また、神道系の呪術においても、十種の神宝というものがある。

物部氏の始祖とされる饒速日命が天下った際に天津神より十種(とくさ)の神宝(かんだから)とその神法を授けられたという。

息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死反玉(まかるかえしのたま)、道反玉(ちがえしのたま)、蛇の比礼(おろちのひれ)、蜂の比礼、品々物の比礼(くさぐさのもの)である。

鏡、剣、玉は古代豪族が伝家の宝物としていたもので、比礼とは薄い布状の飾具の1つとされている。

この十種の神宝を合わせて、「一(ひと)、ニ(ふた)、三(み)、四(よ)、五(いつ)、六(む)、七(なな)、八(や)、九(ここの)、十(たり)」と言って、布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら)と布瑠部と揺り動かす。そうすると、死者をも生き返らせるという。【令義解(りょうのぎげ)】

この秘事にちなんだ呪法は古代においては鎮魂祭(たましずめのまつり)とし、新嘗祭の前日にあてる陰暦11月の中寅の日、生命力が弱まった天皇の魂を身体に鎮めてとどめ、再活性化させる祭事として行われていたという。

十種の神宝を「ふるべゆらゆら」と揺り動かすことから、【御魂振(みたまふり)】ともいわれた。

高千穂町では、猪掛祭(ししかけまつり)という祭りがある。

毎年旧暦の12月3日に霜除けの祭りとして行われる。
これは鬼八が敗れた後、その霊魂が早霜を降らせ作物に被害を受けさせたことに、その魂を鎮める為に始まったという。

神前に猪一頭が捧げられ、その前で宮司以下神楽奉仕者等が、鬼八眠らせ歌を歌いながら、『笹振り神楽』を舞うのである。別名「地祇の舞」とも云われ、高千穂神楽の原型とも云われている。

鬼八眠らせ歌
「しのめや たんぐぁん さありや さそふ
    まあどかや ささふり たちばな」
と歌いながら笹を振るのである。

意味不明な歌で、まだ解明できていないが、霜を司る、農業神として、鬼八の霊魂を鎮める為に眠らせ歌としているのだが、蘇生法である十種の神宝を「ふるべゆらゆら」と揺り動かしながら唱える事が、同じではないか!!

つまりは、眠らせ歌というよりかは、再生のための儀式ではないかと思われる。

農業神でもあるので、五穀豊穣を願うという意味もあるので、間違いではないのかもしれない。

これは平安期より行われている古神事でもあり、いつしか眠らせ歌と変わっていった可能性もある。

つづく

参考文献
『呪術廻戦 芥見下々著 集英社』
『【図説】日本呪術全書 豊島泰國著 原書房』
『呪術の日本史 加門七海監修 宝島社』
『呪いと日本人 小松和彦著 角川ソフィア文庫』
『神孫 豊後大神氏 木村高士著 新人物往来社』
『甦れ八幡神【八幡本宮】宇佐神宮と大神氏 小川進一著 文芸社』
『高千穂皇神の御栄え 後藤勝美著 高千穂神社総代会』
『高千穂村々探訪 甲斐畩常著 甲斐畩常発行』
『怨霊になった天皇 竹田恒泰著 小学館』
『高千穂の民家他歴史資料 小手川善次郎著 小手川尚一郎発行』
『神々の坐す里 高千穂の神社 高千穂商工観光課監修 高千穂町観光協会発行』

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