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客席から見える景色⑤ ロングコートダディ

いちお笑いファンが、客席から芸人さんを見たときに覚えた感覚をエッセイ調で1000文字程度で書いていきます。
第五弾は私がお笑いにはまるきっかけにもなったロングコートダディさん。



客席から見える景色⑤ ロングコートダディ


水上に浮かんで流れるままに暮らしていたい。夜中コンビニまでの道程をとぼとぼ歩くのは、その理想にごく近い。タバコを購いたくポケットに小銭だけ詰め込んで、私は外気温と一体化している。さっきまで降っていた雨がなりを潜め、濡れた路上だけがその因果を表している。灰色の電線はしんしんと揺れて、私の二つの目は妙に冴え冴えとしていた。夜更の住宅街は人通りもほとんど無く、どこかで金曜日の宴会の音がする。通りすがった小さな公園で男女が線香花火をやっていて、風情だ。24時間営業のローソンの灯りが眼前に迫るのを、私はひたすら歩みを遅めることで回避した。
今にも、すばらしいフレーズが生まれそうだった。世界から戦争が無くなるような、皆んなが共感するような、すばらしい真実の言葉が吾の口からまろび出る予感がした。私は今日この日を特別な夜だと定義した。やさしくなだらかで頓に平和的で、素っ気ないこの日を。私は咽喉のすんでのところまで引っかかっているフレーズが、言葉として表現するのが適切かすら分からなかった。それは絵や歌や詩、小説のかたちを取るのが良いのかもしれない。脚本に起こして舞台で披露すべきものかもしれない。私はローソンの前で仁王立ちして、何度かその青い電灯を目でなぞった。その場をぐるぐると無意味に回ってもみせた。私の激情は非常に消極的で臆病で繊細な代物だったから、己の魂の中で十分に保管しておけるかが心配だった。真理、と言っても良かった。とても大切な琴線であることは確かだった。
私はとりあえずタバコを手に入れて、軒先の喫煙スペースでふうとため息を吐いた。アッという間に煙と一緒に真理が口から逃げていって、気づけばとおく空の雲間に隠れてしまった。もしかしたら、世界を革命する何者かになれたかもしれないのに。私はまた、何者でもない何者に戻ってきてしまった。無くしたものが何か分からないのに、何かを無くしたことだけが分かるこの感覚は不思議と悪くはなかった。悲しみと一欠片の絶望と、甘い哀惜だった。一本の火がフィルターに差し掛かる頃には、私もけろりと満足感だけを得て、またとぼとぼと歩きだした。東京の空は月だけ明るい。民家も街路樹も愛想が無く、知らんぷりで佇んでいる。それが私にとっても彼らにとっても最善のやさしさだと分かっているし。ああ、水上に浮かんで流れるままに暮らしていたい。君も一緒に小舟に乗って、どこか知らない島まで漂流しないかい。

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