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くしふるの峰 その1

【本組編第3弾】

くしふる峯
古事記、日本書紀によると、天照大御神の命により、瓊瓊杵尊が授けられた三種の神器を奉じて、天の児屋根命外多くの神々を従えて筑紫の日向の高千穂のくしふる峯に御降臨になったと誌されています。

古事記には
「筑紫の日向の高千穂の九志布流多気にお降りになった。」
日本書紀には
「日向の襲の高千穂峯に天下ります。」
と、あります。

日本書紀には更に「筑紫の日向の高千穂のくしふるの峯に至ります」「日向のくし日の二上峰の天の浮橋に至ります」「日向の襲の高千穂の添(そほつ)の山峯と曰う。」
と、記されています。

降臨の際、天の八街(道の分かれる所)で待っていた猿田彦大神が先頭に立った天鈿女命に対し、「天神の御子は筑紫の日向の高千穂のくしふる峯においでになるでしょう」と案内します。

くしふる神社

元禄7年(1694年)の創建
同年、延岡城主 三浦直次の家臣岡田定賢の書いた、くしふる起によると

くじふりとは天の児屋根命が和幣串をとり、お振りになったことから言いならわしてきたのだと書いてあります。

天孫降臨以来、長い年月を経る間に、聖地くしふる峯も名ばかりとなって一宇の祠もなく、樵夫牧童らが自由勝手に通行して聖地を汚すようになったので、元禄元年、延岡城主有馬永純が社殿建造を思いたち始めようとしたけれど、越後糸魚川に移封となってしまった為に、代わって三浦明敬が、高千穂神社神主旭田部氏乗信が主となって願い出たくしふる神社後造営の事を許し元禄7年正月中旬に起工4月の中旬に竣工しました。

御祭神は、瓊瓊杵尊、天の児屋根命、天の太玉命、経津主命(仏主の命)武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。

しかしながら、創建当時は主祭神は天の児屋根命とあり、瓊瓊杵尊は祀られておりません。

明治4年は全国の神社を統制整理した年で、この時、くしふる社と言っていたのを二上神社と改めており、また明治43年に改めてくしふる神社と称しており、この頃に主祭神は瓊瓊杵尊になったのではないでしょうか??

例祭日は10月体育の日です。

昔から祭りの日には宮相撲が行われてきました。

社殿の一段下の広場には土俵が作られ、神を正面にお迎えし、その前で行われます。

土俵作りは地元本組地区の方々が担当し、世話をしてきました。

相撲のルーツとしては、天孫降臨に際して、武甕槌命と出雲神である建御名方命(たけみなかたのみこと)が行った“力競べ”がそれであると言われています。

奉納相撲の前にはうなり相撲という乳児の泣き相撲があります。先に泣いた方が勝ちです。

うちの子も参加したことがあり、見事に勝利した事を覚えています。
さて、うなりとはお祭りが気にいると夜半お社からうなり声が聞こえるという言い伝えから始まったとされています。

奉納相撲は昔は今以上に活気もあり、県内、県外からも参加者があり、九州一の宮奉納相撲と云われるほどでした。

午後8時を過ぎると宮司と奉仕者によって御神霊を神輿に移し、相撲場の神社側上段に設けられます。

神庭(こうにわ)の御座所に遷庄申し上げ、相撲場を通られ御出の節と御遷りの節も全員立って拝礼します。

神様と共に相撲を観覧するという事を感じられます。

昨年は子供たち全員相撲に参加しましたが、白熱したもので、面白かったですね。

この相撲に出場した力士は翌日開催される熊本県阿蘇郡の吉見神社の相撲に引き続いて出馬する習わしがあったそうです。

高千穂皇神と吉見神社、宇佐八幡宮は御祭神の間に深い因縁があると云われています。

宇佐八幡宮でも相撲の際、高千穂の力士が出馬することになっていて、高千穂から到着してから、本格相撲が始まる習わしがあったと伝えられています。

くしふる神社のお祭りでは雨が降ることはあまりなく、午前は降っても午後からは晴れると云われ、ある時、雨のため相撲がとれないことがあった。その夜相撲場では夜半まで「ヤーヤー」と大きな声が響き、神様が相撲をしているのだろうということで、必ず相撲を行うようにはしています。

何年か前に台風直撃の時があり、御神幸がなく、神事だけ行われたことがあったけど、その時に相撲があったかどうかは覚えていません。

ちなみにその年、初めて神事の時に「彦舞」という猿田彦大神の神楽を僕が舞わせてもらいました。

当時は雨男、嵐を呼ぶ男でしたので。

さて、くしふる峯にはまだ瓊瓊杵尊の子山幸彦、その子ウガヤフキアエズの命、そして、その4人の子供が生まれた所とされる四皇子峰や天孫降臨の神々が天上の高天原を遥拝された所とされる高天原遥拝所や高千穂碑がありますが、もう少し長くなりそうなので、パート2はまて後日に!!

参考文献
神々の里本組 たかまがはら
高千穂皇神の御栄え
高千穂の神社
高千穂の民家 他歴史資料
高千穂村々探訪
日本書紀

#高千穂 #くしふる神社 #日本書紀 #高千穂の神社

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